第151話

「先に伝令を入れてあるが来ていないか」


 すべてをぼかして告げてみると、門衛が「将軍方、どうぞお入りになられて下さい」礼儀正しく招き入れる。ならばと下馬して「供の者は門の内側で待て」目立つと面倒なのでそう言って、数人だけ連れて中へと入る。


 家人がちらほらと姿を見せている、中にはスパイもいるだろうな。だとしても屋敷の中、それも側近は流石に親族で占めているはずだ。屋敷に入るところで老年の侍従に引き継がれ、内殿へと進んだ。


「こちらに陛下がいらっしゃいます」


「うむ。お前達はここで待て」


 楊喜だけを連れて二人で殿へと進んだ。奥には五十歳手前位の線の細い男が座っている。あれが皇帝だった男か、大分苦労したんだろうな、精神をすり減らした表情が板についているぞ。


 男を前にして楊喜は膝を折って伏して礼をした。俺はどういう態度を取るべきか。片方の膝をついて、胸の前で手のひらと拳を合わせて礼とした、軍のそれで。無論そいつは非常に嫌そうな表情を見せたが、口にはしない。


「陳王曹植が配下、長平県令の楊喜が拝謁いたします」


「面をあげよ」


 俺は立ち上がり、楊喜は正座したままで対面する。座の向かって左手には女性、男より大分若いが装束は見事なので恐らく元皇后が控えていた。俺の名をここで口にしない方が害が及ばない、その可能性があるので無言のままでいる。


「恐れながら申し上げます。先の伝令は到着していましたでしょうか」


「耳にしておる」


 険しい表情で頷いた。余程辛い目にあっていたんだろう、怯えるような感じが随所ににじんでいるな。


「それでは私が内容を口にしてもよろしいでしょうか」


「構わぬ、申せ」


 ここで聞かないと言うなら贈り物だけ置いて引き下がる、全てそこで終了だ。それでお互い深入りせずに有耶無耶にする、それで良い。だが話を聞くと応じた以上は言わずには終わらないし、何事も無かったことには出来ない。先ほどの短いやり取りにはそこまでの重い意味が乗せられている。


「我が主、陳王曹植は此度、魏の行丞相を名乗り蜀の勢力下にある洛陽にて挙兵致しました」


 その話を聞くのは初めてでは無かったようで頷いている。情報の収集だけはしっかりとしているのかどうか、少なくとも世情に疎いとは言い難いな。酒色にふけり何もせずならば知らないで驚くはずだ。


