第161話

「そういうことなら受け取る。世が治まったらじっくりと話をしよう。馬謖、各所への伝令を出す打ち合わせをするぞ」


 場を解散させて本営がある呂軍師のところへの報告内容を整理する。こちらで理解出来ずとも、あちらでならば解る何かがあるかも知れんからな。



 視界があまり開けているとは言えない森林地帯を二手に分かれて行軍している。前衛は李項が率いて、後衛は陸司馬が統率していた。面子をみれば随分と無茶をしてきたなと解るような懐かしの奴らが増えていた。


「今回難しいのは主将を倒さずに敵を減らしていくってところだ。出来れば指揮権を得ない内に郭淮将軍を排除したいとすら思っているが、全軍を退けるよりも難しいだろうな」


 散々にうちのめせば半数が残っていても曹真は逃げるだろうが、郭淮将軍に二万が与えられて自由を得れば勝敗すら不明だ。だが幾ら有能でも序列は乱せないし、曹真は出自や階級でものを考えるだろう。何せそれを蔑ろにすれば己が廃される恐れがあるわけだからな。


「曹真は良く言っても凡将どまりの才能だと軍師らが評価していました。ですが部下からの評判は高く、皇帝からの信任も厚い。温厚ではありますが、肥満であることを笑われた時に激怒したとも。恐らくはおのれを卑下されるのを好まず、他者の責を気にしないような性格なのでしょう」


 なるほど、そうすると郭淮の失敗を声高に叫んでも、構わん構わんと許してしまい、なお働きを促進させるわけか。それなら部下から人気が出るのも解らなくもない。


 一方で自分自身へは甘いんだろうな、肥満のうえ侮辱を許せないとは。逆に考えろ、曹真を貶められて部下が落ち付けと制止を繰り返せるものだろうか? 反発してより勢いを増して前向きに動かざるをえなくなるのでは?


 術中にはまっているとわかりながら、それでいてやめることも出来ない。どうにかして魏軍を引き回せれば隙を衝いて撃破することも出来るはずだ。


「簡単なもので良いから、白地の旗を用意しろ。そうだな、数は千本もあれば良い」


「直ぐに揃えます、新たな軍旗をおつくりで?」


「いや、ちょっとした策を思い付いた。郤正の出番が近いぞ」


 それだけ言うとまた別のことを考える、蜀全体についてだ。成都の騒乱がいつ落ち着くかで打つ手が変わって来る、兵糧の輸送も滞ることもあれば、江州で差し止められることもある。不安手は常ではあるが、本国からの保有が途絶えても宇山を確保出来れば多少は持つというのがありがたい。


 司馬懿ならば全て気づいているだろうが、最前線で戦えと命じられてしまえば宮廷の動きについても行けまい。そうなれば注意力を分散させる必要性から万全でも無くなる、それが実務を受け持つ者の弱点だ。


「ここから東部百里までの偵察と地図製作も同時進行させておけ。大雑把でも構わんから急いで地形図を得るんだ」


「御意」


 思い付いた順番に側近に命じて行く、何かを組み上げていると知ってか誰も話掛けてはこない。野営を行い明日は魏軍と鉢合わせるだろうところで斥候が戻って来る、予定の通り新汲周辺で双方の軍が交戦距離まで数時間で休んでいるようだ。


「夜襲を仕掛けてくるのではないでしょうか?」


「だとしても李項が防備を怠るはずがない、不意打ちはされんさ。こちらから仕掛けることもしているだろうが、騒ぎが起こるだけでさしたる被害も与えられん。ならば捕虜がこちらの情報を漏らさんように守りを固めているはずだ」


 あべこべに弱点を晒してしまえば不利になるからな。幕の外で何かやり取りをしているこえが聞こえてくる。親衛兵が一人入って来ると「地元の民がご領主様にあって話をしたいとやってきていますが、いかがいたしましょうか」ここまで取次が上がって来るのは珍しくはない、勝手に却下するのを厳禁としているからだ。


「会おう、通せ」


 陸司馬が左手に立つと剣に手を添えて神経を尖らせるが、決して殺気を漏らしたりはしない。話の邪魔をするつもりは無いのだ。


 親衛隊に連れてこられた老人と中年お二人組み、長老と若頭のようなやつらだろうか。


「お会いいただきありがとう御座います。ワシらは新汲県の住民で申と顧です」


「俺が蜀の島大将軍だ。俺に話があると聞いたが」


 どこかの密偵だという前提で話を聞いておくとしよう、幕の中には親衛隊もいる、直接攻撃はまず届かんぞ。


「新汲の南に魏軍の伏兵が居りますのでお気を付けを」


 目を細めてことの真偽を探ろうとする、兵を伏せる場所は幾らでもある。それと知っていてこちらに報せる理由、そこへ誘い込むつもりか、避けて行軍させるともりなのかを。


「何故俺にそれを教える、そなたは魏の民であろう」


「今日の我らがあるのは荀一族があったため。曹家に尽くし献策を繰り返し忠義を尽くされた荀?様を謀殺せし魏に恩義など御座いません。荀憚様が曹植様に従い洛陽でお立ちになられたのならば、新汲の民は魏を敵として認め、蜀軍に協力をする所存に御座います」


