第160話

「そうか。明日は我が身だぞ、兵に少数で出歩かないようにさせておけ」


 五人一組、最低限これだ。不意打ちを受ける可能性が低くなるし、それだけ数が居たら農民なら見逃して来るはずだ。単独で居たら危険だぞ、後ろに目がついているのは珍しいし、多勢に無勢になれば傷を負うこともある。今度は鎧を着けた奴が伝令として駆けこんできた、色は黄土色だ。


「伝令! 呂後将軍よりです。許都を十万の軍勢が出撃し、長平へ向かっているとのことです!」


「城を出たか! して主将は……司馬懿か?」


 呂軍師の計略がハマったわけだ、首都攻めをするより野戦のほうが勝ち目があるからな。


「こちらへの軍は曹真大司馬です!」


「こちらへは? すると?」


「はっ、召陵方面の前線に司馬懿大将軍が向かいました!」


 なるほど、二正面で一気に終わらせると言う意味か、魏には出来て蜀には出来ない選択肢の一つだな。こちらは兵力が足らず、呂軍師には武将が足らずだ。かといって合流すると何一つ良いところが無くなる。長平に籠もって守り一辺倒が普通なんだろうが、そうすれば補給が途絶えて干上がり最後は民に追放される未来しかない。


 呂軍師を甘く見るわけではないが、司馬懿は流石に相手が悪い。支えている間に俺が首都を攻めるポーズをとるべきだ。


「郤参軍、主だった者を集めるんだ」


「畏まりまして」


 長平に駐屯している属官らが全て集められた。既に魏軍動くとの報を受けているようで、それぞれが出来ることを指示しての集合。全員を見回して「決戦が始まるぞ」いま何が起ころうとしているかを端的に示す。馬謖が進み出て皆に説明を始めた。


「長平方面へは曹真大司馬の軍十万が迫っております、武将は夏候楙、満寵、韓栄、郭淮、牛巴らの将軍の模様」


 主将も次席も傷だらけの奴らだ。それにしても郭淮将軍は過剰勤務じゃないか、休んでくれても良いのにな。


「召陵方面へは司馬懿大将軍の十万、蔡応、孟達、王忠、牛金、司馬師ら」


 蔡応が良くわからんが、現場肌の将軍が多いな、司馬師は司馬懿の息子だな、厄介極まりない。これらに偏将軍らが数知れずってわけだ、尚兵糧は尽きずってな。


 こちらは呂軍師のところに五万前後、ここに二万いるのみ。鐙芝将軍が戻れば対抗は出来るはずだ、日数的にそこまで先じゃあない。


「さて、俺達はどうすべきだと考える?」


 無論渋々な顔ばかりだ、籠もる以外に解決策が見いだせないようだ。行ってしまえば侵攻作戦で全滅するまで戦うほうが頭がおかしい、さっさと引き上げれば助かるのだから。


「籠城をすることで多数を引き付ける、初期の目的を果たされてはいかがでしょうか」


 董軍師が沈黙を嫌い、もっとも現実的で続いている路線を示す。当たり前を当たり前にこなすことが出来れば何の問題も起きない。積極的に支持はせずとも、殆どが納得をしている。つまりはこれこそが相手が想定している姿なわけだ。


「宇山を知ってるか?」


 急に石苞がそんな名前を出した。まあ山の名前なんだよな、人じゃなくて。楊県令が知っていいたようで応じる。


「ここより北北東にある山地ですね。それが何か?」


「魏の穀物はそこに蓄えられてるんだけど、これって典農部でしか知らないもんかなってさ」


 食糧庫か、蜀軍は当然だが、楊県令も初耳のような感じだな。もしかして秘密の場所だったりするのか。長平に閉じ込められると干上がるが、食糧庫を奪ってそこに拠ればどうだ?


