第170話

 短い間に二度も同じことを口にするとは、しかしどうやってこんなに早く。


「お、俺が、鐙父だ。仲容のは、話を聞いてきた」


 ふむ、吃音症か。まあそんなものはどうでもいい、ここにこいつが在ることが最重要だ。


「良く来てくれた鐙父。俺が蜀の大将軍、島介だ。来てくれたということは任官の意思があると受け止めても良いかな」


「そ、そのつもりだ。お、俺が大司農典農将軍というのは、ほ、本当か」


「ああ間違いない。やってもらいたい土木工事の指揮があるんだ」


 じっと見つめて返事を待つ。だが言葉が出ないようで幾分か間が開いた。これも吃音症の一つだ、知っていればどうということもない。


「こ、こんな喋りかたをする、奴が、お、おかしいとは思わないのか」


 石苞が黙ってこっちをみてもの言いたげにしている、そう心配するなよ。


「この国よりも遠く海を渡り西へ西へと行ったところに、大英帝国という覇権国家がある。こことは違い、海洋を支配することでその世界を拡げた国だ。聞いたことはないだろうがな」


 何せまだ生まれていない、知らなければ知らないで別にどうとでも出来るから問題はないぞ。二人は顔を見合わせて首を横に振る。


「そこの支配者層では吃音があって当たり前。上流階級を気取るために敢えてそういう喋り方をする奴が多いんだ。特に軍の将で国家の中央機関を出た奴らは好んでそうしている位だ」


 目を見開いて驚愕の表情を浮かべた、余程のショックだったようだ。


「そ、そんな国があるとは知らなかった! そ、そうか」


「さすが大将は物知りだな。士戴、どうするんだ」


「お、俺は……蜀に仕官する。だ、大将軍の指揮に従います」


 外套をはねて膝をつくと礼をした。俺も膝をついて肩に手をやると立ち上がらせる。


「そういうのは儀式のときだけで良い。俺はあまりそういうのが好きじゃないんだ、きっちりと働いてさえいればそれで構わん。態度も改める必要もないぞ、石苞を見てみろ」


「なんだよ大将、まるで俺が無頼みたいないいかたじゃねぇかよ」


「どう好意的にとっても御曹司とか紳士って柄じゃないだろうが」


「ははっ、違げぇねぇ」


 声を出して共に笑うと「そういうわけだ士戴、頑張って天辺狙ってこうぜ!」肩に腕を回すと親指を立てる。砕けるのはイイが、礼儀作法の勉強はしてもらうことになるなこいつは。そんなのは呂軍師、いや董軍師に丸投げだ。


「そういえばどうやってこんなに早くに連れてこられたんだ? 宛に行って、休まず移動してもここに来るまでにどう見積もってもあと数日は掛かる計算だったが」


「ああ、宛には行ってねぇからな」


 両腕を頭の後ろに回してサラッと初期の計画をすっと飛ばした発言をする。睨んでやるが全く気にせずに「新安に直行して、その場で士戴に説明して引いてきたんだ」それが出来れば苦労しないって話だったはずだが、旧知の間柄は伊達じゃないか。


「鐙父はそれで良かったのか」


「お、俺は、周りくどいのは、す、好きじゃないからいい」


 なるほどな。じゃあ以後はそういう感じでやるとしよう。


「そうか。では早速仕事の話をするぞ。見ての通り大雨だが、許都を干上がらせるか水浸しにするかの二択で城攻めをするつもりだった。鐙父ならどうする」


「み、水には困らないだろうから、こ、洪水を起こす方だ」


 そうなるよな、五日前はそんなことを一切感じさせない空模様だったんだぞ。雨季ってやつなんだろうか。


「俺もそう考えた。何とか堰を作って一気に放流し、丸太を流すなどして城を壊したかったが工事が上手く出来ん。そこでお前の出番だ」


 地図を持って来るように下僕に命じて計画をさせようとしたが「あ、頭にある。清撰河に堰を作って、ほ、崩壊させるのは無理だ」それを頑張ってやろうとしてるのに無理か、そんな気はしていたんだがね。


「ではどうやって命題を達成させる?」


「せ、石梁河と、小黒河を、せ、清撰河にまとめて流す」


 なるほど、ひとまとめにすれば水量は爆発的に増えるな! あっというまに納得の思考だ、それでどうやるんだそれは。


「方法は」


「ち、地形的に中央の標高が低い。せ、石梁河と、し、小黒河の流れを曲げてしまえば、か、勝手に合流する」


 標高差があるか、これぞ支配者が誰だったかを語る情報量の差だね。こういうのは専門家に任せるべきだというのがよーくわかるよ。


「かなりの大工事が要るのでは? 残念ながらこの大雨のせいで工夫が集まらないんだ」


「よ、呼び水をすれば、あ、あとは上手く誘導できる」


 ふむ、やらせれば上手くするだろう。出来なければ必死に城に食らいつくしか未来はない。精々門司馬を買収したり脅したりだな。


「俺には解らないことが解った。鐙父に権限を与え任せる、結果で示してくれたらそれで構わん。石苞も手伝え、参軍らもだ」


「ああ、俺もそのつもりだ。さっさとやろうぜ士戴!」


「お、俺以上にせっかちだな。だ、だが面白い!」


 仕事に面白さを感じてくれたら上司冥利に尽きるよ。思いがけない形で解決しそうでなによりだ。


 丸太の先を大雑把にでも尖らせて、先端を南側に向けて河の側に積んでおく。縄を切れば河に落ちるようにしてだな。それにしても長雨が続く、兵糧切れで撤退する憂き目にあっていたと思うとぞっとするよ。

