第174話

「魏帝であるなら結構。貴殿は捕虜だ、大人しくしていれば命は取らん。それと俺は戦場で頭を垂れるつもりはない」


「……ここまでか。好きにするが良い」


「丁重に扱え、成都まで同道してもらうぞ」


 とはいえまずは許都からだ。歩兵と合流するのを待ってから、各地へ伝令を飛ばさせた。魏軍の地位ある者へは玉璽を捺した勅令を出させて。


「蜀の勝利だ、勝鬨をあげろ!」


 ここで気を緩めてはいかんぞ、夢の道半ばと思い緊張を保つんだ!


 魏は覇権を失った。魏帝が名ばかりで全ての権限を奪われ、祭祀のみを許されても忠誠を誓う者は存在している。あやふやになった問題も、これからのことも、多くのことが未決のままでも道を進む。


 皇帝劉禅が喜んで劉協へ恭順した。というよりは禅譲の形をとり、蜀こそが漢を継承していたという歴史を残したことで満足し、重責から逃れられるのを望んだ。多くの者にとって意外な結末、蜀は全土を掌握するのかと思えば消え去って行った。誰を憎めばよいか、誰を頼れば良いか、どこへ向かえば良いか、どこに帰れば良いか。


「それにしても、こんな儀式で俺を呼ぶこともないのにな。そうは思わんか?」


「ご領主様なくして終わりはしませんので」


 いつものように陸司馬を引き連れて、南陽にある新たな都の宮殿を歩いている。成都や建業、許都は軋轢が出るので外し、長安、洛陽は中心からずれるのでやはり外した。そのうえで、最大の人口を誇る南陽郡襄陽が新たな都に選ばれた。


 地理的なものだけではない、魏呉蜀のどれもが長期的に周辺を支配し続けたことが無いので、バランスが良い住民感情になっているのもうかがえたから。ついでにいえば各地の異民族らの中心になり得るのもあった。水路だ。山に囲まれた洛陽や長安よりも交通の便が良い。


「劉協の初勅の儀というが、各任官もあるらしいからな。一応見に来るくらいは考えていたぞ」


 全ての官職を辞職して、中県の侯や儀礼部分のみを残した。権力的には全て真っ新、皆の驚きが凄かった。李項や陸司馬らは別に何とも思っていなかったようだが。


 魏帝を捕虜にした時、成都では孔明先生が丁度劉禅を奪還して廖化を追放したところだったそうだ。停戦勅令は廖化の仕業で、正式な手続きはしていたから有効だったという話もある。もしそれで止まっていたら、きっと魏は廖化を後援して蜀を攻め落としていただろうな。


 それにしても司馬懿の奴はどこへ雲隠れしたのやら。あの戦いの後に何処へ行ったか不明になった、一族全てが。


「つきました。では行かれますか」


 すっきりとした表情、こいつも散々無茶に付き合わされて報われていない。後で何か口添えしてやるとしよう。頷くと扉を開くように門衛に示すと、両開きのそれぞれに兵がついて重い扉を引いた。


 石造りの宮殿、彫刻も素晴らしい。豪奢な装飾に、多数の男達。深紅の絨毯がずっと奥へ延びていて、左右に大勢の文武の官が起立している。扉が開かれ、俺が中央を歩み始めたことに気づいて、多くの者が列を乱して絨毯の脇に並び両膝をついた。


「島大将軍に拝礼!」

 

 全てではない、部下としてあった者達だけだ。だがそれも不要、今はただの客人のようなもの。


「列に戻れ、俺はもう大将軍ではないぞ」


 やれやれとゆっくりと真ん中を歩く。中ほどまで進むと、段上に居る孔明先生が優雅に一礼した。蜀の丞相からそのまま漢の丞相へと鞍替えし、自身の願いを叶え、夢をひた走っている最中。顔色も良いし何も言うことはない。劉協が玉座に座っている。何とも言えない貌だ、あいつもまた夢の途中なのかもな。


「龍よ、多くの者に恩賞を与えたが一人だけまだだ。せっかく来てくれたのだからこれへ」


 段上すぐ隣にこいと招かれる。あたりを一瞥してから、一歩また一歩進む。誰か止めてくれてもいいんだが。階段を登り切って、劉協の目の前に来てしまった。くるりと振り返り、並んでいる奴らの顔を見る。


 蜀の者が多い、それはわかるがこうも色とりどりが集まったのは初めてじゃないか? 北西南の異民族の代表も並んでるからな。まあいい、後は皆で上手い事やってくれ。前を向いて軽く片手をあげる。


「劉協、俺はこれで引退する。皆と手を取り合いしっかりと国を導いてくれよ」


 畏れ多くも皇帝に向かって呼び捨て、気分が悪いものが多いだろう。だが劉協は全く意に介さないで「残ってはくれんのか?」不満というか、少し寂しい表情を浮かべる。


「俺がいると争いが起こる。惜しまれつつ退くのが一番いいんだ」


 惜しまれているかは知らんがね。人に大切なのは引き際だと俺は思っているクチなんだよ。


「それが龍の意志ならば、朕はそれを尊重しよう。だが何も無しで行かれては、信賞必罰の精神を蔑ろにすることに繋がる。それは解ってくれるな」


 そういう例えを出されたら反論するに出来んな、部下の手前自分だけそこを特別扱いしろというのも筋が通らん。


「そうだな。だがこれから多くの者の為に力を尽くそうとしている者達こそ大切にして欲しい」


 振り返り後ろに並んでいる者達を見渡す。


「ここにはより良い明日を作るために、今日を研鑽する者が山のように居る。そしてここにいる者達はすべからく過去に努力を積み重ねて来た者達だ。国の宝は彼等なのだから、去る者よりもこういった若者に厚く報いて欲しいと願う」


 劉協の方に向き直り目を見る。暫し沈黙していると、列の左右から中央前列に進み出て、並んで膝をついて段上を見詰める。姜維、鐙芝、李項が最前列、後ろに多数が連なっている。


「陛下にお願い申し奉ります。どうか、島大将軍に最大の恩恵を!」


 大勢がそれに唱和して、三度言葉が繰り返された。一度受けて後に返還してもいいか、今はこいつらの行動を容れてやるべきなんだろうな。目を閉じて大きく息を吸い込んだよ。


 劉協が笑みを浮かべて片手をあげて皆に応える。過去に曹操の配下が屈辱的な内容を強要してきた時とは違った請願を受けて目が爛々としている。


「こうも多くに願われては叶えぬわけにもゆかぬな」


「甘んじて受け入れよう、だが俺の願いも蔑ろにはしてくれるなよ」


 これで上手く行くならいいさ、俺は全てを受け入れるよ。


「その前に確認すべきことがある。漢で暮らしてはくれるのだな?」


 まあそいつについては目が覚めるまではここに居る必要があるからな。いつどうなるかは俺には解らん。


「ああ、運命が尽きるまで俺はここに在る」


 命ではなく運命とは言ったものだ。ふと目が覚めて塹壕の中という線もあるぞ、長い夢も終わってみれば数分だったなんてザラだ。


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