第163話
「城門が焼かれ、これを跳ねのける兵力も無く、長くは持たないでしょう」
確かに一日、二日では陥落などしない。だが守り切れると考える方が甘い、どうみても時間の問題でしかない。
「俺は己の正義を躊躇しない。蜀軍に命じる、長平へ向けて軍を進めるぞ!」
「御意。某が道を作るのでご領主様はどうぞ後をついてきて下さい。親衛隊重装騎兵を押し立てて出るぞ!」
城壁を降りると董昴に引かれている馬の隣に行く。振り返り馬県令に「俺が出て行った後に降伏して構わん。無駄に死ぬことは無いからな」言い残すと騎乗する。先行して出て行った親衛隊騎兵二千、汎用装備に追加装甲を取り付けた鉄騎兵となり魏軍の野営陣地を荒らして南下している。
「おお、国家の大将軍とはかように偉大であるか。天よ、どうか勇気あるものに祝福を与え給え」
馬県令が両手を開いて暗い空を仰ぐ。人はこうやって他人に希望を抱くものだ、だが俺は違う。一万数千の兵を南門から出すと篝火がある魏の警戒線ど真ん中を行く、防衛線は既に李項が破っているのでこれを食い止められるようなものはない。
半ばまで進むと長平から立ち上る煙がはっきりと見えるようになってきた。城の北と東にしか平地は無い、というか陸地が無い。東から来ている徐州の軍が恐らくは主力になっているだろう。空が明るくなってきている、朝日を背にするようにして大きく迂回すると城と挟み込むようにして戦闘を開始する。
「蜀が大将軍島介が相手だ! 全軍掛かれ!」
後ろから攻め込まれて呂虔は本営を前進させて、後衛を振り向けて対応しようとした。狭い地域に密集するような形になった、それを見た長平から船が出てきて南の河から矢を射かける。親衛隊騎兵団は『買』『胡』の軍に突入し、陣営を好き勝手に駆け抜けて指揮を乱す。
『潁川』の軍勢が一旦北東へ出て、こちらの側面を攻撃しようと動く。対応出来る別動隊は無い、正面を向いている兵力の四分の一を右手――北側に振り向けて何とか衝撃を受け止めた。南に河があるお陰で兵力を集中して投入できているが、既に手一杯だった。
二時間交戦が続くと、北側に土煙が上がって来た。扶楽を囲んでいた軍が追撃を掛けて来たのは明らか。
「島大将軍、船で城内へ避難を!」
船上から声をかけて来る長平軍の校尉を丁重に無視して、呂虔軍を何とか押し切ろうとするが倍以上の数を潰せずに足が止まってしまう。弓矢のお陰で与える被害は比して多いが、持久力は兵力に正比例するので中々崩れてはくれない。
そのうち『買』と『胡』の軍が合流して場所を開けると、そこへ郭淮の軍が割って入って来る。
「またあいつか!」
常に戦場へ姿を現し、最善の動きを繰り返す。敵にしたらこれほど厄介な相手もいない、こいつが中級の将軍であることだけが救いだ。昼を過ぎるあたりで完全にこちらの攻めが勢いを失い、騎兵団も合流し守り一辺倒になってしまう。
牛巴軍や夏候楙軍も到着し、現地の魏軍は十万を超える盛況ぶり。夕方になって状況が変わる、河の南側に『汝南』の軍旗が見えたからだ。
「汝南太守殄夷将軍は田予参陣! ちょこざいな蜀軍に厳罰を与える!」
二万前後の兵が河に架かる橋を狙って攻撃を仕掛けて来た。夏予に二千を与えて死守を命じるが、恐らく長くは持たない。呂虔軍が邪魔になり入城も出来ず、我慢比べ、それも負ければ全滅という結末の競り合いが始まってしまった。
太陽がもうすぐ沈む、西の山陰に光が消えようとしたとき、多数の松明を手にした軍が北に現れた。それは色とりどりの独特な旗を持った蛮族。
「我は大鮮卑が単于軻比能なり。我が子、我が友、我が同胞を死に至らしめた魏へ、復讐の刃を突き立てろ!」
来たか! 郭淮軍がいち早く反応し、軍勢を北へと進めると横陣を敷いて味方が対応する時間を稼ぐ。まったくどこまで有能なんだよ。胡軍、買軍、潁川軍に一斉に襲い掛かる、これでこちらへの圧力が一気に減るぞ!
