第182話

 雍州の吏だったか、時代で呼び名がちょいちょい変わるからな。雁門郡といわれてもどこか解らなかったのは内緒だ。


「江夏蛮の討伐にわざわざ? 変な話だ、怪しい奴め」


「どちらかというと蛮族に見えるかもな、ははははは」


「親分、笑ってる場合じゃねぇですぜ。でも討伐対象は存在してるみたいで何より」


 遥々やって来てイベントは終了していましたってのも寂しいからな。不埒者とは俺の事だな。


「二人とも遊んでいないで、身の証を立てることにご尽力を」


 やれやれと張遼が呆れてしまう。そうは言ってもなあ、アレ使えるのか?


「おい典偉、アレを使ったらどうだ、お前にやったろ」


「ああ! ……これだ、漢の屯長を認められた典偉だ、これでいいか?」


 銅印黄綬を懐から取り出して見せる。これを持っていれば国家公務員として認められるだろ、元々そういうものだ。


「これは失礼いたしました! どうぞお通り下さい」


 通行税も免除されて、三人が関所を越える。少し離れた場所で「典偉殿は官吏でしたか」若干の驚きで以て頷かれてしまう。


「これは本当は親分のだけど貰ったんだよ」


「貰ったとは聞き捨てならないですな」


 視線がこちらを向いている、まあそうだよな。ただのモノなら良いけれど、モノよりも価値がある証だものな。


「太中大夫ってのにやるって言われたんだよ、でも俺より典偉の方がいいだろって、そいつの目の前でくれてやったらそれでもイイって認めてたぞ」


「くれてやった……ふむ、世界は広い。それにしても太中大夫と言えば、放浪していて滅多に都におられない馬日碇様?」


「ああ、他にもそんな酔狂なのがいるのか?」


 大体の官職は定員一名だから、任官者を知っていたら職名を聞けば誰かが分かるんだよな。その為の印綬なんだが。


「さあ、私は聞き及びませんがね。属吏では年五十石、とてもじゃないが食って行くので精一杯」


 年でそれだと、一日二キロの食糧か。大の大人がそれだけでは確かに食うだけで限界だな。半金半物だ、いわゆる新人の初任給のようなものだ。だから飛び出していくって考えに至るわけか、多少は腑に落ちるな。


「俺は食って寝て、友と語らうことが出来ればそれで充分だと思ってる。張遼はどうなんだ」


「私は、男として生まれたからにはより高みを望む所存!」


「そうか。それもいいだろうな」


 太陽に向けて拳を突き上げている張遼の表情は清々しい。若いってことはそういうことだ、俺は見た目はこうでも枯れているってよく言われるんだ。


「ところで親分、江夏にはきやしたがどこへ向かうんで?」


「賊は街にはたまにやって来るだろうが、山に住み付いてるって話だな。出てきてくれれば楽だが」


「叡山にも賊の一派が居るようだ。首魁は潘耀とかいうそうだ」


「じゃあまずはそいつを討伐して来るとするか。案内を探さなきゃな」


 それはもう気軽に請け負う感じでだぞ。張遼はにやりとして「二千からの賊徒が巣くっているらしいが」こちらの様子を伺ってくる。二千か、別に同時に相手にするわけじゃないが、出来ることと出来ないことはあるもんだ。


「荷物持ちや案内の護衛もいるよな。二十や三十の供は必要か」


 典偉もこれといって異論はなさそうだが、張遼は意外そうな顔をする。


「たったそれだけで戦うつもり?」


「目の前にその潘耀とやらが居るなら俺一人でも戦うが、どこにいるかわからん以上は手下を使わねば時間が掛かる。戦うのは俺達だけで充分だろ」


「はっはっはっは! こいつは剛毅だ! だが、確かにその通りだな」


 正直なところ、やってやれないとは思ってないんだ。夜襲で無音の矢を使われたり毒を使われると困るがね。陸安県か、山の裾野の街だな。恐らくは賊の目になるような奴らも潜んでる、なら逆諜報を仕掛ければ接触をしてくるかもしれん。


