第159話

「大将軍、北の橋は石苞将軍、西の橋は夏予将軍、主力は李項将軍にお任せするのが宜しいでしょう。副将に李封将軍を」


「島大将軍、後背よりの攻撃に参加する許可を得たく思います」


 進み出たのは赫将軍だ。騎兵なんだ、行き場所は自然とそうなるな。俺は長平城で待機か、軍船をどうするかこいつも迷っているんだろうか? 馬謖をみるとそうでもない顔をしている、どういうことだろう。


「赫将軍にお願いしたい。馬謖、軍船の指揮官が不在だ、誰が適任だと考える」


「それですが、将軍方は皆が山や平地でのお生まればかり。私は襄陽の河のとほりで生まれ育ちました、少しばかり水上での動きには心得が」


 そういうことか、こいつ自分のことをいつ売り出せるか空気を読んでいたんだな。まあいい、出来る奴がいたのを幸いとしよう。


「序列を定める。李中領将軍を主将とし、副将に李中堅将軍、赫将軍を据え一万三千を預ける、敵の背を攻撃し河に追い落とせ。馬謖は水軍を指揮し河上より攻撃し敵の注意をひくんだ、兵千と弩弓千を与える。夏将軍は北の橋を速やかに確保し命令あるまで待機、石将軍は西だ。それぞれ兵五百を預ける。俺は親衛隊千を残し長平で待機する」


 仲間内への配分を終えた後に楊県令に向かい「水上兵が不足している、長平兵を三千要請したい、武装はこちらで用意する頼まれてくれるだろうか」兵を出して欲しいとお願いをした。


「私は陳王の配下で御座います。陳王ならば快諾されるでしょう」


「うむ。兵を交代で睡眠させ、飯を多めに炊くんだ。だが戦の準備だと気づかれないように、煙には注意しろ」


 細かいことをいちいち指摘するなと言われそうだが、浸透するまで口うるさく言い続けるぞ。


 真っ暗闇の深夜に城をこっそりと出て行く。西の橋には二度河を越える必要があったので、少し早めに石苞は出て行った。主力は北の橋を通ることにしていたので、夏予は自らが現場に赴いて魏の監視兵を素早く包囲して殲滅する。味方が河の向こうへ消えていくのを見送ると、直ぐに防御陣地の構築にとりかかった。


 二時間かけて主力が河の西側、敵陣の西二キロ地点で待機することに成功した。闇の中一切の灯りをつけずに移動出来ているのは、案内の地元民が居るから。手形とは言え食糧を買い上げてくれた蜀軍と、命令だと全てを奪って行った夏候儒軍とを天秤にかけたとき、案内をすると決めたらしい。


 長平城の南から、船が多数出てくる。側面に木の板を立てただけの防備、だが矢ならば充分それで防げるだろう。月明かりの無い厚い雲の空、火種だけを厳重に保管して暗闇で船を動かせているのは、目印としての長平城の灯りだった。


 感覚で以ていまどのあたりに居るかを知っている、これこそ地元民の本領というやつだ。一番大きい船に乗った馬謖が一本の火矢を敵陣に射ち込んだ。暗夜に尾を引いているのが双方から見えたが、見えたのはそれだけ。斉射の後に十度までは灯りをつけずに矢だけを降らせる作戦だった。


「て、敵襲!」


 魏兵が大慌てで起き出して、着の身着のままで矛を持って外に出てくる。だが何か音が聞こえることも無く、矢が刺さって世を去るものが多く出てくる。来ると解っていれば心構えも出来るが、不意に飛んでくるほど怖いものは無い。そのうち火矢に切り替わると、攻撃が河からだと知れ渡る。


「河沿いに集まり射ち返せ!」


 人は何かを夢中でやっている時には恐怖を忘れる、そして周囲が見えなくなってしまう。陣営のうちで南側、すなわち河が交差する部分に駐屯していた郭淮将軍も東へ寄って反撃を叫んでいた。だがすぐに後方が気になりだして偵察を出す。すぐ北隣は主力の夏候儒軍三万が狼狽しながら河へ狂ったように射撃を繰り返していた。


 皇族の血縁というのは何があっても上位を独占し、その罪を問われることが少ない。仮に責めを負っても直ぐに復帰して来る。


「首都方面からも敵襲!」


 そう叫んだ兵が居た。座標の基準が許都なのだから当たり前ではあるが、それは首都を攻撃しようとしている呂軍師の軍だと勘違いを起こさせるに十分だった。それはあっという間に伝播して「挟み撃ちだ!」そう悲観するまで時間はそう掛からない。


「そんなはずはない、首都周辺の蜀軍は手一杯で動かないはずだ! 騙されるな、敵は少数だぞ!」


 郭淮将軍が真実を言い当てるが、三方向を囲われてしまっていて身動きできない。いっそ味方が居なければ一旦北上して距離を取ると言うのに、邪魔になってどうにもならなかった。


 蜀軍が西から攻撃を始めると、魏では「その場を守れ!」という命令が下る。暗闇の中、魏軍の位置は手に取るように解り、蜀軍は居場所が解らず数も不明。戦意がみるみるうちに低下していき、逃げ出そうとするものが出て来た。


