第184話

 懐の巾着をテーブルに乗せて、特に開こうともしない。どうせ大した額じゃない、寝泊まりする位は出来るが。若者は巾着を手にして、銅銭を数えると頷いて一部をテーブルに置いて残りを自分の懐に入れた。


「なんだ、知ってるやつか?」


「私がその仲業です。それで何の御用でしょうか」


 ふむ。落ち着いた感じは確かに見込みアリだな、光るって程じゃないがまあ当たりの部類だろ。書記官は必須だからな。


「実は暇を持て余しているうちに山賊討伐の話が出てきてこっちに来た。ところがそれもあやふやになり、ちょっと街をぶらついている最中だ。とある奴から名前を聞いてね、どんなものかと確かめに来た」


「そうでしたか。どなたかは知りませんが、私のことを何と?」


「一番やりてになるだろうって言ってたさ」


 俺としての食いつきは、あと一つ微妙ってところだがね。それでも事実は事実だ、巾着はこいつのものだ。


「それは褒められたと思っておきましょう。で、島殿としてはいかがでしたか?」


「それを目の前で聞くとは、腹が座ったやつだな。気持ちの良い男だ」


 歳が離れているからとぞんざいに扱うのはどうだと思わせるような存在感がある。


「ご用事はこれでお済みですか?」


「どうかな。折角だから少し問いかけをしてみるか」


 暇つぶしの類だよ。こいつは文官か、では統治についてだな。


「よろしいでしょう。どうぞ」


「主君が租税三割を申し付けた、だが実際民は九割もの税を支払っているという。どう思う」


 未来の過去問題だな、現実は俺でも驚きだよ。


「直接徴収する官吏、或いは令や長らの段階での齟齬でしょう。いえ、齟齬というのは表現が悪いですね、命令違反とします」


「ふむ。もし仲業が長官だったらそれを知りどうする?」


「責任がある令や長は免職し、官吏は訓戒を行います」


「相当な反発があるだろうが?」


 実際サボタージュやらで大変なことになるぞ。


「主君に背き、民を蔑ろにする者の反発など意に介しません」


 きっぱりと言い切るのは現場を知らないからだろうな。


「そうか。ではそれらを免職したとしよう、その後はどうする」


「官吏は民の互選で選び、令や長は清廉な人物のみを登用します。信頼出来る者だけを用いることで、手落ちを無くしたいと考えます」


 それは真理だ。多分信用出来るではなく、確実に信用出来るものだけを選ぶ、こいつは俺も同意だね。だがそうなると数が少ないんだこれが。


「俺もそう思う。だが数は極めて少なくなり、能力が適切な者は更に少ないだろうな。どうする」


「会って話をし見極めます。ちょうど今の貴方のように」


 にこやかにそんなことをいうか、なるほど確かにやりてだよ。


「はっはっは! 機転が利くな、こいつは将来有望な文官になるだろう!」


「それは正しくはないでしょう」


「ほう、謙遜するのか?」


「いえ、そうではありません。私は武官を望んでいますので」


「なんだと?」


 明らかに逆だろうに、でもまあこういうのも居るには居るが、軍司令官のような感じだな。将軍タイプとは違うぞ。


「戦とは世を鑑み、機を臨み、統率を以てして行うものです。武勇を示す時もそれはあるでしょう、ですが、真の将とは時機を逃さず速やかに目的を達し、風のように退く者を言います」


 目を細めてこいつの顔をじっと見る。確かにその通り、典偉よりも伸びしろがあるぞ、ただ坊主じゃない。


「ならば問う。強大な敵が傍に根を張っていて、そなたが州の長官とする。いかにして州を統治する」


「民を教化し、恩徳を示し、自らを律し、兵を統率し、主を信奉し、部下を信頼する。さすれば兵も民も一体となり敵を退けるでしょう」


「大きく出たな、だがその心意気や良し! 俺は島介、字を伯龍という。今はただの流れ者だ」


 目の前でそいつは口を結ぶと武官の礼をとる。


「南陽の出で、姓は文、名は聘、字は仲業と申します。どうぞお見知りおきを」


「なんと文聘か!」


 これは納得だぞ! そういやあいつの顔は見たことが無かった。いつもここぞという時に邪魔をしてきたうえに、荊州の統治は乱れたことがない実績があった。そうか、そういうことか。


「私をご存知で?」


「いや、君ならば立派な将軍になるだろうな! これは俺の勘だよ、その名を夢で知った。そうか、こんなところに居たか」


「易をされるのですか島介殿は」


「そうではないが、許昭殿ともよくよく意見があったから似たようなものかも知れんぞ」


 こういう時の有名人というか例がすくないんだこれが。


「なんとあの大家と! 驚きを隠せません」


 ぎょっとした顔は年相応だな、まだ十代だ厚みは無かろうよ。


「今何をしているかは知らんが、どうだ一緒に来ないか。波乱に満ちた日々になること請け合いだぞ」


 具体的には十年かけて中華の南北を三度も四度も行ったり来たりとかだ。


「生家を出て身一つではありますが、私で良ければ是非」


「よし決まりだ! 叡山に戻らなきゃならんな、ま、出るのは明日で良い」


 子供に酒を勧めるのもどうかと思うが、この時代のことはよくわからん。確か十五歳で成人だったような……まあ本人が決めりゃいいことだ。しかし、あのあたりの年代のやつらったら、張合とか徐晃あたりがハイティーンなんだろうか? 当時の老人らを思い出しておくことにしよう。