 四日の休養時間を得られて、親衛隊と護衛隊の負傷者が体力を回復した、怪我が治るには程遠いが疲労からは脱却している。


「そろそろのはずです」


 黄参軍が合図を待って遠くを見詰めている、大きな旗が小高い丘に立てられている。狼煙では雨のせいで上手くないので、旗をリレーさせることで連絡をつけようとしている。地鳴りのような音が聞こえてくる、それと同時に旗が振られた。低く鈍い音が響き、次いで揺れを感じる。


「む!」


 目の前の平地に津波が押し寄せるかのような光景が広がる、鐙父が上手い事やった証拠だ。


「縄を切れ」


 命令を下すと、黄参軍が傍の連絡係に大声で「赤旗を振れ!」知らせる。それを見た者が丸太の縄を切断する。バラバラと一気に河に転がり落ちて、物凄い勢いで流れて行った。あれが壁にぶつかると壁の方が崩れるよな。少なくとも水門は破壊できるだろう、侵入出来るかは別問題だが。


 一時間程待つと、伝令が駆けて来る。通れる場所が少なくて辿り着くのに時間がかかったが「報告します! 許都の水門と、城壁の一部を破壊しました!」最初の目標を達成したことを伝える。


「これで城内は水浸しになるでしょう、戦どころではありません」


 それだけでは落城しないとわかっている馬謖が次の手立ての想定をしている。こちらは変わらないが、あちらは生活が激変するから混乱が起きている最中が良いのか、状況が悪化してからが良いのか。


「いつ仕掛けるべきだ」


 参謀らの意見に耳を傾ける。どちらが良いとはっきりとわからん、こういうのは初めてなんだよ。純粋に戦の事に関する判断が出来るのは馬謖だけではあるが。


「家屋を失い雨に晒される時間を経て後が宜しいでしょう。さすれば二日後の朝方が吉かと」


 居場所を無くした者達がひしめき合い、環境が悪化して休めずストレスで二日か、納得いく見立てだな。


「よかろう、二日後の未明に仕掛けるぞ。それまでは兵を交代で休ませ、乾いた着替えを用意出来るように準備をするんだ。馬謖、李項らと協議しろ、今晩会議を行う」


「ははっ!」


 さて、こちらのことはそれで良いとしてだ、ベトナム軍はどうしたものかな。あいつらも明日は休ませてやりたい、その上で早起きだ。しかし、これは船が沢山いるんじゃないか?


「警告! 北西より不明集団が接近中!」


 伝令がやって来て不明の第一報を吐き出す。河の向こうにだな、どこの敵軍だ? 洛陽に向かうよりこちらに向かった方が近いからやってきたんだろうな、まあすぐに判明する。どしっと構えて雨中で一時間、後続の伝令がやって来る。


「御大将、北西より『大帥』『南蛮』の軍旗を掲げている亜麺暴王がやってきます!」


「ほう、そうか。近くに来たらここへ呼べ」


 北西部の水上補給線が洛陽の魏軍に邪魔でもされたか、むしろ現状こちらに居る方が好都合ではあるな。丁度いいからあいつの意見も聞いておくとしよう。夕方になると亜麺暴王が単身で幕にやって来た、ずぶぬれだが妙に生き生きとしているのが不思議だ。


「島将軍、我等南蛮水軍は南西、北西の水上輸送護衛を切り上げ、本軍に加勢に来た」


「ご苦労だ。実は今、亜麺暴王が必要だったんだ」


「俺が? 話を聞こう」


 名指しで必要と言われたら興味を持つのが当然だろ。前のめりな姿勢で聞く態度になる。


「うむ。見ての通りの大雨で、許都に増水した分を流し込んでやったんだが、こいつを攻める側も水浸しで参っている。どうやって攻めたものかと思ってな。そんな時にお前の顔が浮かんだ」


 水角洞の長だ、水関連では右に出る者はいないだろう?


「そう言う話か。確かにこの状態で行動するのは自殺行為だ、時間経過を待った方が良い」


「どのくらい?」


 空をじっと見て目を細めると「二日か三日だな。雨足が弱まれば充分攻められる」大体良いところをついていたわけか。


「どうやって攻めるんだ? 水門は破壊して城壁も崩れている部分はあるが、並んで進んでも破れるものではないが」


「河の流れに乗って行けばよい。上陸地点を確保してしまえば、後は力の差で拡げて行くのみ」


「そいつが一番難しいだろうな。魏軍だって馬鹿ではない、兵を川べりに集めて警戒するはずだ」

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