「石苞、詳しく聞かせろ」


「ああ。宇山は平地の中央にあって、標高は大したものじゃないけど比較したら位置は高い。渓谷がいくつもあり、間を河が流れてるんだ。そこの頂に在るのが宇山倉で、国の食糧を備蓄してるんだ。東西は三百メートルくらいで南北に三キロはあるうえに、頂上へいける道が狭く少ない。交通の不便さはあるけど、だからこそってとこだよ」


 もし奪うことが出来たら少数で維持できるわけだな、しかも水源付とは守りに極めて有利。そんな場所が知られていない理由を確かめておくとしよう。


「貯蔵庫が知られていないのには何かあるのか?」


「んー、魏になってから州牧や屯田兵がそういう倉庫を抱えるようになって、大司農の職務範囲が狭くなったから知名度が下がった感じかな。食糧不足の地域があれば蔵出しはするけど、それがどこからかまでは気にすることがないだろ?」


「なるほど」


 確かに軍隊を扱うならば自前の役人がいる場所を重用するし、運びやすい場所を使うわけだ。魏の後背地、接敵していない箇所に在る倉は忘れられても仕方ないか。


「そこの守備隊はどういうやつかわかるか」


「都内令ってのが責任者だけど、そいつは都にいるからそれよりかは下だな。四百石の現場司令がいるはずだけど、誰かまでは知らねぇよ。多分、従順な下僕や農民引っ張っていて、官僚が形式的な守備隊を作ってるんだろうさ」


 武官の役所じゃないから兵士も頭数でしかなくて、盗賊らが近寄らなければそれでいいわけか。何よりそんなところを襲撃して成功したとしても、直ぐに首都から軍隊がやって来るんだからプラスになるとは思えない。だが俺達ならばそれは別の話になる。


「そこの倉にはどれだけのものがあるか分かるか」


「確か五十万石くらいだったはずだ」


 すると、五か月は籠城出来るだけのモノがうず高くってわけか。食っていければ兵は増える、これを奪えば補給問題も解決出来るな!


「他にも目をつける魏軍のやつらがいるはずだ、今だって守備兵が増援されていないとも限らん。速やかにこれを確保すべく兵を差し向けるぞ」


 言うが早いか三人が進み出る。石苞、赫昭そして焼良だった。視線を羌族の帥へと向ける。


「山岳地帯でも騎馬を走らせることが出来る西羌騎兵が最適な任務だ」


「我等は全てが騎兵であり、武兵でもあります。是非その役目をご命じ下さい」


 赫将軍のところの郎党が親衛隊よりも万能なのは納得だ。あいつらのようなのこそが精鋭っていえるんだろうな。


「行ったことあるのは俺だけだろ、なら決まりじゃねぇか?」


 それぞれの言い分はもっともだ、これをどうするべきか。端白と赫昭は反目していたが、焼良はそうでもないらしいな。指揮権をまとめるならば赫昭だが、無官ではやりづらいか。尋ねる前にこちらから一方的に与えても、きっと受け取るだろうが、配慮は必要だぞ。


「赫将軍、印綬が無ければ指揮しづらかろう、俺からのもので悪いが仮にでも受け取っては貰えないだろうか?」


 遠回しに三部隊の司令官にするとのものいいだが、他の二人は何も異論を挟まなかった。じっとこちらの瞳を覗き込み「不肖の身では御座いますが、お言葉の通りに」儀礼的な対応ではあるが是認する。


「赫昭を護忠将軍大司馬司寇に任じる。主将を赫将軍、副将に石将軍、焼良羌族帥をつけ、騎兵千を預ける。直ちに宇山倉を襲撃しこれを確保せよ」


「拝命致します」


 馴染みある護忠将軍の印綬と、初任である司寇の印綬を渡す。こちらは警察業務の司令権限であり、実直な赫将軍にぴったりだと思ってのおまけだよ。


「石将軍、焼良羌族帥、速やかに出撃の支度を。凱は郎党の指揮を執れ」


「はい、父上!」


 赫軍五百騎、羌族兵千騎、これに本隊から千騎がつけられ、総勢二千五百騎が一時間とせずに長平を離れて行く。


「準備が整い次第本隊も出撃する、許都との中間地点、新汲に行くぞ」


 平地はあるが林が多く、街道以外は畑が点在しているような田舎。全軍を一気に展開出来るような場所ではない。かといってここに居る蜀軍を無視してどこかへ行ってしまうわけにもならん、戦場を設定できるうちに動くべきだ。


「島大将軍、せめて長平の兵三千をお連れ下さい。何もせずば陳王が失望致しましょう」


「うむ……それは曹行丞相の指示があった時にそうすればよい。楊県令は陳国の防衛に尽くせ」


 兵力は欲しいが、手にした以上は死ねと命じる時がある。俺が躊躇して送り込めないような兵を連れて行くわけには行かん。


「承知致しました。では軍馬兵糧を供出させていただきます、こちらは洛陽にてお借りしているであろうものの品返しということで」

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