第154話

 喜色満面とはこれだ、人生に少しだけでも張り合いを持ってくれたらよい。それもこれも全て俺が戦争に勝たねばならん、一番の問題は一切解決していないぞ。


 街道をしばし南へ進んで、途中から石苞の先導で林がある丘の裏側に回った。目につかないと同時に、河沿いで水もあって防備にもそこそこ適していると言えなくもない。一晩過ごすにはおあつらえ向きといえる場所。


 陽が暮れてややすると、騎兵団が戻って来たと報告が入った。劉協と談話している幕に陸司馬がやって来て、姿を認めると口を開いた。


「常氏城を制圧し、県令以下を城内に監禁してあります。軍馬五十匹を奪い、武装は全て焼き払いました」


「被害は」


「一人下馬する際に足をねん挫しただけです」


 肩をすくめてことさらそんな報告をするものだから笑ってしまった。何も無いよりも気が利いている。


「そうか、ご苦労だ。委細任せる、偵察の帰還を待って軍議を開く、それまでは休んでおけ」


「御意」


 一礼して幕を出て行ったが、直ぐに戻って来る。


「どうした、忘れ物か」


 陸司馬は左手前に位置取ると出入り口を見た、楊喜と伝令がやって来た。なるほどな。馬謖と石苞を呼びに行かせて話を聞いた。


「己氏、考城はどこかの軍が入り、城の防備が一段高くなっているようです。一方で成武は通常の警戒で、夜間のみ閉門しているとのこと」


「ふむ、ならば己氏の道は通らず最短距離を行くことにするか。成武は良いが、やはり考城で一苦労しそうだな」


 周辺から魏軍が集まって来るはずだ、襄邑辺りからは強行軍をかける必要が出てくるかもな。いっそ騎馬して全てを駆け抜けても良いが、疲労しているところで阻止線にあったら手も足も出ない。


「成武も陥落させますか?」


 陸司馬が準備の都合上尋ねる。どうしたものかな、無傷で落とせる城ばかりではないはずだ。それにそろそろこちらの動きがバレてていてもおかしくないぞ。


「お前はどうしたら良いと思う」


「無視して通り、背後を襲われる危険を甘受すべきかどうか半々でしょう」


 五分五分なんだよな実際。こういう時は大抵悪い方に傾くんだ、無視したら背を襲われ、攻めたら堅い守りに辟易する。さてどうしたものか。


「なあ大将、一つ計略ってのをやってみないか?」


「なんだ石苞、名案でも浮かんだか。そいつは結構なことだな、まずは聞いてみよう」


 柔軟な発想はお手の物、どこかに落ち度があればそれを正すだけだ。馬謖もこれといってどちらが良いとは判断がついてなさそうだしな。


「無視して通って背も襲われない、それが一番なんだよな」


「まあ、そうだな。その確率は半分の半分以下でしかないが」


 ラッキーでそうなるのは良いが、それをアテにするようでは指揮官はおしまいだ。出来るだけ考え抜いて、最後の最後に運任せになるのとはわけが違う。


「もし県令だったらを考えてみた。上から城を出ずに死守しろって命令が来てれば、逆より遥かに従い易いんじゃないか。偽の命令を出して、そこから動くなってな」


「うむ!」


 出撃して撃破しろってのは難しい、共同なりを模索するはずだ。だが守れって言うなら門を閉ざして置いて、その後どうするかお伺いをたてるだけだ。一日時間を稼ぐだけでいいなら、そういうやり方もありじゃないか。ここは実務の面で齟齬をきたさない何かを検討させるべきか。


「だが命令の出どころをどうする。偽物だと見抜かれたら、間違いなく反対の行動に出て来るぞ」


 何せこちらが望むのが死守ということになる、反対は出撃だ。やぶへびってやつだよ。


「劉昶刺史の命であれば適切と考えますが、印が御座いません」


 馬謖が地域柄誰が良いかの助言をしてくれるも、確かに刺史の印など誰も持っていない。思えば俺も南蛮牧や京兆尹はやっても刺史ってのはしなかったな。将軍のならいくつかあるんだが、変だって思われるだけだな。


「んなもの曹真の署名で大司馬の印を押せばいいだろ?」


 そういえばそうだな、刺史はなくとも大司馬の印ならここにある。普通は逆なんだろうけど。


「はて龍は大将軍ではなかったのか?」


 ん? ああ、そうか、そうなんだな。半ば軟禁されているせいで情報が少ないのか。他国の君主はともかく、どれだけ偉かろうが軍部の総大将の名前や官職まで把握できてるやつは少ない。俺だって現代の隣国の大統領や首相は知ってても、軍の参謀総長とかそういうのは知らん。


