第152話

 曹植がそうであったように、劉協の瞳にも強い意志が宿ったような気がした。


「今この瞬間からここは危険になりました。長平城へとご案内しましょう」


「……うむ。だがそなた、二君に仕えるかのようなことをして具合が悪かろう」


 支離滅裂とはこれだな、確かにその通り。なにせこいつは俺の中だけでの独断だ、国を揺るがすは確かなうえに、二国も三国も大地震だ。


「私は――友の為ならば何でもします」


「おお、ご先祖様…………かくも奇想天外な運命を与えたもうとは! ……不躾ではあるが、朕もそなたの友にしては貰えぬだろうか?」


「私は蛮族と呼ばれる者と兄弟で、西戎と言われる出の妻が居て、皇帝に仕えながらもその退位を規定とし、禄を食んでいる居る国を無くそうとし、敵国の武将と親しく交わり、このように礼儀もわきまえず粗野です。それでも?」


 本当はもっとひどいことを山のようにしてきているんだが、あまりにも多すぎて並べきれん。


「構うものか! 朕のことは協と呼び棄てて良い」


 泣いて笑って、恨んで喜んで、絶望して希望を持って、もう何が何だか追いつかなくなりながらも劉協が腕に力を入れる。


「では私、いや俺も龍で構わない。さあ来たは良いが帰るのは大変だ、移動の支度を」


「うむ、解った。妃、行くぞ」


「はい、陛下」


 夫人同伴となれば馬車が必要になる、野山を行くわけには行かんな。船で武力行使をしたんだ、このあたりの警戒も強まっているだろう。この場を楊喜に任せてしまい、内門へと移る。馬謖と石苞が待っていて、目で問いかけてくる。


「馬謖」


「これに」


「山陽公が同道することになった、暫く応対をお前に任せる。朝廷での儀礼などで詳しいのは他に居ない、頼むぞ」


「御意」


 話をしに来ただけだと信じていたのだろう、まさかの事態に驚きが隠せない。だが大きな役目に気持ちが高ぶっているのだろう、適材適所の良い例だな。


「陸司馬から何か連絡はあったか」


「いんや、おっぱじめてもいないし、取り敢えずは静かだよ」


 石苞がこんなときでも平常運転、器が大きいてことだろうさ。当然だが劉協がここを離れるのは違法ということになり、国相はそれを差し止めるのが職務だ。ひと悶着ありきでどうするかを考える必要があるぞ。


「長平までの時間的距離は七日以内という想定だな。今度は昼夜兼行とはいかん」


「常氏、成武、考城、襄邑、陽夏、長平だな。陽夏は陳国だから味方領と思っていい、襄邑も曹姫を見逃してくれるはずだ。常城の段階では防備も整わず、成武と考城の間が一番危険だろうさ」


 そうだな、襄邑がどう出て来るかは楽観視できないが、陽夏からは援軍が見込めると楊喜も言っていたな。街道をゆかねば時間ばかりかかりより危険だ、関所破りくらいはわけないが、駐屯軍がどれだけいるかは情報不足のまま。


「成武の袁良、考城の王渙について知っているか?」


「ついぞ聞いたことねーな。後方地の県令なんて腰かけで、良いとこの僕ちゃんが宛がわれてるのが多いんじゃねぇか」


 結果それなら良いんだが、敵をなめてかかって痛い目を見るのは御免だぞ。偵察を放って重点的に調べるにしても三日目にそのあたりをうろついている、実質調査可能なのは明日のみ。今からでも派遣すべきだな。


「楊県令」


「はい、島将軍何でしょうか」


「成武と考城に密偵を放って、現状を調べさせてほしい。魏人でなければ上手い事立ちまわれそうにないからな」


「速やかに手配いたします」


 成武を迂回しようとしたら、郡都か州都を通ることになる、当然そちらのほうが守備兵が多いわけだ。考城ではなく己氏を通ることは可能だろう、その場合はもう一つ己吾を経て武平から長平になるか。武平も陳国だから城を一つ抜くか、二つ抜くかの違いが出る。やはり考城を抜ける道が良いだろう、別に攻め落とせってわけじゃないからな。


