第158話

 この場に居るのが誰の為か、何の為かを考えてぐっとこらえて一歩引き下がる。下がったのを確認すると今度は赫昭へ向き直った。


「失礼いたしました。初めまして、島介の妻で羌族長の娘、銚華で御座います、以後お見知りおきを」


「おお、島将軍の奥方でしたか! 某、太原の赫昭、こちらはせがれの凱です」

 

 二人そろって一礼する、肌の色に多少は驚いたものの、さもありんと頷いていた。談笑するわけでも無く、挨拶だけ終えると赫昭が端白へ向けて言う。


「今はまだこの命を失うわけには行かないが、島将軍の悲願かなった際には好きに奪うと良い。端白単于の言はもっともだ、貴殿にはその資格がある」


 あまりにも潔く、遠くを見据えている言葉に端白が複雑な顔をした。己の義憤は一族のものだが、確かに赫昭の行為は職務。こうまで言える人物の命を奪うことに一瞬でも躊躇したことに戸惑う。


「その際は」やりとりの途中だったが割り込んで「氏族に土地が戻るよう取り計らう、俺が約束する」


「……馬姫ならば諾とするだろう。今は羌姫の意志をいただくものとする」


「全て終わればいつでも我が首を求められよ」


 そういって赫昭は前を向く。どこまでも立派な男だ、正々堂々としている。赫昭の名誉を守りたい、名声をあまねく伝えてやりたい。


「馬謖、前へ。状況の説明を」


 指名を受けて段上へやって来ると顔を輝かせて対面する皆を見回す。こういう役回りにあこがれを持っていたんだろうな、司会進行はこいつでも出来る。


「大将軍左軍師丞相参軍の馬幼常で御座います」


 一旦姿勢をかがめ礼をすると、全員を流し見て続けた。


「現在の戦線は複数、大きく分けて五つに別れております。一つは司隷戦線、二つ目は魏延将軍の荊州戦線、三つ目は呂将軍の許都戦線、それにここの四つ。加え、丞相と逆賊李厳が争う成都の首都戦線で御座います」


 知っている者は状況を反芻し、そうでないものは目を細めて一大事が起こっていることを受け入れる。別ければ細かくもなるが、司令長官が存在するところはそんな感じだ。長安、洛陽、白鹿原は統率が弱いな。


「第一戦線は洛陽の北東、白鹿原の要塞で魏軍を防いでおります。第二戦線は襄陽付近で両軍が展開、第三戦線は召陵城を本営に、東西に百里以上の幅があり攻防を繰り広げております」


 把握させる意味では大雑把で良い、兵力や補給の問題は後回しにしてイメージをさせられるようにするんだ。


「第四戦線は河を挟んでのにらみ合い、第五戦線は情報が錯綜しておりますが先日騎兵団が勅令で帰還の途中で御座います」


 ここにない戦力は別で発揮される、司令官が不在になるが王連将軍ならば誤ることもなかろう。馬謖がこちらを見るので頷くと「まずは董軍師の報告を聞こう」話を振った。


「太学博士大将軍後軍師董遇です。柴桑に赴き陸遜大都督に面会し、話を致しました。陸軍、水軍は河を遡り蜀へと向かっているとのことでしたが、交戦の意志はないとも。柴桑の軍備は極めて厚く、兵も強壮、数も多数おりました」


 ふむ、そういう印象を抱いたと言うわけだな。ならばそう思って欲しいと陸遜が演じた結果だといえるぞ。


「馬謖はどう思う」


「交戦の意思なく大軍を動かすことはないでしょう。柴桑の軍が精鋭だと見せるのも実情は苦しいからと愚考いたします」


「俺も全くの同意見だ。少なくとも攻めるつもりで軍を興したのは事実だ、だがある瞬間からそれが否定され、いずれそう転じる可能性は否定できない。敵でも無ければ味方でもない、そんな時間は産まれることがあるはずだ」


 見解にどういう状況かをそれぞれが思案する。なんのことはない、連絡をつける為の移動時間だよ。偽りの兵力を見せつけて少しでも格好よく立ち振る舞う、真の戦力を隠すつもりなら弱兵を並べるはずだからな。旧式の装備をわざと前線で使うようなものだ。それの逆ならば、馬謖が言ってたように虚勢を張っているだけだぞ。


「呉王と陸遜の間でやりとりがあった可能性はありますでしょうな」


 董軍師も解っていたようだが、感じたままをあえて皆に報告していた。それこそが大切な部分だよな。


「大都督が独断で決められないこととなれば、対外的な身の振り様でありましょう」


 それが何かは絞られる、馬謖がうっすらと余裕の笑みを浮かべた。魏、蜀、それと異民族しかなく、魏との友好を反転させるならば蜀のみ。だがこちらに用事がないとなれば首都、あるいは李厳という線もあるにはあるか。だが呉王も馬鹿じゃない、沈みゆく船に乗るなんてことはないはずだ。呉の勝算は何だ。魏と蜀が争う時、呉が魏を敵として勝ちに向かえる理由は。


「んー、それだけどよ、逆じゃね?」


「石将軍、逆というのは何でしょうか」


 言葉が足らない、だが逆というのは発想的にはいけてるかも知れんぞ。


「独断で決められないのは呉王で、大都督じゃないってことだ。自分じゃ判断できないから、一番頼れそうなやつの意見を聞いてるって」


 うむ! 呉王が迷っている、だから陸遜も開戦を控えているわけか。こちらが許都を直接攻撃するのを待っているなら黙っているのは自分の首をしめるようなもの、何を考えているのかを知りたい。


