第176話 第4部 流民

 村長の家に招かれて話を聞くことになった、態度は柔らかく食糧難のところにイノシシを持ち込んだ俺を客として見てくれているようだ。


「陳留郡の雍丘県? うーん、俄かに場所がわからんな」


 少なくとも以前に俺がいた版図とは外れた場所らしい。


「冤州で御座いますな。これより西方へ行けば首都が御座います」


「すると、許都の方面?」


「許都で御座いますか? 許ならば南に御座いますが」


 そうか、都にする前は許って名前なんだな、ようやく居場所がわかったぞ! ということは陳留国とも同じなんだなここは、まあ名前しか知らんが。ここは劉協の本貫地だ。なるほど筋書きが読めて来た。


「いえ大体わかりました、ところで今は何年でしょう?」


「霊帝陛下の治世、光和の四年であります」


 うむ、全く解らんぞ! なんだ、何をどうすれば年代を特定できるんだ?


「うーむ、皇帝の子らは?」


「弁様が御座います、それに今年の冬に次子の協様がお生まれになり、漢室もご安泰でありましょう」


 劉協の生年か! あいつ一体何歳だったんだ? 聞いたことがないが、当時五十歳位だとしたらだ、今は西暦百八十年あたりってことか? まだ諸葛亮も産まれて居なければ、俺の関わった奴らの殆どが産まれてないか子供ってことだな。


「ということは曹操や劉備が?」


「はてどなたでございましょう。島殿は記憶が? どこか頭を強くお打ちになられたのでしょうか」


「うむ、若干記憶が混濁している。だが問題ない、そのうち思い出す」


「村に滞在いただくことやぶさかでは御座いません。ですが飢饉があり、満足な食糧も無く」


 どこでも食糧難は基本だからな、何せあればあるだけ食っちまう、ヒトなんて所詮そんな生き物だよ。狩りをするってんなら道具さえあればどうとでもするさ。


「馬と弓矢、それに槍に剣を貸して貰えれば狩りをしてくるさ。テコに一人若いのをつけて貰えると助かる」


「さして良い品ではありませんが、用意致しましょう。若い衆はお任せを」


 取り敢えずは何かしらアクションがあるまではここに居ることにしよう。今回のお題は一体なんだろうな。


 春から夏のうちにこれといった変化がなく、俺はずっとイノシシやシカなどを狩り続けていた。何とか弓も使えているようで、これといった危険も無く良いペースでだ。すると村の食糧も余裕が出来てきて、近隣に売りに行き欲しいものを買って戻るまでになる。


「こんな働きでも救われるものはいるもんだ」


 勝手な感想を持ちながら、騎乗したまま若い衆の戻りを待つ。小黄県は妙に栄えている、というのもこのあたりの治府が置かれているかららしい。従卒を複数連れて歩いている若い官吏を見掛けた。


「まだ二十歳そこそこなのに、歳上を連れて歩いているか。どこか良家の産まれってことだな」


 家格が立場を作り出す、功績ではない。そんなことはいくらでも経験してきたので、今さら何とも思わない。だが恨み妬みを受けることは、そんなのとは関係ない。むしろそういう奴が狙われる。十人ほどの柄が悪い男らが突然その若い官吏を囲むと刃物を突き付ける。


「やいやい、お前が癒彫だな! 大将の後ろに隠れては、いつも虎の威をかっているやつは!」


「聞き捨てならんな、私は良かれと思い領主様の手足となっているのだ」


「全部が全部そういうわけじゃあるまい。お前の悪行が知られていないとでも思っているのか!」


 問答無用で襲い掛かるわけではない、ということはそれなりに理性があると言うことだ。もしかしたら一理あるのかもしれんな。


「賊徒が吠えるな! 貴様等のような奴の言など誰が信じるか」


「それは非行を認めると言う意味か?」


「ふん、どうとでも解釈すればよろしい。私は領主様に対し二心はない」


「ならば俺が裁いてやる! 覚悟しろ!」


 賊徒の首魁が手にした剣を振りかぶって、癒彫に切り掛かる。すると癒彫は無様に真横に転がって、土にまみれて逃げた。どうやら文官のようだな。


「ゆ、癒彫様をお守りしろ!」


 従卒が剣を手にして円陣を組んで癒彫を守ろうとする。賊徒がぐるりとそれを囲む。ぱっとみたところ癒彫の方に勝ち目はなさそうだ。


「やれやれ、別に見過ごしても構わんのだがな。まあいい」


 馬を寄せると槍を手にして近寄る。


「やめんか! 天下の往来で刃傷沙汰とは、住民への迷惑を考えよ!」


 賊徒の首魁を睨んで槍の切っ先を地面に向けて一喝する。皆の注目を集めたので「文句があるなら俺が相手になってやる!」怒りの表情を作って威嚇した。


 盗賊も、癒彫らの体格も皆が百五十センチそこそこしかない、だというのに俺は百八十センチを超えている。体重でいけば二倍の差がある。そんなのが争おうと思えば戦力で見れば五倍十倍の話では済まない。


「この非道者の肩を持つと言うのか!」


 半歩後ずさりながらも、首魁は歯を食いしばって逃げて行こうとはしない。そこは褒めてやろう。


「そうであるならば、上長へ非を訴えよ。お前が直接手を下して誰がそれを正義と認める?」


「む、そ、それは……」


「癒彫とやら、なんら非が無いならば訴えを受け入れて、潔白を証明すればいいだろう」


 地面に腰をついている癒彫がこちらを見ている。


「なぜそのような無法者の言を容れねばならんのだ! 私はそのようなことは認めぬぞ!」


「そうか、なら好きにしたらいい。俺は止めたからな。勝手にやってくれ」


 急にトーンを落として飽きたかのような喋りになる。すると首魁が「そうだろ! なんだよ、ビビっちまったぜ。やい癒彫覚悟を決めろ!」じりじりとにじりよる。


「ひぃ! お、お助けを!」


 首魁が剣を振り上げて、それを下へと振り抜こうとしたところに石が投げつけられた。農民服の若い男が突進していき、首魁を跳ね飛ばす。なんだあいつは! 俺よりも背は低いが体格はどっこいだな。ラグビー選手のような体つきだぞ。


「おお典偉! 丁度良い、私を守るのだ!」


「理由は知らねぇが、男なら一対一で勝負をつけろ!」


 なんだそりゃ、ちょっと笑いそうになったぞ。癒彫の奴も目を白黒させているな。あいつはどうでもいいが、俺は典偉とやらに興味がわいた。馬を戻すと「おいそこの若いの、中々良い動きじゃないか」挨拶とばかりに話しかける。


「ん? なんだあんたは」


「俺は島介、お前は」


「俺は陳留郡已吾県の住人で典偉だ。今日は使いでここに来ている。男らしくない姿を見かけたので止めた」


 ふむ、一直線って感じがするな。磨けば下士官のような使い道には適切だろう。


「そうか。どうだ一つ俺と素手で勝負しないか? 俺が勝てばお前を部下にする」


「ほう! じゃあ俺が勝ったらどうする」


 鼻息も荒くこちらを見ているが、どうにも悪意も敵意もない。純粋な暴れん坊ってところか。


「逆に俺がお前の為に働くさ。どうだ」


「おう、やってやる!」


 癒彫と首魁は妙なことがすぐ傍で起きてしまったので意気を削がれてしまったようだ。まあどうでもいいがね。下馬すると武具を全て地面に置いて、進み出る。お互い目の前には一人しか映っていない。


「さあ典偉とやら、俺が訓練をつけてやる、掛かってこい!」


「俺を舐めるなよ!」

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