第155話

「胡文徳将軍は揚州の名士で御座います。曹丞相に見いだされ、魏の官吏として地方を転任していたもの。清廉さや知恵の類は父に及ばずとも、法務事務に優れ官僚として有能な人物」


 将軍とは言っても事務方か、だが後方地ではそちらの方が兵を動かしやすい。制度としての将軍職をフルに使って来るってことだからな。


「兵力はどれほどだ」


「県の守備兵二千に加え、直属の兵千と、雑兵が二千で五千を指揮下に置いている模様!」


 偵察兵が一晩で集めて来た情報だ、大きく外れることは無いはずだ。これらが邪魔をしてくると面倒だが、こちらが城を攻め落とすことは出来ない以上は移動中にちょっかいをかけて来るな。それではいつどこでというのが問題になる。


「この先に狭隘地形はあったか」


「いえ、御座いません。ですが河の流れが変わった都合で湿地帯が広がっています」


 目を細めて湿地帯との言葉を反芻した。空を見上げると今にも泣き出して来そうな様子が伺える。こいつは一雨来るな、街道を外れたら足が鈍るだけでは済まされんわけか。兵が濡れネズミで動き回るのは避けたいが、ここで止まるわけにも行かん。


「ご領主様、ここは駆け抜けた方が良いのでは?」


 ここから無理をすると、襄邑あたりでへばってしまう。果たしてそこの領主とやらは本当にこちらを見逃すか? 疑心あらば最初から頼らず、望まずだ。


「正規兵三千に雑兵二千ならば正面からぶつかっても負けん。ここは通常の行軍を続け、降雨でも進む」


「ははっ!」


 地方の道路であっても、都会であっても道は町同士を繋ぐものだ。街道を進めば考城が見えて来るのは当たり前だった。傍の道には木柵が並べられていて、整えられている道には簡単な関所が設けられていた。迂回すれば通り抜けることはできるが、城から丸見えで先回りされるのは間違いない。ああわかってたさ。


 ぽつりぽつりと雨が降り出してきて太陽に雲がかかる、あたりが暗くなり急に気温が下がってしまう。これで身体が冷えたら急激に動きが鈍るな!


「陸司馬」


「ここに!」


 馬上から声を張って傍に寄って来る。こちらが何かを言う前に全て解ってそうだな。


「こんなところで時間を食っているわけにはいかん、真っ正面から押し通るぞ」


「どうぞご命令を!」


「敵を討ち倒し道を確保しろ!」


「御意! 護衛隊前へ、親衛騎兵攻撃準備だ!」


 陸司馬の号令で全軍が戦闘態勢に切り替わる、そこで馬謖が進み出た。


「関所の前に落とし穴などの罠が無いかのご注意を。勢いを削ぐ目的で何かしら備えている可能性が御座います」


「うむ、そうだな。歩兵に探らせろ」


 全く考えてなかった、騎兵が多いんだ突撃時に落ちたら馬の足が折れて大惨事だな。何も前のめりに動く必要はない、損害を抑えるように慎重にそれでいて大胆に進めばよい。


「石苞、周辺の警戒を怠るなよ。ここから先は帰るまで常に厳戒態勢を敷くんだ」


「おうよ! 任せとけ、俺は失敗なんてしてられないんだよ!」


 街道の幅は馬車がすれ違える位の広さだ、流石に中原とよばれるだけのことはある。護衛兵が背負っていた盾を左腕に括り付けて、矛の中ほどを片手で持った。こうなれば殆ど攻撃には使えない、いざ接敵したときには牽制と防御のみの部隊になる。


 足元の変化をよく注意して進むと「落とし穴があるぞ気を付けろ!」ところどころに穴があり、草が被せられていた。だが街道そのものには一切なく、近隣の草原にだけ。


「魏でも蜀でも、街道を壊す所業は重罪です。胡将軍はその禁を避けたのでしょう」


 馬謖がそんな見立てを披露する。真面目か! いや、まじめなんだろうが。ここまでしてるんだ、伏兵が無いわけがない。地形を見るに眼前の丘の裏、城壁の上、そして左手の林の先にいるか。戦うには細い街道だ、それを挟むように弓手を置くだろう。そもそも目の前の関所にだって兵はいる、だがそこは力押だ。


「蜀軍を通すな!」


 一斉に姿を現した魏兵が関所から矢を放つ。それに呼応して城からも斜めに矢が飛んできた。


「密集、盾構え!」


 部将が降って来る矢から集団を守ろうと命令を下した。亀の甲羅のようになって、飛んでくる矢を跳ね返す。直属部隊の護衛兵には薄い鉄の盾に、鱗状の輪を張り付けたものを持たせていた。鱗に包まれて矢じりが盾を貫通しない造りで、盾の寿命はあまり長くはない金のかかるものを。