 荀憚の名前を俺の前でことさら出したということは、こいつも曹植から何かを聞かされているクチか。確か荀憚というのは魏の大夫だったのに何故かあの場に居た奴だよな。こうなることを予測して何かしらの備えをさせていたならば、なるほど謀士の肩書は伊達じゃない。


「長老殿の考えは解った。陸司馬、伏兵の存在を周知しておけ」


「御意」


 腐っても鯛とはいったものだ、後継者争いに負けてもくすぶっていたわけではなかったか。流石あの曹操の息子だ、どこまで諦めない執拗さは見上げるところがある。俺も足元をすくわれないように備えるべきだな。


「明日には魏軍が新汲に入城するでしょう、糧食も全て徴発されてしまいます。蜀軍が引き取りに来られるならばご用意いたします」


 うーむ、そうなれば新汲に良い未来はないな。さてどうしたものか。返答に時間が掛かっていると鄭参軍が進み出た。


「策が御座います、某に一任されるようお願いいたします」


 内容を明かさずに実行させる、こいつを信用しているかどうかもそうだが、さては俺が非難されないようにの盾になるつもりだな。


「鄭度、見くびるなよ。全ての責任は俺にある、違うか」


「申し訳ございません出過ぎました」


 正面に立って陳謝する、だがその場を退きはしない。小さくため息をついて「言ってみろ」恐らく卑怯と罵られるだろう中身を聞くことにする。


「されば謹んで献策させて頂きます。新汲に蜀軍が攻め込み兵糧を奪おうとするが、新汲軍の尽力でこれを撃退する。倉の兵糧は全て魏軍へ供出される。この筋書きで御座います」


 それならば長老らが罪を問われる可能性は低い。仮に実現しても曹真は知らなかったとの長老の謝罪を受け入れるだろう、悪魔の所業をな。ここまでで内容に気付いたのは半数、まあそういうことだ。


「混ぜるなら遅効性で死なない程度の毒にしておけよ」


「されば腹下しの類を」


 軽く手を振って承認してしまう。戦闘どころの話ではなく、体調不良が続いて日々憔悴する、死人が出なければ現場での対応に終始するだろう。だが実際は死体よりも扱いが面倒だ、戦場では足を引っ張ってしまう分厄介だろうな。


「長老殿、言葉だけでなく実際に兵を動かし事実を作り上げることを。鄭参軍、兵千を預けるので今夜のうちに全て整えておけ」


 やれやれと退出を指示すると、改めて魏の領土で戦っているんだなと実感を持つ。逆に蜀に攻め込まれてもこういうことが起こり得る、民に厳しいかどうかだけでなくだ。李厳の治めている江州でもそういう反応を起こす可能性は高いな。そういった土地には恩徳が高い人物を、特に太守などに起用すべきだ。


 少しするとまた誰かが傍に来ていたが、今度は確認も無しに幕に入って来る。赤い旗の伝令だった。


「申し上げます、宇山倉の守備隊は離散し、赫将軍の部隊が無傷で占領しました!」


 なんともまあ意気地がないことだ、ここに守備隊を配置できなかったのは行政の縦割りのせいだってんだから困ったもんだろうな。そてこれを早速利用させて貰うとするか。


「そうか。悪いが直ぐに取って返して伝えるんだ、助力の返礼で烏丸族に五万石、大鮮卑に十万石の兵糧を贈れと」


「承知致しました!」


 烏丸は直ぐに連絡がつくだろう、大鮮卑はこれをどう受け止めるかは知らんが、軍を出してくれた事実には報いる。素利が怒るか、懐柔されるか、まあどちらでも構わんし、貰えるなら食糧は手にするだろう。これは司令官としての考えだ、判断としては軻比能は素利がどう思おうと受け取る。


 大軍を指揮する者にとって、食い物がどれだけ貴重なのかが解っていれば絶対だ。後衛で戦闘は起こらずに朝を迎えた。前衛ではやはり夜襲騒ぎがあったようで、結果だけが報告されてきた。無論、ほぼ被害はない、不運な歩哨が命を落としてはいるが。


「李項が撤退して来るはずだ、このあたりに簡易防御陣地を構築して東へ移動するぞ」


 前衛が今度は後衛となって、撤退戦を繰り広げることを想定して準備だけを専門として林を移動して回る。工兵のような役割に特化した、戦闘のみに集中できるように、こちらで炊飯なども受け持つ部分すら想定している。面倒な偵察や防御も行う、李項はただただ直接戦闘のみに集中するように。


 魏軍は積極的に攻撃を仕掛けて来るも、こちらの居場所が不明なので視界が切れるたびに足を止めなければならない。盤石な攻めといえるが時間はかかる、戦略では短期決戦を求め、戦術的には遅延を行う。矛盾しているようで全く別次元の話。それが解らないようでは軍の司令官には不向きだろうな。

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