第165話

 扶楽城に籠もっていれば、こうまで不利にもならなかったはずだ。だがそうしたら長平は失われ、劉協も自害させられただろう。こうなればもうどちらも変わらんだろうが。


 残しても仕方ないので、最後の兵糧を全て兵に分け与え食事をさせた。皆が皆傷だらけで、無事な兵など探しても見つからない。多くの兵等の視線を集めていることに気づいた。演台のようなところに立つと更に注目された。


「良くここまで戦ってくれた、礼を言わせてもらう。ありがとう。こうなる前に離脱する機会はあった、だが……俺は仲間を棄てて逃げ出すような真似はしたくなかった。軍に在り最期を汚すようなことを受け入れてくなかった。親衛隊には済まんが終わるまで残ってもらう、しかしそれ以外の兵は離脱と降伏を許可する。無駄に死ぬことは無いからな」


 李項、陸司馬らが進み出る。


「ご領主様、我等中県の者は最後までお傍に!」


 銚華も「旦那様と共に在りたく思いますわ」羌族らには各自で決めなさいと突き放してしまった。全軍に動揺が走るも、ここから逃げることなど出来ようはずもなく、さりとて降伏を認められるのも考えづらかった。一人二人と兵も残って戦うと声を上げると士気を盛り上げる。


 戦場に再度大きな声が響く、蜀の敗残兵が死ぬ決意をしたのだと魏軍にも伝わった。誰がその死兵に突撃をかけつか躊躇する、甚大な被害をうけるのは必至だからだ。勝ち戦で死ぬこと程馬鹿らしいことは無い。


 その空白の時間が歴史を変えた。太陽が南中する頃、太鼓の音がどこからともなく戦場に聞こえて来た。それらが東からやって来るのに気づいた者達が振り返る。


「何が起こっている」


 東の軍勢の更に後ろに何かが居るのは解ったが、遠すぎて見えない。櫓から先を見ている兵が「軍勢が見えます、多いですとても! 地上を埋め尽くすかのような大軍が来ます!」要領を得ないようで、それ以外に言いようがない何か。


 というか何故東なんだ? 徐州や青州の兵はもうここらに居る、後続があってもそんな大軍にはならんだろうに。今更来たところで獲物は少ないよ。


「騎兵が突出してきます! それと……あれは何だ?」


「どこの軍だ」


 試みに尋ねてみた、別にどこのでも良いが遅参したのが誰かを何と無く知りたかっただけ。


「あれは……『士』『越南大王』『安遠』それと『南蛮大王』『孟獲』の軍旗を掲げています! 援軍です!」


「何だと!」


 魏軍が騒然とした、いないはずの軍が突如として想定外の方向から現れたことに混乱する。


「俺は南蛮大王孟獲だ! 兄弟、良くぞ持ちこたえた、後は任せろ。魏の雑魚ども俺が相手になる、全軍掛かれ!」


 まるで地震が起きたかのような地響きをたてて二十万の軍が長平に参戦して、東から西へと歩みを進める。河沿いを進んで来るのは象兵、それを見たこともない北の住民は大層驚いて逃げ惑う。河の南から進んで来るのは『越南大王』の軍勢、こちらは普通の兵士に見える。だが後続はやはり南方住人のような見た目だ。


「馬謖、あれは」


「はっ、丞相が懐柔した勢力で御座いましょう。呉の支配下にある交州の士一族、越南大王と称される士燮が呉の参戦を促し海上より大軍を輸送し東海郡あたりで下船したのでしょう」


 呂軍師が言っていたどれでもない勢力があれか! 呉が蜀と交戦するならばあの大軍が呉の首都に攻め込む、魏と戦うならば魏に攻め込むと脅されていたわけだな。河を渡られないからこそ呉は守れているんだ、友軍を敵側にまわして陸から攻められてはどうしよもないか。


「するとあそこのが士燮?」


「いえ、安遠将軍は士徽殿、士燮殿の一子で代理で軍を指揮しているのでしょう。なにぶん士燮殿はお年を召されていて、かれこれ九十歳近いとのこと」


 九十歳だと! この時代でそれは妖怪じみた長寿だな、聞いたことがないぞ。ということは息子だって還暦は超えてるんだろう、どこかの皇太子のようだ。


 これは初めてじゃないか、漢の領土に異民族がこんなに攻め込んで来るなんて。橋の在るあたりからやや東、河の南を進む南方軍の声が聞こえてくる。こちらに声援を送っているように思えたが、兵らは全くの不明だった。


「カムォンス ズゥトゥコバン!」


「ニィナァイ!」


 大声で助かると言ってやると、そこで休んでろと返事があった。ああ、ありゃベトナム語だな。南方軍が言葉が通じる奴がいると不思議に思い、味方がいると認識してくれたのは肌で感じられた。


「ご領主様?」


「ああ、ここで待ってろって。しかし、よくもまあ数を集めて来たもんだ」


 洛陽方面に十万、ここに十万ちょっとか、南蛮地方にまだ数万は残してきてるわけだよな。海にどうやって出るかが問題で、船の問題もあったはずだ。そこを両方解決するのが士燮なわけか、代償はいったい何なのか恐ろしくて聞けないよ。


 曹真が北西へと引き上げていくと、魏の全軍がそれに習うようにして逃げ出していった。長平の平野に大軍の司令官らが集まった。最大の発言権を握っているのは間違いなく孟獲だろうな。