 折角だから今度は南回りで三日かけて戻ろうとしたわけだが、ありゃ何だ? 北の空に砂煙が上がっている。


「戦いの砂塵が舞い上がっていますね」


「やはりそう見えるか。となれば陸安軍が攻めて来たってことなんだろうな」


「叡山の山賊はどのくらいの兵力です?」


 二千とか言ってたが、大抵そういうのはフカしが入ってるからな精々千人いて上等だ。その上で戦闘要員は半数だと見ておいた方が良い。


「きっと片手で数えられるくらいさ」


 笑って応えてやると、砂塵を遠目に見る。


「騎兵ならば百ですが、このような場所にそれはあり得ません。歩兵千が攻め寄せたといったところでしょうか」


 うーむ、動員兵を加えてと考えればその位は出来る。李蒜陸安校尉とかいうのは戦いが上手いらしいから、増員したやつらを既存の部隊に足して使う位はわけないだろう。


「陸安から離れて行動出来る限界は三日くらいだろ、潘耀が山に意地悪く逃げ込めば早晩撤退していくが」


「賊の首魁がそんな弱気で果たして、というところですか」


「だな。取り敢えずは行ってみよう」


 やはり文聘は話が分かる、殴り合いは得意じゃないにしても、戦略戦術が光るんだ、充分武官の素質がある。駄馬ではあるが俺の巾着の中身を全て使って機動力を確保した。俺だけ馬でそれに付いてくるのは結構大変だしな。


 叡山と陸安軍の姿が遠目に確認で来る距離、つまりは軍旗が見えるところまでやって来た。


「山賊が山に拠って戦っていますね」


「思った通りってわけか。まあ勝てばそれはそれで違う未来なんだ、やる前から逃げ込むこともないしな」


 決戦するのだけが戦いではないぞ、だが目的を思えば有利な地形で防御戦も悪くない。


「ちなみに、お前が山賊の首魁ならこれからどうする?」


「夜になれば官軍は麓を離れて野営をするでしょう。互いに地元の利があるでしょうから、どこで野営をするかも想定可能なはず。今のうちに五十人ほど迂回して潜ませ、暗夜に仕掛けて官軍の士気を下げます」


 やられると面倒な選択肢だな、そもそも夜襲をするだけで被害はどうでもいいんだから。寝不足で明日を迎えるのは目に見えている。


「そうか。ならきっとあいつらもそうするだろうな。陸安に入って明日を待つとするか」


「合流はしないので?」


「なんだ、お前は戦いがしたいのか?」


「てっきり島殿はそうかと。私は官軍と争う理由がありませんから」


「そりゃそうだ。俺も流れ次第だよ、手土産の小鹿を渡せば宿での費用は気にしなくていいぞ」


 すっかり常になったが、肉の威力は凄いんだ。こいつを肉屋に売るって手もあるんだが、持ち込むと一番うまいところを喰うことが出来るのと、宿屋の好意を得られるからそうしてる。どこで寝首をかかれるかわからんからな、自然とした形で味方が増えるように行動をしている。翌朝たっぷりと睡眠をとって食堂へ行くと、文聘が宿屋の店主を手伝っていた。


「朝から感心だな」


「出来ることはすると決めていますので」


 微笑して椅子に座る。品行方正、人の見本となる行動をするわけか。部下に好かれて、民に称えられるわけだよ。朝食を済ませて昼頃に陸安を出る。山の中腹あたりでぶつかり合っている姿が目に入って来た。


「ほう、陸安軍が優勢だな」


 あと一押しで中央を割られて敗走するぞ。


「中央先鋒が楔になっていますね。ですがあの場所、山賊が揺るがない箇所が一つ見えます」


 ふむ……岩肌の上か、確かにいくら打ちかかっても退かない部隊がある。それが逃げれば終わりなのに、中々頑強だ。


「近づいてみよう」


 林の中に入り山に近づいていく、目を細めて中腹あたりをじっと見据えていると、その謎が解けた。


「なるほどな、あの中央の頑強な部分だが、簡単には崩れん」


「どういうことでしょうか?」


「あそこは二人の英雄が守っているからだよ」


 張遼と典偉が奮戦してる、それを力攻めで落とすのは無理な相談だ。ほっとけば二人で百人二百人を切り倒すだろうからな。となると李蒜陸安校尉はどうする?


「あ、官軍が左右に別れました」

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