 そもそもここの守備兵とはどうやって距離を置くかだが、国相を殺すことが出来れば劉協を見送ってくれるだろうか。


「報告します! 陸将軍が国相周永を捕らえました!」


 おっと、出来る男は仕事が早いな。どうすればよいかをあいつも熟知しているわけだ、間違えたで解放しても良いんだ、生きてさえいればな。


「そうか。合流するぞ」


 政庁の隣にある兵舎に魏兵が集められて縄で縛られている。危害を加えられている様子はない、本当に上手い事捕らえたんだな。身なりが良いのが一人混ざっていた。


「陸司馬、よくやった」


 騎馬している姿を認めて近寄るなり声をかけるとこちらを振り向いた。


「昌邑は無血開城を受け入れます、ですが長居は無用でしょう」


「そうだな。そいつが国相か」


 馬上から難しい顔をしている男を見る。年の頃は四十そこそこ、小太りで意地の悪そうな顔つきをしている。虎の威を借る狐というのがお似合いだな。


「魏ではこれでも国相が務まるようです」


「おのれ、私を愚弄するとは、周侍中の甥だぞ!」


 後ろ手に縛られていると言うのに威勢が良いことだ。官吏の腐敗はこうやって広がっていくんだ。


「そんな奴知らんな。しかし口の悪い男だ、もっと行儀よくは出来んのか?」


 敢えての挑発だ、どうせ堪え性の無い奴なんだから直ぐに暴発するだろうよ。多少は心を落ち着けてやらねばならんからな。


「ええい、貴様等、伯父上に言いつけて必ず牢に下してやるぞ!」


 立場を解っていないようだが、別に殺しはしないよ。ちゃんと朝廷に報告をする者を残さねばならんからな。後ろから馬車が近づいてくるので到着を待った。その間も罵詈雑言の数々を吐いては顔を真っ赤にしている周永を完全に無視する。馬車の中から劉協が顔を出した。


「龍よ、国相を捕らえたのだな」


「山陽公! これはどういうおつもりか、申し開き出来ませんぞ!」


 早速のお呼びだ、俺を龍と呼んでくれるのは孔明先生と劉協だけだな。兵らも興味を持っているようで、こちらのやり取りに耳を澄ませている。当然これを見に住民も多数集まって来ていた。


「周永、朕はこの地を去る。邪魔立てするでない」


「そのようなこと許されるとお思いか! 大人しく屋敷に戻り、裁きを待つのですぞ。今なら厳しい処罰は控えるように、伯父上にとりなすことも出来ますが、遅くなればどうなるか」


 さて、どうやって自信を取り戻させるか。何かスペシャルはないか? 兵士は今後があるから何ともだが、住民の様子はどうだ。あの国相に好意的な目を向けているのは皆無か、劉協へもあまり良い感情は無いか。だが、その妻へは違うようだな。


「昌邑の民に尋ねる」


 唐突にそう声を張った。いきなりそう言われてか、多くの視線を集めた。どこの誰とも知られていない、中年の将軍、そう見えているはずだ。


「国相をここで即座に解放しても、山陽公とその妻は罪を得るらしい。解放を望むならば是を唱えろ、そうでなければ否を唱えろ!」


 どうしたらよいか困惑して誰も声を出さない。そりゃそうだろう。こちらの意図を汲み取り陸司馬が馬を歩かせながら演説する。


「この地に在って山陽公は民にどう接してきた。国相は民に何を与えてくれた。より恩徳を見いだせる者を選べ! 是か非か!」


 親衛隊が装備を打ち鳴らして是か非かを繰り返す。そのうち住民も声を上げるようになってきた。圧倒的に非を唱えている者が多かった。


「そいつは魏が定めた以上の重税をかけたぞ!」

「公妃様は祭りで肉と酒をふるまってくれた!」

「役人の山陽公への仕打ちがあまりにひどい!」


 まあそうだろうな、調べたわけじゃないが民に不満が無いわけがない。人格者の国相でない限り、どちらを擁護するかと言えば弱く見える側だ。そうやって民も己を守って欲しいと願うからだ。


 劉協が驚いている、こうやって支持を集めたことが無かったのだろう。孤独じゃない、それを知って欲しい。


「周永、己の不明を呪うんだな。引っ立てろ、剃刑だ」


 髪を剃るだけと馬鹿にしてはいけない、これからずっとそうされたという履歴が残るのだ。犯罪者に与えられる刑罰だけではなく、官職持ちへの刑罰にも使われるものだ。屈辱を与えるってやつだな。


「げ、下郎の分際で我にそのような物言い、ただではすまさんぞ!」


「貴様、ご領主様に向かって何を言うか!」


 陸司馬が肩を怒らせて激怒する。ご領主様の意味が解らない者達が視線を行き来させた。


「おお、異論があるならいつでも受けて立つぞ。俺は蜀の大将軍島中侯だ! 友が不遇を得ているのが気に入らんので連れてゆく、行くぞ協」


「うむ、そうしよう龍。皆、済まぬが二晩兵を見張っていてもらいたい、さすればいつかその恩に報いるであろうぞ」

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