「正しくは使持節仮黄鉞大司馬大将軍大都督大鴻臚領京兆尹儀同三司附馬中侯というものらしいんだ。詳しくはうちの呂軍師か馬軍師あたりに聞いて欲しいと常々思ってる」


「なんと! そのようなことがあると言うのか。丞相が二人いるようなものではないかこれでは」


 うーん、どうなんだ。地域の政治には口出しできないんだろうけど、国家政治には提言できるからな。朝廷に参与可能、皇帝に直言可能、全国の軍事を統括可能だ。


「正直良くわからん。俺は立って半畳寝て一畳の場所と、身の周りの少数が食って行けるだけの金があればそれでいいんだが。どうにも大仰なことになてしまってると痛感してるよ」


 片田舎の屋敷で、酒を酌み交わして笑い合える、そんな居場所だけあればそれで充分なんだ。それこそアフリカの奥地で暮らしていたくらいだから嘘じゃないぞ。


「……かつて漢には清流派の士が多数存在していた。龍のいうように、余計な財貨は不要で、清廉に生きてゆくのを目的とした者達が。己を律し、他を教導し、清貧を良しとする」


 時代の流れに飲み込まれ、多くが粛清されてしまい姿を消してしまったと首を振る。無理が通れば道理は引っ込むわけだな、そいつはある種、仕方のないことなんだ。正しいことは大抵耳に障る、いらんことを言うようなのは排除されていく。


「俺はそんな高尚な考えをしてるわけじゃないさ。話を戻そう。馬謖、俺の印で偽命令は出せそうか?」


「楊県令と相談で可能と判断致します」


 魏独特の仕様があるかも知れんからな、ちなみに重罪だぞこれは。まあ知ったことではないがね。


「では石苞の案を採用する。二日間の固守を命じ、直ぐに増援が到着するから待てとな。これは曹真大司馬の命令で、全てに優先する。そんな感じか」


 完全に上から目線で細かい理由などは一切明かさずに押し付ける、二日だけってところがポイントだ。これなら守ろうと思えばできるし、確認の為に騎馬を往復させたところで半日も変わらん。わけもわからずに取り敢えずは守っておこうと思える期間。


「承知致しました」


「うむ。問題は考城だな、既に軍が入っているそうだが、どこのどいつかは解らんのか」


 誰かの命令ならばその先にも遊軍がいそうだ、独断での入城ならそいつは切れ者だな。こちらの動きを見ての対応だったらの話だが、そうだと考えて臨むべきだ。


「判明次第戻るようにと、偵察を残してあります。夜間は無理でも、明日の朝になれば門が開かれ戻るでしょう」


 明日の夕方にでも解ればそれで良いが、この時間差が影響してきそうな気がするぞ!


「では解り次第軍議を行う、本日は解散だ」


 体力回復も務めだと、それぞれが意識的に休養する。一人だけぼーっとしていることにもならないので、俺も速やかに寝るとしよう。


 夜明け、自然と目が覚めると意識がはっきりしたところで外に出る。既にあちこちで兵士が起き出していて、習慣というのを思い知らされる。早番の兵が朝食の準備をしていた。近寄ると「旨そうに炊けてるな」軽口を叩く。


「将軍、摘んできますか?」


 干し肉をあぶったものと、麦混じりの飯。質素と思ってはいけない、これだけまともな形になれば立派なものなのだ。何せ飲まず食わずで雨水をすすり、木の根をかじることだってあるから。


「どれ、先に飯にするか」


 言われて気軽に近くの岩に腰を下ろす。すると親衛隊員が木の葉に載せた飯と肉を差し出す。木のヘラでそれをすくって食べた、塩のみの調理だうまみは肉のソレのみ。


「上手に出来てる、皆の分も頼むぞ」


 そう言うと兵は嬉しそうな顔をして頷いた。移動準備が整うまで一時間ちょっと、成武の城が見えない草原を通って南へと進む。県境を越えたあたりで昨日放っていた偵察が戻って来た。小休止を命じて報告を受ける。


「考城には胡質振威将軍の旗がのぼっており、周辺地域に召集令が下されております!」


 ほう、完全にバレてるな。だが今なら間に合う、今晩はゆっくりしてられんかも知れんぞ。


「胡質将軍を知っているものは居るか」


 ここぞとばかりに楊県令が進み出た。当然一報を先に受けていたはずだ、調べることができる部分は供回りから聞いているだろう。


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