「木柵に縄をかけて曳くんだ! 穴を土で埋めろ、急げ!」


 前線で歩兵が必死に作業をする、縄をかけるとそれを曳くのは騎兵の仕事だ。連結してある木柵を二馬力で引っ張るとあっさりと列が乱れる。矢が降り注ぐ中で穴埋め作業が続けられた、想定している以上の負傷者が出てしまう。


「道が開けた、軽騎兵突入!」


 騎将が率先して柵が崩れた場所に馬を走らせる。歩兵から盾を受け取ると、剣を手にして一番乗りを果たした。後方へ抜けるとまずは左へと馬首を向け、五十程の兵が集まると「関所の守備兵の背を斬れ!」攻撃命令を下す。あちらにもこちらにもと意識を割くほど器用なことは戦場では困難だ、前を向いていた魏兵の背が次々と切り裂かれていった。


「護衛兵前進! 騎兵は援護射撃を行え!」


 陸司馬の指揮で全体が関所の攻略に取り掛かる、敵味方が接近しすぎているので城からの射撃は中断されている。歩兵が盾を背負い両手で矛を握ると木柵を縛っている縄を切って壊し始める。上からそれを遮ろうと身を乗り出して矛を振るおうとした魏兵を親衛騎兵が短弓で狙い撃つ。


 正面に気を取られている魏兵を見つけては、関所の裏側から近づく軽騎兵が一撃離脱を試みた。そのうち耐えきれなくなり「撤退だ、撤退!」守備隊長が城へ向けて逃げ出していく。


「門を開けろ、本隊が通る道を確保だ。丘の向こうの偵察を行え!」


 死体から装備を補充して次に備える、自力で歩けない味方はここで遺棄されてしまった。希望者が居れば止めを刺すことも忘れない、そうでなければ後に来るだろう魏兵と刺し違えるつもりで一張の弩を与えた。


「これが戦……」


 現実を目の当たりにした劉協が生唾を飲み込んだ。宮廷で起こるそれもこうやって死人が出ていたはずだ、危険度は変わらん。


「石苞、本隊も進めろ。丘の裏と左手から伏兵が来るはずだ」


「だろうな、左だけど距離がある、もし歩兵だけなら無視して構わないんじゃないか?」


 三十分見当か、まあそうだな。丘の裏に居るのが千から二千ならそれでいい。


「正面に主力を向けるぞ」


 短く結論だけを伝える、十分もしないうちに何が正解かがわかる、その時に変更したって良いのだ。関所を抜けると前衛が丘の上の少し手前を騎馬で駆け抜ける。その景色の向こうに何が見えているのか。赤い旗を指した騎兵が『島』の旗目指して駆ける。


「この先に兵力三千、内騎兵は百以下!」


 うーむ、主力をここに置いてきたか。城は千、林にも千か、憎らしい配分だ。どれもこれも無視することができないじゃないか、これで事務方と言われているならば、やはり魏は層が厚い!


「同数で後れをとったとあらばご領主様に恥をかかせることになる。一気に押し通るぞ、親衛隊前へ! 護衛隊は続け!」


 召集兵とは違いその士気の高さが異常だ。楊県令などは勢いに圧倒されてしまっている。前衛の騎兵が騎射を行いそのまま距離を持って左右に分かれていくと、乱れた箇所が大きい部隊に騎兵突撃を行った。通行を阻害するつもりで展開しているせいで陣が薄い、突破を許すと傷口を拡げながら騎兵が駆け抜ける。


 それに付いて行くように護衛兵が両手持ちの矛で敵を二分するようにぐいぐいと押していく。無線機が無く、空からの目がないこの時代の戦闘では、味方が分断されると取り残されたのではないかと不安が爆発的に増大するのだ。


 『振威』の軍旗がある集団だけが戦意を保ち、分離されてしまった側は一気に浮足立ってしまった。逃げる敵を追わずに、戦場に留まっている側を包囲攻撃する。そこから早かった、個人の武力を見せつけて盛り返すことが出来るのは猛将だけ。


「本隊抜けるぞ」


 馬を進ませると本営の幕僚らが確保された道を行く。戦場の熱気が伝わって来る、劉協も心なしか顔を紅潮させていた。丘を抜けて先の平地にまで行くと、護衛兵が戦場を離脱して駆けて来る、途中まで来ると呼吸を整えて歩きなながら。円陣を整えて本隊は南下を続ける、そのうち親衛騎兵らも追いついてきた。


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