第178話


「おう。俺はここの饅頭を喰ってるから、ほれお前はこのメシを喰え。おいおやじ、こいつの分の饅頭と茶もくれ」


「お、親分ですか! も、申し訳ございません。他意は全くなく……」


 震えて膝をつくものだから典偉が訝し気な顔になる。


「俺は何も怒っちゃいない、典偉を褒めてくれたんだ、逆に礼を言いたいくらいだよ」


「俺を褒めた? 一体なんの話で?」


「何でもないさ、ほらおやじ饅頭をくれ。茶の代わりもな」

 

 懐から銭を取り出して机の上に置くと、恐る恐るそれを手にして厨房へと行ってしまう。先ほどよりも大きな肉まんが出てきて、心なしか茶も濃いのが淹れられた。


 長平に着くころには日も暮れ始めて、さすがの典偉も顔を赤くして息が上がってしまっていた。一日走り続けたんだ、俺には真似できんよ。まあ敵に追い掛け回されれば、出来る出来ないでなく走るんだろうがね。


「宿が空いてるといいが」


「俺は野宿でも構わないです」


「そういうな、俺は部下の一人すら面倒を見られないってことになるだろ」


「あ。いや、そういうわけじゃ……」


 申し訳なさそうに縮こまってしまう、大型犬のような奴だな。


「わかってるさ、お前はそれでいい」


 宿に入ると大部屋しかないと言われたので、雑魚寝で結構と金を払う。部屋に入ると目つきが悪い奴らがど真ん中で寝そべっていたが、俺達が入ると隅っこに散って行った。解らなくもないな。


「そっちの角で寝るとしよう」


 一拍置いてから歩くと、視線を向けた角が無人になる。壁際に俺が、その隣に典偉が座る。


「汝陽ってのはここからどのくらいだ?」


「直ぐです、朝飯と昼飯の間には」


 一時間か二時間って意味だよな? 遠くないと解釈しよう。


「お前、文字の読み書きは出来るか?」


 王平のことをふと思い出して、もしかするとと尋ねる。この時代だ、それが出来る奴は圧倒的に少ない。


「全然ですが」


「そうか。別に詩を詠めとは言わんが、読み書き位は出来る方が人生が彩られる。時間を見て勉強するようにするんだ」


「すると親分は読み書きが出来るんですかい?」


 大部屋の連中が一言も発さずに、黙って大人しく耳を澄ませているのが分かるよ。


「ああ出来るさ。西戎や南蛮、東夷の言葉もある程度わかるぞ」


「そいつはすげぇ! さすが親分だ、強いだけじゃねぇんですね!」


 何せ中華統一をしてみたり、世界中で戦争をしてきたからな。そんな俺でも毒や矢の一本で即あの世行きだよ。


「典偉よく聞け、大切なのはそんなことじゃない。強い意志と、共にそう在ろうとする想いこそが重要なんだ。今はわからなくてもいいが、どこかにそういった理解しがたい何かが存在するのを覚えておくんだ」


「はい……」


 まあ解らんだろう、俺だっていきなりそう言われては困惑する。他人に説教できるほど人格者でもないんだがな。


「言ったろ、わからなくてもいい。お前はお前が信じる正義を貫け、いつかふと気づくさ」


 そういうとゴロンと転がった。隣でも寝転がる音が聞こえると、そのうちイビキに切り替わる。砲弾が落ちても、戦車が通りすぎても眠ることは出来るもんだ。微笑を浮かべてこれから何が起こるのかを楽しみに、今は意識を遠くへやることにした。


 汝陽は本当に近かった、五キロかそこらでたどり着いた気がする。田舎は田舎なのに、道が妙に綺麗になっているのが印象的だ。綺麗というのは清潔という意味でのこと。住民の質が高いというやつだ。


「親分、あの家です」


 召使も居そうな位の立派な屋敷、地元の名士が住んでいるのだろう。そもそも許先生とはなにものやら。後ろについていくと、屋敷の前に馬が並んでいて、若い男が傍に立っている。あいつ出来るぞ!

 

 目礼をしてきたので軽く会釈をする程度で通り抜ける。典偉は使用人に案内されて屋敷内に入る、俺もそれと同行した。部屋に入ると恐らく三十歳前後の男が上座に座っていた。その前には別の男の後ろ姿が。


「許先生、こんにちは。来客中でしたか、すみません」


「おお、お前か。丁度今鑑定をしたところだ、これも一緒に持って行くと良い」


「はい、先生」


 ふむ、鑑定ってことは占いか? 占星術とかいうんだったか、孔明先生も得意だったな。背を向けて座っていた男がこちらを振り向く。む、曹植! ……に似ているが違うな? それにしても何という覇気だ、これはただ者ではないぞ。


「初めまして御仁。私は曹操と言います。今しがた許先生に人物を見て貰っていたところ」


 こいつが曹操か! むむむ、なるほどそこらの奴らとはけた違いの底知れぬ力を感じる。


「私は島介、字を伯龍という」


「今しがた私を見て顔色を変えましたが、どうかなされましたか?」


 顔に出るとは俺もまだまだだな。確か曹操の人物批評にカッコイイ感じのがあったな。


「治世の能臣、乱世の奸雄か」


「な、なぜそれを!」


 今度は曹操が血相を変える。何故と言われると説明できないのがもどかしいが、書いてあったんだよ漫画に。


「我は汝南の許子将だ。そなた、先ほどの言葉は」


 理由は言っても解らんだろうし、まあ適当に誤魔化すか。


「何となくそう思ったまででして」


「うむ! 我と全く同じ鑑定をするとは、何たる巡り合わせか!」


 なんてこった、こいつの言葉だったのか。それは流石に俺でも驚くぞ、かといって最早吐いた言葉は戻せん。曹操が顔色を変えたのも納得だよ。


「島介殿、もしや名の有るお方では? でしたら是非とも号名などを教えて頂きたく」


 曹操が正面に向き直り手のひらと拳を合わせて拝礼する。別にそう言うわけではないんだよ。


「全くそんなのではない、何処にでもいるようなただの大男だ。むしろ曹操殿といえば名だたる名将の指導者として甚だ有名ではないか」


 曹操は目を細めて「名将ですか、例えば?」評判を聞きたいのか、だったらそうだな「夏侯惇、夏侯淵兄弟、それに曹仁、曹休、曹真らは間違いなく将来大官だろうな」実は他の名前は良く知らん。夏侯尚だとか、曹なんだかとかは偽物っぽい印象しかないんだよ、テレビゲームのせいだろうな。


「なんと……外に出しても居ない文烈の事まで知っておられるとは」


 文烈とは誰だ? うーん、ここに呂軍師は居ないんだ、あまり喋るべきじゃなかったか?


「いや島介殿は事情通のご様子。典偉とも知己のようですので、今日はここで語り明かしはしませんか」


 許先生とやらが誘って来るが、さてどうしたものか。


「親分、俺はいつでも構わないです」


「そうか? まあ俺も暇つぶしで来たんだ、それもいいか。許殿、少し付き合って貰えるとありがたい」


「おお、それは重畳。我のような者は、知識欲というものがありましてな。今宵は楽しみで心が躍る! 曹操殿はお帰りを」


 急に冷めた顔つきになってか、この態度の違い様が凄いな。俺も曹操とはあまり関わるべきじゃないだろうから、ここは黙っているとしよう。面白くないだろうが、曹操は何の感情も無い表情で「それでは許先生、島先生、お暇させて頂きます」なんて言って去って行ったよ。

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