「李項、南の田軍に攻撃を仕掛けるんだ」
「御意。騎兵団追加装甲を解除、突撃槍を棄て潁河を渡れ!」
装備を軽くして機動力を上げる、攻撃して来る相手を倒すにはこちらのほうがやりやすいのだ。陸司馬が呼応して「川沿いの弓兵は渡河を支援しろ!」一斉射撃を命令して、遠距離射撃を行う。たった数百メートル距離を開けただけで、汝南軍の弓兵は渡河の邪魔を出来なかった。
対岸に上陸すると河沿いを離れて南に膨れると、南東側から汝南軍へと突入した。真横からではなく、斜め後ろからなので気づく兵士の数が減る、それ即ち即死と大差はない。完全に陽が落ちても戦闘は継続される。篝火が立てられ、油に火がつけられてあたりを照らし続ける。
夜通し戦いは行われ、朝日が東の果てに見えた頃、大鮮卑の更に北側に『大司馬』『曹』の軍勢が多数現れた。姿を認めると魏軍は大いに士気を高揚させて、一気に反撃に出る。そして、味方が驚く。何と素利が魏軍への攻撃をやめ、河を渡ると李項の騎兵団を狙ってきたのだ。
「田将軍よ、かつての誘いを今受ける! 素利族は魏へ味方するぞ!」
「おお、鮮卑素利大人は我らが友軍だ!」
なんだと、あいつ! 今ここで話し合いをしていたようではないが、寝返りは事実だ。多勢に追われてはかなわん。
「陸司馬、李項に撤退の銅鑼を鳴らして引き揚げさせるんだ」
「承知。銅鑼を鳴らせ! 渡河を援護するんだ!」
またもや大劣勢に陥る、疲労がたまって来て顔色が悪い兵士が散見される。防御の輪を小さくし、交代で休めるようにローテーションを組ませる。だが指揮官が休んでいる暇はないぞ。
朝の十時も過ぎただろうか、混乱は更に激しさを増した。見たことがない鷲の羽のようなものが描かれた旗を多数翻して、二万の騎馬が城の西にある沙河の側に現れ半数が曹真の軍に、半数が汝南軍と素利軍に襲い掛かる。いや、遠くに居るのは赫雷だな。だが南の奴らはなんだ?
「のこのこと戦場に出て来なければこうも苦労せんものを、まったくお人よしは変わらんようだな。代烏丸が単于骨進が来たぞ!」
骨進ったらあいつか! 赫雷のところに居た妙な奴だったが、別部族の若頭だったわけか? 何の利も無いのによくもまあこんなところまできたもんだ。やれやれと小さくため息をつく、だが裏事情は別にあったようだ。
「骨進め、このようなところで会ったが運のつき、この素利がそっ首を切り落としてくれるわ!」
「なめるな素利。魏に利用されるだけの無能が、成敗してくれる!」
汝南軍そっちのけで正面から双方がぶつかりあう。なんだありゃ、どこかで因縁でもあったわけか。どういうことなのかと参謀らをみると馬謖が応じた。
「かつて田予が北方で異民族と対していた際に、素利を懐柔し、骨進をだまし討ちにかけたことが御座います。その際、赫雷により助けられた経緯が」
ああ、なるほど、そういうことか。そのあたりがあってこうもカオスになっているわけか、そうかそうか。問題はそれでもこちらが有利なわけではないことだな。側近が城の上を指さしているので見る、すると西の方角を指さして叫んでいた。
馬上から遠くを見ると、赤い伝令騎兵が立ち往生をしているではないか。ここに居ない親衛隊といえば李信のところのやつだな、何か重要な報告を携えているに違いない。
「長平の水上兵に迎えに行くように要請を出せ」
それはすんなりと受け入れられ、河を走るような素早さで沙河にまで行くと、兵士だけを乗せてすいすいとこちらへ戻って来た。傷だらけの親衛兵は俺の目の前で片膝をついて報告する。
「申し上げます、呉が寝返り魏へ攻撃を仕掛けております。長江を渡り合肥城へ兵を進め、永安へ向かっていた水陸軍は襄陽、樊城へと向かっております!」
「ついに動いたか!」
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