第172話

 水中を共に泳ぐ黄色と黒の縞々、獰猛な虎が一番に上陸した。多少の矢や剣撃では分厚い皮を傷つけるだけで致命傷には至らない。


「グオオォォ!」


 咆哮をあげると近くの兵に襲い掛かる、足元には舌をチロチロさせている蛇。噛まれでもしたら毒で麻痺してしまいそのまま死に至るので気が気ではない。及び腰になったところで矛だけ持った半ば裸の水兵が上陸していった。漢中の時もそうだったがこいつら尖兵は命を盾にして時間を稼ぐのが役目。


「太鼓を打ち鳴らせ、出来るだけ派手に大きくだ! 南蛮兵にも聞こえるように気合いを入れろ!」


 側近に命じて何せ怒声でも何でもいいから音を出すようにさせた。盾と矛をぶつけてガチャガチャさせるのも同時にだ。小さな半円を作ると、一人ずつ南蛮兵を引き上げていく、そいつらは少しだけ装備を抱えているので、立ち上がると即座に最前列へと躍り出る。


「石将軍、夏将軍出ろ!」


 李項の命令で筏が二つ流される、そこには完全装備の兵士が乗っていて、互いに腕を組んで落下しないようにしていた。中央にはそれぞれ将軍が立っている。筏の上からおもりが括られた縄が投げられた、それを南蛮軍が掴むとグイグイと引き寄せる。


「おっしゃ、野郎ども進め!」


 石苞が剣を手にして上陸すると、真っ先に自ら魏軍へ切り込んだ。矛のみの水兵がそれに気づいて場所を譲る、進出できるまでは邪魔になるので水中に居場所を移す者もいた。


「次の筏を流せ!」


 縄を切られた最初の筏が下流へと遠ざかっていく。次の筏にも二十人の完全武装の歩兵が乗っていて、今度は水兵の手助けも加わり速やかに上陸。前列を交代する。


「弓兵を出せ、騎兵も出るぞ!」


 筏には弓兵が十人だけ乗っていて、両岸に向かって並んでいる、その後ろに騎乗した奴らが続いた。木製の盾に身を隠して、水上へ攻撃を仕掛けて来ようとする奴らを狙い撃つ。不安定極まりないが、騎兵も弩を使い捨てて反撃をしながら上陸地点へ向かう。


 騎兵が来るのを見て「総員三歩だけ押せ!」石苞が大声を上げて後列も前に出て無理矢理に場所を押してゆく。上陸した騎兵が二騎、岸の側の歩兵が急に後ろに下がると空白地帯を作った。


「突入!」


 狭いところへ二騎が突っ込む、馬体に跳ねられて魏兵が河へと吹き飛んだ。するとその二騎も何と河へと身を移す。そこへ助走をつけて別の二騎がまた突入した。上陸の幅が広がり居場所を得た水兵が水中から這い上がると、空いた場所へと詰める。弓兵も上陸すると一気に手狭になった、だが魏兵の頭上に蛇を次々と投げつけると魏兵が動揺して押されてしまう。完全装備の歩兵は足もサンダルではなく長靴で厚手の服を履いているので蛇がそこまで怖くないのが影響していた。


「島大将軍、我が軍有利に進んでおります」


「そのようだな。周辺の偵察から敵軍接近の警報は無いか」


 勝っている時ほど慎重にだ。いま後方から本陣を攻められたら一気に動揺が伝播するからな。


「三方二十里に敵影は御座いません」


 ならば少なくとも半日は攻撃に専念できる、それまでに門を奪取したいがどうだ。上陸拠点を確保して、装備を移して泳げる奴らは個別にそうさせた。岸で武装して送り出す、まだ門に攻撃を仕掛けるには時間がかるぞ。


「なあダオ将軍、あの崩れてる水門から城壁に上がれるんじゃないか?」


「なに?」


 グエンタインの指摘する場所をじっと睨む、目がかすんできてあまり良くは見えてないんだよ。城壁の上には柵が置かれてるから、多分警戒してるんだよな。ということは出来るかも知れないからこその対応だ。


「なるほど。犠牲が出るが」


「戦で人が死なないことがあるのか?」


 純粋にそういわれると返す言葉も無い。そうだよこいつはその戦争ってやつだ。


「うむ! グエンタイン将軍、越南軍で攻撃をかけられるか」


「地に足がついていて、人が相手なら出来ないことなぞない」


 未来へ向けた何とも含蓄ある言葉だよ。空や水中、海の先になったり、人じゃなくて機械やミサイル、電波が敵になる時代でも通じるな。


「よし、城壁を奪取し門下の魏軍を攻撃するんだ!」


「ダッサキアリ!」


 了解って感じだったか、通じてればいいさ。司令官は待つのも仕事、じっとしていること昼頃、ついに門の奪取に成功したと一報が入る。どこの門が開くのかと凝視していると、北西のところが開いた。なんであんな離れた場所なんやら。


「グエン将軍、越南軍を侵入させろ!」


「応! 統制が取れなくなる、俺が前に出てもいいか?」


 このまま本陣に縛り付けて置けば咄嗟の際に動きが良いが、兵士が勝手に暴れまわると収拾がつかんくなる。


「馬謖、周辺状況を」


「はっ、敵影は御座いませんが、北東の曹真軍が幅広く布陣しており、そこより一部がこちらへ向かってくる可能性は御座います」


 可能性も何も来るだろうな。そいつらの距離次第だ。


「どのあたりに来ている」


「四十里ほどかと」


 中国のそれでは十六キロ見当か、軽装で走っても一時間は掛かるな。騎兵ならそうも言ってられんが。


「グエン将軍、城内で指揮を執れ。ただし門付近に居て軍旗を掲げ居場所を明らかにしておけ」


「解った。では行って来る」


 ぞろぞろと側近を連れてグエンが城へと行ってしまう。こちらの攻めは李項が上手い事やるはずだ。


「多めに偵察を出して見逃すことが無いようにしておけ」


「畏まりました」


 ここから逆転負けを喫する状況を想定しろ。まずは俺が倒れることだ、それだけは阻止しなければならん。


「陸司馬、暗殺者が他に紛れている可能性がある。周囲の警戒を厳重に行え」


「はい、ご領主様!」


 首都で孔明先生が負けて、勅令で停戦を命じられた場合だが、それを握りつぶしてでも攻め落とす。何と言われようとここで止めるわけにはいかん。


 他は何だ、鐙将軍や呂軍師らが戦死するのがあるが、魏延と姜維を含めて誰かが生きていれば総崩れはしない。その位の能力も人望もあるやつらばかりだ、そこは心配ない。劉協は今のところ戦の結果とは関係ない、そおは戦後の問題のみだ。


 現実的な線で行けば、皇帝が逃げて持久戦になり糧食が不足することだな。連合が空中分解してもそうなる。やはりここで決めなければならんぞ。やきもきする時間を一時間過ごす、そのうち城内戦が激しくなってくる。


「伝令! 東部に魏軍を発見しました、その数凡そ二万。『満』『伏波』の軍旗を確認!」


 あいつか。曹真軍はそれでも互角で戦えると見たわけか、鮮卑も口ほどに無いのか、それとも殊勲者がいるのか。まあ郭淮だけいれば充分なんだが。


「大将軍、東部は河があるので防備に抜かりは御座いません」

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