「まずはメシにしよう。食っていたら向こうからやって来るさ」


 何食わぬ顔でそう呟いて歩き出す。宿場でもあり飯店でもあるところへ入りテーブルを三人で囲むと、その体躯にぎょっとした店主が恐る恐る応対して来る。


「なあ親父、潘耀ってやつの話を聞かせてくれないか」


「へい、潘耀ですか。それはですね……」


 辺りを伺って警戒しているのが分かるな、やはり近くに草がいるんだな。いや、或いは。


「叡山一帯を仕切る大人で、陸安の官憲とも頻繁にやりあってます。江夏の太守を殺害したのも潘耀だって噂で」


 太守が不在の郡か、統率は期待できんな。それなのに空席ってことは、鎮圧が難しいってことを意味している。そのうえで人材不足か。長い平和が下地にあるんだ、前回と同じに考えちゃいかんぞ。


「陸安の指揮官は?」


「県令は黄香様で、専ら部隊は李蒜陸安校尉が率いてます」


「そうか。すまんな助かった」


 それで解放するとメシが出てくるまで酒を飲んで待った。視線を遠くにやって、どこかで見張りをしている奴がいないかを確かめるが、それらしい姿は無し。


 腹も膨れて二階の部屋に三人で入ると、夜中になる。部屋で扉を少し開けて、上に石ころを並べて乗せている俺を見て典偉が「何してるんで?」疑問を解決しに来る。


「こいつは保険だ。戸を開けようとしたら上の石が転がり落ちるってわけだ」


「はあ」


 それは解るって顔だな。では張遼はとみると、真剣な顔をしている。


「来たばかりでいきなり目をつけられている可能性は低いでしょうが、備えがあってこちらが困ることはない」


「無駄になるのが一番だと俺は信じてるよ」


 戸の隣には立てた棒も置いて、動けば倒れるようにもした。窓は外からはあかないように細工をして、小さいながらも砦のように使えるように。もし焼き討ちされたらそれはその時に考えるさ。


 床に転がって眠りにつくと、カランと音がした、その後にコロコロと石が転がる音が続く。パッと目が覚めて、隣に置いてある剣を握った。足を忍ばせて近づいてくる気配が複数。誰がというわけではないが、三人が起き上がると侵入者に打ちかかる。


 それぞれが一人を鞘で叩くと、悲鳴と呻き声が上がる。窓を開けて月明かりをいれると、見たことがない三人組の男達。三十代か四十代か、今一つわからないが子供ってわけではない。


「深夜に何用だ?」


 張遼が片腕を後ろで捻り上げて冷静な声で質問した。逃げようとする素振りは見えない、明らかに無理で腕を折られる位ならば素直になろうってことだろう。


「お、俺達は上に言われただけで!」


 芯がずれた返答をしてくる、用事があったのはあったらしいな。部屋にじゃないなら、俺達にってことだ。


「上とは誰だ」


「は、潘の大将です! 潘耀様が、怪しいよそ者を始末して来いって!」


 怪しいよそ者ね、同意するよ。皆でこいつらを睨んでいても仕方ない、俺は窓から外の様子を伺うが、仲間は居なさそうだ。


「賊の首領がご指名か、随分と素早いことだな」


「俺達の協力者はここら一帯に山ほど居るんだ。なああんたらも大将の部下になるなら歓迎するぜ」


 薄ら笑いを浮かべて仲間になるようなお誘いをしてくる、そうすれば助かるもんな。だが相手が悪いぞ。


「殺そうとして近づいてきたのにムシが良いとはこれだな。戻って伝えろ、正面切ってやってこい、張遼が相手になってやるとな」


 言うと力を込めて腕を一本へし折ってしまう。


「ぎゃあ!」


 典偉も押さえ込んでいた二人の右腕をバキっとやった。おお怖い。


「命は助けてやる、さっさと消えろ!」


「ひえぇ!」


 左手で右手を押さえて泣きながら逃げ出していく。まあ日が登るまでにすぐやって来ることはないだろう。


「よし、寝るか」


 こともなげにそういうとまた転がる。張遼がポカンとしていたが、典偉も転がったので戸を閉めてから張遼もそうすることにしたらしい。


 朝日が差し込んで来ると部屋を出て朝食をとりに行く。俺が腰かけると「もてなしの心があると良いかもな」妙な注文の仕方をした。すると店主が「か、畏まりました!」と大慌てで消える。


「なあ島殿、さっきのは?」

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