「内政についてならば聞く相手が違いますな。大都督に尋ねた以上は軍事でありましょう、それも河北や蜀のことではない何か」


 とはいえ東は海で、南は……ベトナムだろ? 中国とあまり関係があるとは思えんが。それぞれが考え込むだけでこれといった答えが浮かばない、ならば先へ進めるとしよう。


「取り敢えず進めるぞ。首都は孔明先生が必ず収める、洛陽方面だが長安に後詰を任せている、費偉軍師将軍が居れば涼州の馬岱将軍の後援を得て二方面へ増援可能だ、時間は稼げる」


 仮に押し込まれていくにしても函谷関を抜くのに数か月はかかるだろうから、今は問題が少ない。


「はっ、本営がある戦線でありますが、蜀の兵力が不足していて許都へ攻め寄れない状態。こちらへの兵力誘引が弱いせいもあるでしょう」


 そりゃそうだ、こうやって静かににらみ合っているだけなら魏に損失はない。時間が過ぎて行けば俺が不利になっていく、だからこその短期決戦擁護だったな。


「本営からです。曹真が短期決戦を声高に叫んでいる様子とのこと」


 李項が方針を決定する上での重要事項を口にする。うまいこと誘導できているわけだ、ならば俺が閉じこもっていちゃ失礼だな。


「司馬懿は短期決戦の短所を指摘しているようですが、ながらく敵軍を首都付近に置いているのを認めるのは不敬甚だしいと憤慨し、それ以上言えない雰囲気になったとも」


 大分深い場所からの情報だ、恐らく朝廷に参列している筋からだぞこれは。魏でも司馬懿の失脚を望む者はいるわけだ、曹真のそれもそうだ。二人まとめて消えてくれたら次席が喜ぶって話だろうさ。


「河向こうの敵の詳細を」


 今度は李封が進み出た。俺がいない間にあれこれと実務をやっていたようで、よどみなく。


「夏候儒征蜀将軍を主将として、郭淮建威将軍以下兵力四万が対岸に陣を構築しております。騎兵は少なく千から二千、積極的な攻撃意志を感じません。増援を待っている風でも無く、軍船を備えてもおりません」


 夏候儒を生かしたまま戦いをして郭淮に全軍の指令を行わせない、方針はこれだな。軍が分割されないようにして、河を背にして押し込むように包囲できれば全滅も視野に入れられるぞ。こちらの兵力は一万六千、全く足らんがそこを何とかするのが俺の仕事だ。


 烏丸をあてにはせん、独力でことを成してこそだぞ。兵を一晩休ませるか? 時間を引き延ばせば状況が悪化するかもしれん、ここは強行すべきだ!


「解った、今晩攻勢をかけるぞ」


 皆の顔色が一瞬で変わった。トップの言葉というのはそれだけの影響を与えるもの。


「戻ったばかりで兵が疲れているうえに準備不足ではないでしょうか?」


 心配を口にしたのは馬謖だ。いつも思い付きでばかり動いているから、警戒を持っているんだろうな。


「五つの有利がこちらにはある。一つは、こちらが仕掛ける時期を選ぶ動の有利。二つは、まさか直ぐにという不意をつける遽の有利。三つは、相手の居場所が解っている索の有利。四つは、無能な司令官が指揮を執っている頂の有利。五つは、兵糧を購入して回った信の有利。これだけ揃っていて戦わん理由の方が無い」


「…………島大将軍の言はごもっともで御座いますが、兵力が絶対的に不足しております。蜀兵全軍で出ても半数以下でしかありません」


 そこだよ、だが戦は兵力でするものではないぞ。同時に戦える数、それはまとまっている兵力とは別の話だ。


「魏軍は対岸にいつから陣取っている」


「三日前からで御座います」


 郭淮将軍は先に、夏候儒は後にやってきたんだろうな。


「ならば、地形についても敵より深く把握しているのではないか」


「その通りです、ご領主様!」


「李項も李封も味方の陣地構築で周辺を偵察しているし、城からも見えている場所だったはずだ。何よりこちらには地元の利がある、装備の充足率も高く、戦意も上々。これで勝てねばいついかなる状況で勝つつもりだ?」


 こうまで言われて引き下がる様なら軍師などせずに、成都で農業事務でもして生涯を過ごすべきだ。馬謖も考えを改めて意見の方向性を変えて来た。


「さすれば……河上より攻撃を仕掛け、注意を向けさせているうちに、暗夜密かに河を渡らせた兵で後方を衝く策がよろしいでしょう」


 そうだな、それで河へ追い落とせたら一番だ。明るくなるまで籠城を決め込まれたらこちらの負け、初動が全てだぞ。


「楊県令、付近の橋の場所と、軍船の数を」


「承知致しました」


 すぐに布地図を持ってこさせると、そこへ直接書き込んでいく。ふーむ、西と北に二カ所か、これを落とされたら互いに困るから手つかずだな。監視兵位は置いているだろうが。押せばひっくり返るような船も含めて四千人は乗れるものがあるか。時間があればもっと集められるとはいうが、生憎今ないものは数に入れられん。


 問題は一つ、軍船の指揮官が居ないことだ。中県勢は山育ち、石苞も夏予も山だな、うーむ困ったぞ。


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