第179話 漢軍侯預

 食事を出されてそれを食べながら話をすることになる。典偉は部屋の隅で酒をあおっては肉にかぶりついていた。


「して島殿のお生まれはどちらかな」


「東の海の先にある島国です。それと姓は関係ありませんが」


「ほう! 海の先とは興味深いですな! どのような国があるのでしょうか、我等の間でもはっきりとしたことはわからずじまいでしてな」


 どこまで話すべきか、当たり障りが無い部分というのが判断出来ん。


「農業や漁業で暮らしている民族です。手先が器用で、和を尊ぶ大人しい住民が多く、食にこだわりが強い」


「食にこだわることが出来るとは、さぞかし裕福な国なのでしょうな」


「豊さの基準はそれぞれでしょう。家族や友人と過ごすのが、最高の幸せだと」


 少なくとも俺はそう感じているよ。実際はどうなのか知らんが、当たらずとも遠からずだろ。


「家族を大切にするのは徳事であり、儒学の示す道と相違ない。今宵は愉快だ、食も進む。これは……いくつ食べたか、はっはっはっは」


「五つを一口で三度、四回運ばれたので百二十玉でしょう。確かに美味い果実です」


「なんと、島殿は算術を収めておられたか。学士と気づかぬとはお恥ずかしい」


 許昭が額をぺしっと叩いてから謝罪をする、軽く見ていたと吐露した。それ自体は別にどうでもいいが、ほんと補佐が欲しいと切に思うね。


「この位は子供のうちに皆が収めること、取り立てて算術などと言う程でも」


「な、なんと! 東海島ではそこまで学術が盛んと!?」


「……たまたまそのようなところで育っただけかも知れませんが」


 これでもまだオーバースペックってのか、難しいぞ加減が。そこへタイミングよく使用人がやって来る。


「先生、馬日碇様がやってきております、いかがいたしましょうか?」


「なんと馬先生が、直ぐにお通ししなさい」


 はて何者かな。出入り口を気にして顔を向けると、四十歳手前位の男がやって来る。見たところ官服だ。許昭が立ち上がり一礼する。俺も取り敢えずは同じようにした。


「近くを通ったので寄ってみた、突然で済まんな。そちらの方も。私は馬日碇と申す、漢の太中大夫を履いておる」


 呂軍師、太中大夫が何かを何とか俺に教えてくれ。あいつはまだ生まれてすらいないんだよな。


「島介と言います。あちらで酔っ払っているのは典偉です」


「ふむ、ふむふむ」


 近づいてきてじーっと見て来る、何だか失礼な人だな。でもどこか憎めない感じもする。


「どうですか馬先生」


「とてもこの歳で培ったとは思えない何かを感じさせる。こいつは面白いぞ、どれ」


 懐を探ると竹簡を取り出し、急にその場で座り込んで炭と筆を取り出して何かを書き始める。わかったぞ、こいつは変人の類だ。何をしているやら。少しするとその竹簡を目の前に突き出して来る。


「これは?」


「私からの推薦状だよ」


「どういうことでしょう?」


「太中大夫なんてものにこれといった役目などない、だからそこいらを歩き回ってこれだと思う人物を推挙するようにしているのだ。これをもって首府にいき、私に推挙されたと言えば官職に就ける。受け取るが良い」


「はあ」


 好意だと受け取るか。断るのもなんだか忍びないし、よかれと思ってしてるんだろうしな。手にすると、馬日碇は急遽設けられた席について一緒に飲み始めた。旅の間にあったことを語り始めたので丁度良かった。どのくらいたったか、そろそろ寝ようとした頃にまた使用人がやって来る。


「先生、大変です!」


「何事だね騒々しい」


 そこへ農民服を着た、まさにそこらの農民が駆け込んで来る。


「許先生、盗賊がやってきています、直ぐにお逃げください!」


「なんと! どれほどの数だね」


「百人は居るはずです、先の河を渡ったあたりなので、お早くお逃げを!」


 許昭も馬日碇も席を立ちあがると、上着を羽織って外へ出ようとする。


「島殿もこちらへ、避難場所へお連れしよう」


「それだが、ここに鉄棍やら大戟などは無いですか」


「倉庫にならばあるが、なぜ」


「ではそれを拝借しても?」


「構わんが、まさか?」


 そのまさかだよ。俺は立ち上がると典偉の隣に行き「おい仕事だ、賊がやって来るから撃退するぞ」言うといびきをかいていた典偉が目を開いてガバっと起き上がる。


「親分、俺が!」


「なぁに、獲物は仲良く山分けと行こう。倉庫に武具があるからそれを使わせて貰うことになった」


 立ち上がり笑顔で案内を催促する。家の裏手の倉庫にあった胴当て、兜に俺は長槍を手にして騎乗する。典偉は棘がついた鉄のこん棒を両手で握った。ちょうどその時、松明を多数手にした盗賊がやって来る。