 河には蜀軍、首都方面からも、北は暗闇が広がっていて、南には味方がいる。半数は北へ逃亡し、半数は郭淮の陣へなだれ込んだ。時ならぬ混乱が起こる、統制が取れなくなるが移動出来ないので大声で叫ぶしかない。


「落ち着いて迎撃するんだ、敵は少数だぞ!」


 軍船は始まりの頃と位置を変えて、河が交差するところから南へと移る。それでも河の東に多数の矢が落ちて行った。密集する郭淮将軍の陣に、矢が降りそそいだ、火を絡めずに敵の兵力を削ぐ目的で。途中で数本の火矢だけが投じられたが、それは主力への合図だった。


 李項は軍勢を北側へシフトさせて、味方の射程から外れる。去ったわけではない、魏兵は持ち場を守るために体を固くして北側の喧騒を聞いているだけ。同時に戦っている数、蜀は一万を超えているが、魏は数千だけ。しかも弓兵の大半は何もない河へ矢を射続けていた。


「こちらが優勢だな、あと一撃加えれば魏は崩壊する」


 散り散りに逃げ去って行った魏兵だが、北の橋を渡ろうとした奴らは夏予の部隊に追い返されてしまう。何とか形を保って維持しているのは郭淮の本陣だけ、ここばかりは流石に硬かった。だがしかし、河から矢が飛んでくるので待っているだけだと損耗が激しくなる。


 北の夏候儒軍が殆ど居なくなってからようやく「陣を焼いて引き払うぞ!」統率を保って郭淮が河から距離を置いて血路を切り拓いて逃げ落ちて行った。深追いはせずに軍を撤収させると長平へ収容する。


 夜が明けて河向こうの陣地をみると恐ろしい有様が広がっていた。郭淮の居たところは焼け落ちていたが、夏候儒が居たところには武器兵糧が遺されていて、蜀軍を大いに潤してくれた。


 厄介な監視は溶けて消えた、だがどうせ別の軍がやって来る、それまでに行動を始めるべきだな。やはり大切な事実として許都への直接攻撃が必要だ、これをするにはどうすべきか。包囲にはすべてが不足する、弱将に率いられた大軍が向かって来れば最高なんだが。


 まあ世の中そう上手く出来ていないから望むのはよそう。一晩の休養を与えて戦場掃除をしてからの今だが、次の一手はアレか。


「楊県令を呼ぶんだ」


 側近に短く用件を伝えて椅子に座ったまま待つと、若者がやって来る。


「御用と伺いました」


「呼び立ててすまないな。提案がある、陳国内に同調を打診して、それにならう県をまとめてはどうだ」


 郡一つをこちらに振り向かせる、陳国ならば目はあるうえに、近隣で魏軍を負かして実効支配をしているだけに多少は賛同を得られるだろう。


「さればすぐに実行致しましょう」


 竹簡と墨筆を用意させるとその場で県令宛の書状をかき続ける、全てが揃うと長平軍の幹部を呼んで届けるようにと命じた。仕事が早くて結構だ。


「全てが応じるようであれば、兵二万は供出可能になるでしょう」


「いや、郷土の守備に就いているだけでいいさ。敵に回るはずの数が減ればそれで充分だ」


 これは本心だぞ、いくらでも増援が湧いてくる地域でストップかけられるだけで万歳さ。よほど控えめな反応だったのか、次の言葉を探していた。


「大鮮卑への対応はどうするおつもりで?」


 それな、素利をあんな風に追い返したんだ、軻比能になんて吹き込んでいるやら。ただあいつらのなかでは素利は小者感があるんだよな、周りに踊らされていると言うか。


「農奴を使うのは構わんが、人質をああいう形で使うのは好かん。改めんようなら魏を倒した後に討伐軍を出す」


 空手形の乱発は褒められんぞ。だが意にそぐわない味方はいらん、どれだけ兵力が欲しくてもだ!


「島大将軍が異民族にも人気がおありなのが良くわかりました」


「ん、どういう意味だ?」


 悪意があるわけではなさそうだが、出来れば男ではなく女に好かれたいものだよ。


「飾らずに真っすぐ、勇気を示し率先して動くところはまさに頂点の姿。それも武勇はすっきりとしていて卑怯さがない」


「思慮が足らんので力任せに突進しているだけだよ」


 恥ずかしくて顔を上げられんくらいの話だ。遠く遠くを見据えて動ける孔明先生や司馬懿の恐ろしいこと、直接対峙したら絶対に惨敗だな。そんな話をしているところに郤正がやって来た。


「申し上げます。周辺で魏軍の敗残兵狩が行われているようです」


 農民も黙って奪われているだけじゃない、怒りや不満がたまればそういう行動に出ることもあるだろう。夏候儒の兵だろうなこの前の、あいつはそれこそ不人気だろうから。これが現代ならば武器の提供などでレジスタンス活動に油を注ぐんだが、まだその時期じゃなさそうだ。

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