第157話
「楊県令、俺はこんな奴らを相手に道を譲ることは出来ん。それをすれば蜀は負けを受け入れることになりかねんからな。孔明先生の足手まといになるのだけはごめんだ」
余計なことをしてここで挫けるくらいなら、初めから何もするなってことだよ。押しきれなければいっそ死んでしまえ!
ついに太陽が隠れてしまう、その時、胡軍が大いに乱れだした。軍勢を割って騎兵が石苞の後備の目の前に現れる。矛を並べて通すまいと構えるが、目の前で止まると年配の男が名乗りを上げた。
「島介が友、赫昭だ! かつての恩を返しに来た!」
五百ほどの騎兵は『赫』の軍旗を翻して、後備を迂回して横切ると前衛の親衛隊の左手から買軍へ突撃して行った。
「赫将軍だと!」
先頭を行く武将をみると確かに赫昭、赫凱親子だった。あの騎兵はきっとあの時の郎党だな!
「ふはははは、太原烏丸単于赫雷がやって来た! 魏軍を蹴散らせ!」
胡軍に一斉に襲い掛かると、背後からの奇襲なこともあってかみるみるうちに蹂躙していく。あっという間に胡軍が離散していくと、烏丸軍が隣を占める。
「陸司馬、今だ押し出せ!」
足を止めていた親衛隊が雄たけびを上げて一歩を踏み出す。赫昭の騎兵が堅固な守りを繋いでいる箇所を食い破り、敵陣を駆けた。烏丸族の騎兵もそれに加わり、買軍は耐えきれなくなり道を譲ると南東へと撤退していってしまう。
「石苞、農奴兵を援護するんだ!」
「おうよ大将、行くぞ!」
数は少なくとも正規軍、まとまって鮮卑と戦う姿に勇気づけられて、魏の農兵が勢いを盛り返した。闇が迫って来ると騎兵が充分な力を発揮出来なくなる、いよいよ暗くなってくると「引き上げるぞ!」素利が逃げて行った。二騎がやって来て目の前で止まると下馬して膝をつく。
「島将軍、ご無事でなによりです」
自身もすぐさま下馬すると赫昭の肩に手をやって立ち上がらせる。随分とすっきりとした表情だな。
「助かった。赫将軍、何故ここに」
「魏の将軍号は返上いたしましたので、ただの老いぼれでしかありません。蜀軍が進軍してきて、許都に迫っていると聞き南下して参りました。途中で斥候が大将軍旗を見たと報告してきたので急行しました」
巨馬に跨った赫雷もやって来て「よう、楽しそうにやっているな!」笑う。馬車から劉協も降りて来る。
「紹介しよう、俺の友人の劉協だ。少し前まで皇帝をしていた」
「天子!」
赫親子が膝をついて顔を伏せる。赫雷は珍しいものをみたとだけの反応。
「構わぬ、今はただ龍の友だ。そなたも龍の友であるなら、いずれ朕と語らって欲しいものよな」
近づくと同じように助け起こして微笑む。雨が降っていようが関係ない。
「勿体なきお言葉。しかし、何故このような少数で?」
劉協はそれ以上何も語らなかった。俺に迷惑が掛かることもあるってところか、まあいいんだがね。
「ま、それは道々話すとしよう。赫単于はどうして?」
赫昭は解る、こいつはそういうやつだってな。だが単于がわざわざ軍を率いて来る理由がない。
「俺は強い奴が好きなんだ。お祭り騒ぎに混ざるなら今しかないと思ってな」
「そうか、とやかく言う資格はない、好きにやればいい」
さて、石苞は無事だな。あの農奴は放っておけば帰郷するだろう、何かしてやることもない。犠牲になった人質の勇気に感謝を。軍勢をまとめて襄邑を通過した、こちらは無関心だったのか軍が誰何して来ることも無く素通り出来てしまった。
◇
長平に烏丸族まで収容するわけには行かなかったので、赫昭らの騎兵だけを引き連れて帰還する。城門には多数の蜀兵が並んでいて帰還を祝福してくれた。
「龍は兵に人気があるな」
「どれだけの未亡人を量産し、父親や息子の命を奪ったか数知れずだ。賞賛の裏返しは怨嗟の渦だよ」
こちらが勝てば敵に恨まれ、負ければ逆だ。戦争にかかわるということはそういうことなんだ。だからと何の後悔も無い、すべて俺が選んだ道だ。
「ご領主様のお戻りをお待ちしておりました!」
軍勢を代表して李項が跪く、その顔は若かりし頃の頼りなさなどどこにも残っていない、立派な司令官のものに映った。
「うむ、留守をよく守ってくれた。兵らの治療を」
「御意」
視線が赫昭と劉協らに向いている、幕外の者がいては言いづらい何かがあるか。