「ここは金目の物がありそうだ、押し入るぞ!」


 弾んだ声でそんなことをいう奴がいる。俺はそいつらの目の前に馬を進めた。見えるのはざっと六十人、食い詰めた烏合の衆だな。


「お前ら、ここは俺の今宵の寝床だ。うるさくするようなら力づくで黙らせるぞ」


「な、なんだてめぇは! 一人でいきがったって死ぬだけだぞ、こっちは大人数なんだ!」


 集まって来ると松明の灯りで概ね八十人というのが確認出来た。なるほど普通に考えたらこれはどうしようもないな。


「それがどうした。俺は島介、貴様ら如き雑魚がどれだけ束になろうと、意に介さぬわ!」


 一喝すると近くにいた賊が後ずさる。防具を身に着けた典偉も奥からやって来ると注目を集めた。


「奴らは二人だ、野郎どもやっちまえ!」


 数を頼みにしてこぞって襲い掛かって来る。俺は馬を走らせると、すれ違いざまに次々と刺し殺していく。槍の石突きの側を持って大きく馬上から振り回すと、まとめて何人も転倒させていく。


 典偉の奴もこん棒を振り回すと、その度に二人、三人まとめて賊を宙に舞わせた。大人と子供の戦いだ、この位の数では腹ごなしにもならんぞ! 二人まとめて貫通させると、両腕に力を込めて持ち上げて振り回す。体重のせいで槍からすぽんと死体が抜けて遠くへ転がって行った。


「さあ死にたい奴は掛かってこい!」


「ば、化け物だ! 逃げろ!」


 典偉の方にも近づく奴がいなくなり、松明を捨てて雲の子を散らすかのように逃げて行ってしまった。


「ふむ、意気地のない奴らだ。おい典偉、こいつを拭いて倉に戻しておけ」


「はい、親分!」


 防具の方も返り血が凄いが、こちらはどうしたものかな。すると屋敷の方から二人がやって来る。


「なんと、学だけでなくこうまで武もを誇るとは! 我は今まで島殿のことを知らずにいて恥ずかしい!」


「あの程度どうということはありません。借り物を汚してしまい申し訳ない」


 血のりってのは簡単に落ちないんだこれが。


「はっはっはっはっは! 良い、実に良いぞ! 許殿、これは素晴らしいとは思わないかね」


「はい、馬先生。このような痛快なことはございません」


「そうであろう、そうであろう。これ島殿、手を」


 なんだ、また何か渡されるのか? 手を差し出すと巾着を持たされる、開けてみるとそこには銅印黄綬が入っている。印綬だな。


「これは?」


「私はその才覚ある者を指名して任官させる権利を預かっている。それを差し上げよう、今より汝は漢の屯長として比二百石を受けよ」


 前は佐司馬ってやつがスタートだったな、貰ったらその後どうなるやら。


「馬殿には申し訳ないが、こいつは典偉にこそ相応しい。ほらお前が受け取れ」


「え、俺がですか!」


 ぽいっと投げて渡してしまう。典偉は両手でそれを受け取り、印綬と俺を交互に見ては困惑する。許昭はポカンとして、馬日碇はにやにやした。


「くくく、これは面白い! 今回は大当たりだ、ではこちらをやろう。おまけにこれも」


 二つ渡される。一つは先ほどのと同じで、もう一つには銅印黒綬のものが入っていた。


「漢軍候比六百石だ。そっちのは汝が見込んだものにやると良い。これで今年の私の役目も完遂した、いやめでたい! ははははは!」


「親分が六百石だって! それはすごい!」


 こいつは放浪のリクルーターだったってわけか。まあ性格はともあれ、やってることは凄まじく正鵠を得ている気がするよ。


「預かっておくとしよう」


 その晩はここで寝ることにしたが、朝一番で借り物を返すとさっさと離れることにした。使用人が家主が起きるまでせめて待っていて欲しいと懇願してきたが、丁重に無視してだ。あまり関わるものではないからな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る