「いや、これは凄まじい勢い。私は大鮮卑の軻比能だ」


「俺は烏丸の赫雷、よく――」


「黙れ木っ端共!」


 孟獲がビリビリとくるような低い声で二人の首領の言葉を遮り怒りを向けた。見るからに巨体、二人とも平均より遥かに大きいが、それでも孟獲はもう一回り大きかった。


「貴様等最後は逃げ出そうとしていただろう、どの面さげて戻って来やがった」


 ずいっと一歩を踏み出すと上から睨み付ける。事実なので反論のしようもないが、別にとどまらなければならない約束も理由もないんだよ。


「兄弟。それに軻比能単于に赫雷単于、助力に感謝する、本当に助かったありがとう」


 一人ずつに礼をして、細かいことは流してしまうようにと誘導した。実は直ぐにやらなければならないことが一つある、それはここに居る者達共通の利益につながる。


「まずは宇山倉に増援を送って、兵糧を輸送してしまいたいがいいか」


「俺が兵を出す。麻婆王、三万でメシをここまで持ってこい」


 ま、マーボー王だって! すまん、これは全て俺が悪いんだ。夢だからってこれはないよな、反省はするがどうにも出来ん。


「大将軍、こちらからも誰かつけるべきでは」


「ん、ああ、李項、悪いが同道して宇山の奴らも引き上げてきてくれ」


「御意!」


重傷者を長平に搬送させながら状態を確認する。俺の直属は大分へたってしまっているな、だが敵が逃げるこの好機を見逃すわけには行かん。だがまずはこれを済ませるべきだ。


「士将軍、援軍に感謝する」

 

 手のひらに拳をつけての一礼、異民族相手とはまた違った態度で臨んだ。一番の年長者でもあり、恐らくは勢力的に見て最大の功労者の代理でもあるからだ。


「士王におかれましては、蜀こそ交州に富をもたらす者として認識しております。此度の軍船の徴用、兵糧の購入、兵員の雇用、いずれを取りましても繁栄を約束されていると、大層お喜びで御座います」


 ん? 孔明先生は国を借り上げたわけか! あまりに壮大過ぎて笑ってしまいそうになったよ。一つ確認すべきことがあるな。


「教えて欲しい、士将軍を始めとした士王の勢力は蜀に協力を約束する契約なんだろうか」


 契約という部分が異民族には少しわかりづらいらしいが、海外と交易していれば士一族なら概念は持っているはずだ。


「左様に御座います。一年間の期限を区切り、品返しも可能として、費用の支払いを約しております。領土でのお支払いも場所によってはお受けいたします」


 なんてこった、こいつは愉快だな。魏から切り取った地域を丸投げは地形上無理でも、呉との三角貿易は出来る可能性を残したか。天才の考えることは凡人には一生理解出来んね。


「蜀の現場責任者は俺だ、早速だが軍を借りても構わないだろうか」


「もちろんに御座います。私が率いている主軍二千以外の、越南歩兵五万をお渡しさせて頂きます。ですが漢語を理解しませんので、通訳も三組おつけいたします。こちらは士王よりの好意で御座います」


 通訳ね、これががん細胞なんだろうよ。まあいい、好意はありがたく受け取るものだ。


「士王には特に感謝を伝えて貰いたい。郤参軍、通訳の扱いを任せる」


 傍にいる若者に役目を振って、越南軍の大将を紹介してもらう。阮成という三十代後半の日焼けした小柄な男がそうだという。文字にして名前を教えてもらった。麻布で出来た服をきて、三角のざるのような帽子を被っていた。


「おれも、すこし、ことばできる、ゲンセイだ」


 何とか漢語を拾い拾い名乗る、意志の疎通は最低限出来そうな気はするが、日常的な会話にはまだまだだな。


「グエン・タインか。俺は島、ダオタンホップだ。ダオ将軍と呼べ」


「ダオしょうぐん、は、ヴェトナンご。ができる!?」


「ああ、俺の妻がそこ出身だったからな。それに郷に戻れば学舎もあるぞ、はっはっは!」


 明らかに余裕だということをはっきりさせておく。これで通訳を使って何かを画策していた部分はご破算だろう、方針を変更して今だけきっちり働くようにしてくれたらそれでいい。


「おなじ、ことばできて、おれ、すこし、うれしい」


「全てが終わったら、皆で乾杯を繰り返そう。軍の移動準備を、追撃するぞ」


「ヴァン!」


 意気揚々と越南軍へ戻って行ったグエンは、粛々と行軍準備を始めてしまう。民族性だろうか、耐えるのは得意でちょっとした休憩より働くほうが性に合っている。


「兄弟、そのボロボロの軍で魏軍を追うつもりなのか?」


 親衛隊は負傷者だらけ、護衛隊も限界を越えていた。羌族兵は疲れ果ててしまい、蜀の正規兵は休息を必要としている。これ以上酷使するつもりならば脱走兵が相次ぐ可能性が高い。


「自分が苦しい時は相手もまた苦しい、そういうものだろ?」


 実はそんなことはないと言われそうだが、ゆっくりとしている暇は俺には無いんだ。首都のこともあるし、呂軍師らのこともあるしで。


「好きにすればいいさ。俺は兄弟の全てを支持する、それだけだ」


 

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