「構わん、報告しろ」
「はっ。勅令が下り、北営騎兵は全てが城を離れ首都へ帰還の途についております」
来るべきものが来たか、城を維持できるだけの間よく従ってくれた、以後は皇帝の身辺警護に集中して貰いたい。
「解った。一時間後に軍議をひらく、手筈一切を任せる。陸司馬は李項との連絡を、石苞は赫将軍に軍の手配を、馬軍師は協の屋敷を頼む」
やるべきことは一杯だ、指示を与えるだけの時間を少し割いて後に情報の更新をせねばならん。てっきり包囲されているものと思ったが、河向こうに陣を構えているだけで攻めては来てないようだな。まあこの地形ではどこかの方面に集まらんと、各個撃破されてしまうからな、船と橋の重要度が高い。屋敷に戻ると銚華が待っていてにっこりと微笑んだ。
「いま戻った。変わりはないか」
会話のネタに困ったともいうな、何でも良いから声をかけるってだけのことだ。
「御座いません。ここに変わりがないということは、別のところで苦労をしているとのことでしょう」
「そうだな」
呂軍師や魏延が苦戦している計算になる、ならば河向こうの軍がじっとしているのもうなずけるな。それとも出て行ったら大喜びで攻めてくるのかもしれんぞ。
「烏丸から赫昭らが参陣してきた、それと劉協が頷いた」
順番が逆かと少し首を捻ったが、どうしてか確信があったせいで劉協の方より赫昭の方が驚きがあった。それにしても鮮卑が農奴を使って侵略地を拡げていたのは知っていたが、ああいうやり方だったのを想定出来ずにいたのは俺の怠慢だ。
「赫将軍がお出ででしたか、ご挨拶しに行かねばなりませんね」
「うむ、もう将軍ではないと言われた。どうしたらいいと思う」
いつもなら呂軍師に相談するんだが、今は居ないしな。銚華なら確かな返答が来るんだろうって思えてる、とても賢い娘だからな。
「御仁は根っからの軍人で実直なところありと伺っておりますわ。号を得られるのは当然のことと思いますが、誰がどのように与えるかが思案のしどころでは?」
うーむ、誰がどう、か。俺が与えるのは蜀に与することで体面が良くないかも知れんな。漢の復位を宣言するにも時機を得ていない、ではどうする。
「曹植のところか。後で赫将軍本人に聞いてみるとしよう」
「それがよろしいですわね」
少し茶を飲んで休んでいると準備が整ったと李項が呼びに来た。こいつがそういう雑務を放る日はにつになるやら。謁見の間という執務の場、中央を歩いて行き段上の椅子にどかっと座る。本来の主は楊県令だぞ。
左後ろに陸司馬が侍って目の前の左右に文武の官が並んで立っている。向かって左、文官の長は柴桑から戻って来た董軍師、反対右側は李項だ。騎兵の校尉らが居なくなったので武官側の人数が随分と減っていた。そこへ赫親子が加わった。劉協はまだこの段階では参加していない、世界情勢が浸透してからになるだろうな。銚華と羌族らは武官列の後方に並んでいて、楊県令は馬謖の隣に立っている。
「もしや赫将軍か!」
端白単于が同列に並んでいた赫昭を見て驚きとも、怒りとも言えそうな声を上げた。ふむ、銚華は俺の話を漏らしていないということだな。
「私は赫昭、もう将軍ではない」
「どうしてここに、あんた魏の武将だろ」
「かつてはそうだったこともある。今は島将軍の友として末席を汚している次第」
低く唸って睨み付ける。赫昭が涼州に赴任していた時に敵対してでも居たか。現状の認識が遅れている、情報が不足しているんだなこいつは。一方で他はこれといった反応がない。
「赫将軍は俺の客将だ、何かあるか、端白単于」
今にも飛び掛かりそうな端白と赫昭の間に赫凱が割って入り、じっと睨みあう。敵味方だったんだ、色々あるだろうさ。
「我が族を追い、土地を奪ったのはこいつだ!」
顔を真っ赤にして歯を食いしばっている。一触即発とはこれだ、焼良も麻苦も少し膝を沈めて体勢を整えていた。互いの真ん中に銚華が進み出た。
「端白単于、赫昭殿は旦那様のご友人で客将ですわ。赫将軍は軍務として任務を遂行したまでのこと、それと馬氏の立場を慮りここはお鎮まりをお願いいたします」
「むむむ……」
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