第181話
確かこいつだよなそう呼ばれたのって、違ったか? 荀なにがしが多すぎるんだよ。
「はは、この文若を王佐の才とは。有り難いですが、今はまだ学ぶべきことが多い身。もし今後誰かに同じように言われましたら、貴殿の事を思い出し、再度判断いたします」
「じゃあその時を期待しておくとしよう。引き留めて悪かった」
席を立って一礼すると荀は去って行った。典偉は最早奇行を気にすることがなくなったらしい、酒を飲んでつまみを口に運び続けていた。
「お待たせした」
「おう張遼殿、こっちだ」
仕事終わりの張遼がやって来て合流する。元より住人でない他人が集まれるところなど広場しかない。或いはこのように酒店やら飯店だ、俺達をみてどちらに居ると質問したら、多数派がどうなるかは明らかだろうな。駆け付け一杯だと言わんばかりに一献いった。
「ところで張遼殿もお祝いに?」
「ええ、先ほど荀爽殿がやって来られるとのことで早めに退出してきましたが。よくご存じで」
「その荀爽とやらの甥っ子とあってな、話を聞いたんだ。随分と祝い客ってのが集まってるんだな」
「おや、島殿は違ったので?」
あー、そうだよな、この流れならそうだよな。全くの無関係だ。
「全然。これといった関わりは一切無いし、そもそもが知らなかった」
「ほぉ、すると強壮な兵士の圧迫を受けてのことだったでしょう?」
「それなりの奴らはいたな、圧迫って程じゃなかったが」
兵士が警戒するのは普通の事だろうに。
「そう言えるのは武勇に優れ胆力がある者だけでしょう。島殿は武人の素質がある」
「よせよ、そちらほどじゃないのは俺がよくわかってるんだよ」
どれだけこいつに上手い事立ち回られたか、決して俺が勝っているわけじゃない。今なら経験値の差が出るだろうけどな。
「不思議な人だよ、島殿は何故そうも知らぬ相手をはっきりと評価できるのか。易者というわけでもなさそうだが」
「なんでだろうな、俺自身もよくわからん。他人のことは解っても、俺自身のことが全くなんだ」
「と言いますと」
「記憶が抜け落ちていて、いままでどうしていたかがさっぱりなんだ。常識がかけているのは否めないな」
「え、親分記憶喪失だったんで?」
今までずっと食い続けていた典偉が変に食いついてくる。
「ああそうだ、暮らす分には問題なさそうだな」
肩をすくめて傍にいる奴が知らなかったという証言を得た。それでどうだと言わないので、張遼も深入りしてこない。
「それでも確固たる意志がある、か。私には父が居ない、一族の世話になり成人したが、妻子もない。やりたいように生きても誰も何も言わない」
「どうした張遼殿、急にそんなことを」
酒が回ったわけでもなさそうだが。
「孫将軍が若いころ、その身一つで匈奴と戦い続け、将軍となり名を轟かせるようになった。そうすべきだと感じたらしい。私は今、未知の世界に飛び込むべきだと感じている」
「未知の世界だって? それはなんだ」
突拍子もないことをまた。酒のネタだってなら乗ってやってもいいが。
「漢は広い、この版図内でも争いは起こっている。小間使いで過ごすよりも、一旗挙げてみたいと感じたのだ。どうだ島殿、江夏へ行ってみないか?」
「ん、俺が? 江夏ってのは南のほうだったよな」
孫権の版図だったような、長江沿いってことだなこれは。
「ああ、江夏蛮が反乱を起こしているんだ、太守は殺されてしまい無法地帯に。そこで一暴れする」
「ふむ。そんなところで乱れているわけか。別に何かしたいことがあるわけでもない、俺は構わんよ」
いともあっさりとその話を受け入れてしまう。平和に暮らす方が難しい、きっと運命だろ。
「たった一度の人生だ、思い立ったらやってやれだな。早速これから向かわないか!」
もしかすると……こいつ酒癖が悪かったりするか?
「一晩位寝起きしてからでも変わりはすまい。今は出会いに乾杯して、食って飲もうじゃないか」
「おやじー酒樽一つ持って来てくれ!」
典偉がそんな注文をする。持ち金で足りるんだろうな? 城に書簡を届けたから報酬を貰ってたからいいのか。何でもいいさ、今は酒に酔ってしまおう。結局昼間からずっと飲み続けて、日が暮れて少しすると酔いつぶれて部屋で雑魚寝することになった。これもまた人生だな。
◇
人生はわからないものだ、昨日の今頃は暇つぶしでどうするかと考えていたのに、今は江夏へ賊退治に行くぞと準備をしている。しかし、張遼の奴本気だったとはね。
用事を済ませたとの書簡を運ばせる準備をして、自身は早々に武具糧食の調達をしてる。場所が場所だけに全員馬で行動する、馬の餌はどうとでもなるが、自分達の分を何とかしなければならない。でだ、村で三人がかりで狩りをした、そしてそれを置いていく代わりに食べ物を多めにくれと長老に申し出た。
すると半日としないうちに、若い衆が抱えきれないほどの獲物が広場に積まさったのだから、路銀も持って行けといわれるわけだ。
「典偉は母親を置いていくことになるがいいのか?」
「へへ、男なら大志をもって身を立ててきなさいっておっ母は見送ってくれた。行くさ、親分が行くなら!」
肝っ玉母ちゃん的な単語が浮かんできた、会ったことはないがあれこれ言われてしまいそうだ。俺も張遼も特に柵は無い、意外とこの時代では普通のことなのかも知れん。知らんがね。
どこへ向かうかというと、この前の汝陽からまーっすぐに南へ向かうとあるってことだ。汝南郡の直ぐとなりが江夏郡で、そこの都が西陵というらしいぞ。馬なら十日って典偉が言ってるが、こいつ行ったことはないらしい。流れに身を任せて、何と無く移動を始める。
街道を行くことにした、何せ知らない場所を行くのに山道を行くのは自殺志願のようなものだ。宿場町を一つと橋で進む強行軍を、何食わぬ顔で行う三人組み。見るからに関わってはいけないのがわかる風体だからか、何一つトラブルは起きない。
まあ、俺でも襲うなら別のグループにするだろうな。無事に七日の強行軍を行うと、江夏郡の境界線を越える。多分だが、普通に行軍したら二十日から三十日コースだなこいつは。軍道を使ってもだぞ、今は偵察騎兵の速さに近い。伝令はこの二倍速あたりだな。
「越境するのに関所があるとは知らなかった」
汝南へは道以外を使って入ったから、実質初めての関所になるか。東西を走る山の間に数本道があるようで、そのうちの一つを進んでいくと、南側の出口あたりで通行止めをしている関所を発見した。当たり前と言えば当たり前なわけだが、妙に感心してしまう。
「島殿はずっと陳留で暮らしていた……のであろう。関所は通行手形を持っているか、身分を確認の上通行税を支払えば誰でも通ることが出来る」
雑談をしながら順番を待っていた、門番たちの視線が集まって来る。心なしといわれてもどこかか休んでいた兵士も急きょ集まってきているように見える。
「一行の身分を確認する」
軽い武装をしているものの、子供のような体格なので馬上の三人を大きく仰ぎ見るような姿勢になる。本日一番やりたくない仕事なんだろうな。
「雍州属吏の張遼だ、こちらは同道者。江夏の反乱を収める為にやって来た次第」
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