第186話 光祿勲軍候

 鎧を着込んだ部隊が左右に展開した。平地で正面からぶつかればこちらはひとたまりもないぞ。背中にひしひしと視線を感じるな。そこへ伝令竿を指した騎兵が一騎だけで駆けつける。


「待て待て、その戦い待て! 徐荊州刺史よりの使者、程従事だ! 黄県令!」


「ここに」


 従事は立場は下だが今は刺史の言葉を伝えるわけだから、瞬間上官扱いだな。


「黄県令に具に事情を尋ねる故、城内で謹慎をしているようにと刺史が仰せだ!」


「な、謹慎ですと! どういう意味か!」


「不当な重税を課し、賄賂として先の太守に渡した嫌疑だ。ことの次第が判明するまで大人しくしておれとのお達し」


 太守はどんな理由で死んだのやら、でもまあ一本話が通りそうでなによりだよ。書簡、しっかりと読んでくれたんだな。


「ええい構うな、賊もろとも切り捨ててしまえ! 私には張忠様がついているのだ!」


 うーん、誰だそいつは? ともあれクズ野郎決定だな。


「陸安軍、掛かれ!」


 おいおい李校尉も少しは疑問を持てよ、仕方ないやるか。


「俺をなめるなよ!」


 一直線黄県令へ向けて駆ける、幾重にも兵が重なり壁になろうとするが、それらを全て跳ね飛ばして県令の背を強か打ち付けると「ぐえぇ!」と声を出してその場で気絶する。懐から印綬を取り出し掲げた。


「漢の光祿勲軍候島介が、官賊黄香を捕らえた! 天に逆らう者は居るか!」


 一喝して睨み付ける。漢の軍候と言われたが、大夫らの所属は全て光祿勲だから、そういうことなはずだ。違ったら恥ずかしいが、宮中武官の総帥たる文官なイメージだよ。中郎将らの司令官だな。馬を寄せて張遼が妻手に陣取る。


「島殿がまさかの軍候とは」


「名乗ったのはこれが初めてだよ。受け取るかどうかをずっと迷っていたんだ」


 だが叡山を離れて集落に行った時に、書簡に押す印が無くてこいつを使ったわけだ。まんまと馬日碇の奴に嵌められた感があるな。



 南郡にある荊州の治府に呼ばれて行ったら、そこで五十歳前後の徐刺史と面会を果たした。聞けば州内の汚職が激しすぎて、取り締まりを仕切れないらしい。特に南陽の太守張忠は皇太后の甥っ子とやらで、皇太后から「あいつのことは何をしても大めに見てやって欲しい」とまで言われていたらしい。


 世も末だなと思って聞いていると、その話をきっぱりと断ったとのこと。立派な人物を刺史に据えたものだ。


「だがその後に、張忠は首都に召し返されて、こともあろうに司隷校尉に任じられたのだ。逆恨みでこちらの罪をねつ造しようと狙っている」


 司隷校尉というのは首都圏長官と司法権を併せ持った官職だ。犯罪者が皇族の後ろ盾で取り締まる側になるとは、それだもの黄県令も強気にもなる。江夏の太守も何かしらの犯罪に巻き込まれたんだろうな。


 それでその後どうなったかというと、空席の西陵県令を引き受けてくれないかと言われたわけだ。その上で周辺四県の統治も。正直俺には政務能力的なのは無いんだ。断ったさ、もっと適任者がいるだろうって。


「ならば仮の任官で構わない。良民を見てやって欲しい」


 頭を下げられてそう願われたら、さすがに断りづらくて、仕方なく頷いたよ。軍候守西陵県令だそうだ。この守って単語は何だろうなと聞いてみると、本来なることが出来ない人物を無理矢理任官させるときにつける記号のようだ。


 県の政治だが、張遼と文聘に相談してああでもない、こうでもないと何とかやったさ。軍については片手間でもいくらでも処理できても、政治関係は全くの素人なんだよ。典偉は護衛としていつも傍に居る、それだけで深く考えてはいないようだ。


 拙いながらも丸々一年、この地にあって県令の代行をしてきた。三人との上下関係もはっきりと確立されることになる。光和五年は、俺史上で初の戦争がない平和な一年になった。冬になって見慣れた景色を眺めていると、お題がどうなったかをふと思う。



 さて、涙ぐましい計算によって、今が百八十三年だってことがわかったぞ。それが何を意味するかといいうと、来年に黄巾の乱ってのが起こるってことだ。洛陽の東の方で、凄い数の農民が蜂起するってことで三国志の物語が始まるってシーンで有名なアレだ。


 つまりは、今年までは本気で何が起こるかとか俺は知らない。そして来年あるイベントの詳細もよくわからん。朝廷から偉いのが征伐に向かうんだよな、そもそもそれってどのくらい続いてたんやら。


 西陵で練兵する奴らをぼーっと見ていた。張遼と典偉が揃って訓練を行っている。数は近隣の件からも引いてきているので五百程、百人位はマシな動きが出来るようになってきているように見えた。


「こう見ると、親衛隊の奴らは精鋭中の精鋭だったってのがよくわかるよ。居ない奴らを懐かしむくらいしか俺には出来ん」


 何せ訓練を施していたのは李兄弟や呂軍師だったわけだからな。主に指揮官を指揮するところから始めたから、ほんと色々と基礎的なことが欠けているんだよ。この一年で出来るだけ触れようとしたけど、慣れないことはしないことだ。


 張遼も典偉も県の司馬ということにしてある、百石の官だな。一方で文聘は長吏ということで文事を任せたがこいつも百石だ。未だ二十歳にすらならない若者三人が百石ということで、年上の部下たちは多少不満があるようだが、どうにも腕っぷしの面で直接文句を言う気にはなれないようだな


「島守県令、徐刺史が治府に参内を求めておいでのようです」


「俺に用事だって? なんだろうな、文聘はどう思う?」


 話し相手にというのと、決裁処理の為に最近よく二人で居ることが多くなった。いくら晩年には大人物でも今は子供だ。


「昨今領内に現れている徴募人の件ではないでしょうか」


「ああ、兵を募ってるとかってやつだな。俺のところでも姿が見られたらしいが、殆ど成果があがってなかったろ?」


「そうですね、なにせ西陵の四県では租税は三割、軍兵として勤務するならば生活の保証だけでなく、給与まで支払われるので、わざわざその徴募に乗る必要がありませんから」


 徐刺史に聞いて税金を三割に設定したんだよ、そうしたら四県の徴税官から質問というとか、確認が殺到した。現場を見て回るだけの職務の人物も登用して――まあこれはあの腕が片方ない雑用係の元山賊だが――適切に処理されているかも調べている。


 役人に給与を支払って、災害備蓄用に米を積んで、武装など必要な経費を落として、それで余った分を荊州へ納めてるんだが僅かだよ。荊州に三割入れろと言われたら、あっという間に現場では六割、太守にも同じように言われたら元通りの九割ってのが黒歴史なのかも知れん。


「それでも呼ばれたら行かなきゃならんだろうな、これも給料分の仕事だと割り切ろう」


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