「蜀の丞相諸葛亮は魏を打倒せんが為に軍を興し、今や魏の首都である許都周辺にまで迫っております」


「そのようだな。だが朕には何をどうすることも出来ぬ」


 朕。皇帝唯一の一人称だが、こいつはそれを名乗り続けることを許されているそうだ。敬称も陛下のまま、落胆続きの人生もこうだと同情すらするよ。


「もし、何かを出来るとあらばいかがでありましょうか?」


「ふふ、是非とも聞いてみたいものだな、その夢物語を。朕は幼き頃より悪夢しか見ておらぬ故、白昼夢でも歓迎するぞ」


 やけっぱち……というのともまた違う、達観してしまったのと、諦めの混在とでもいうんだろうか。なった者にしかわからない心境なんだろう。


「聞けば後戻りできなくとも?」


「戻ろうが進もうが朕には何の望みも無い。構わぬ、申せ」


 楊喜がこちらに視線を向けて頷いた。バトンタッチだな、さてどうしたものか。


「まずは自己紹介を。私は蜀の大将軍島中侯」


「ほう、遠路はるばるご苦労だ。蜀にも皇帝が居るらしいが、劉禅陛下はお元気かな」


 精一杯の皮肉を込めてそう言った。こいつは劉協だけにしか許されない皮肉だ、笑って受け入れることができる蜀の臣下は皆無だな。


「目下大戦争中でも穏やかに暮らしているでしょう」


「蜀は平和か、それは重畳」


「首都を割っての内乱状態でも、蜀の皇帝は黙っている。何も出来ないのではなく、何もしない、自身の考えに自信が持てないから」


 じっと劉協を見詰める。何も出来なかった自身と、何もしない劉禅との違いを知るようにとの発言だ。漢室を保とうと密勅を出したりして努力していたのは聞いたことがある。


「そうであるか。皇帝とは孤独だ、かなうならば劉禅陛下と語りたかったものであるな」


 自嘲気味な一言に全てが凝縮されているような気がする。孤独、世の殆どのものが自我を保てるのは他人が居るから。一人どこかに切り離されたら誰だって参ってしまう。


「蜀は丞相が国政を全て取り仕切っています。国是は劉漢による太平」


「それは良いことを聞いた、目標に向かい邁進して欲しいものだな!」


 チラッと楊喜を見て「陳王曹植の望みは民の安寧、私も概ねその通り」来訪した用事の一旦に触れる。


「朕とてそれを望んでいたが、ずっと戦乱ばかりで収まる気配はない。何ともおかしな話ではないか、平和を望む為に争うなどと」


 まさにその通りだよ、俺だっておかしいと思うさ。だがいつの時代も、どこの国であっても必ずそうなんだ。大国が全て正しければ争いは起こらないなどというのは幻想でしかない。人は間違えるし、正しいことが全てではない。


「民の安寧は、争いからしか生まれない。平和は争いの始まりでしかない。永遠の国も時代も無く、全ては移ろう。死ぬと解っていても、生きる為にあがく。それらは間違いだろうか?」


「…………蜀の大将軍とらやらは哲学者だったか。まあ良い。して、用向きは」


 耳を澄ませて中空を見詰めているだけの元皇后、これが曹氏。気丈だな、こうやってずっとそばで劉協を支えて来たんだ。


「大したことではないです。もう一度皇帝をしませんかと伺いに来ただけ」


「なっ!」


 おっと想定外だったか、まあそうだろう。これまで中国で復位なんてことあったんだろうか? あれはヨーロッパとか東南アジアだけのことか。そんなことはどうでもいいんだ、本人がどうかと聞きに来たわけだからな。


「そ、それはどういう意味だ?」


「そのままの意味です。漢の皇帝に返り咲くつもりがあるかを確かめにきた次第。他に意味はありませんが」


 つい元皇后と目を合わせてしまい、またこちらを向いた。そりゃ疑問と疑念で一杯だろうさ、知ってるよそんなことは。さも当たり前みたいな顔で持ちかけるのが俺流なんだ。


「朕にも理解出来るように説明を」


「良いでしょう。先ほども言ったように、陳王曹植は民の安寧が目的で立ち上がりました。また蜀の丞相は劉漢による太平を望んでいます。ここまでは良いですか?」


「うむ……先を」


 両目を大きく開いて前のめりになりじっとこちらを見詰めている。今まで一番興味ありか、逆の立場なら俺だって聞いてみたくなるな。


「もとはと言えば。献帝が没したと聞いて先帝が皇帝になったのを引き継いだだけで、蜀漢は忠誠を失ってはいません。無論、丞相はそれを認められないでしょうが」


「それは……そうであろう、今更どうにも出来ぬ話だ」


 そいつは俺も納得だよ、まあ先を進めてみようじゃないか。


「皇位の返上、劉禅陛下ならば受け入れるでしょう」


「だが丞相がそれを望みはしない。百官らもではないか」


「そうです、丞相はそれを望まない、望めるはずがない。ですが……諸葛孔明は先帝との約束を果たしたい。それは漢室の復興、即ち献帝を支えること。相反する願いを叶える唯一は、中華全土を蜀が統一し、復位を願って全てを譲ること」


 目の前にある膳を膝で引っ掛け転がしてしまうが構わず劉協は立ち上がってしまった。口が半開きで目が泳いでいる。


「魏に住まう民は不安に思うでしょう、なので陳王が行政を代行し、蜀の統治から自立させます。魏に生まれ育ち、蜀を受け入れがたく、さりとて国家を違えることかなわず。蜀は蜀で下した魏を同列とみなしたくなく、下に見たい。こうなれば世はまた争うでしょう、差別が加速させます」


「……で、あるな……」


「覇者は去り、馴染んだ漢室が再興すれば人々はその昔にあった長い平和の時代を懐かしみます。争いで育った若い者らが、正義を貫くことでしょう。老兵は去るのみ、座に固執することなく次代の者へ全てを受け継ぐ。私はそれで良いと考えています」


 腐敗した官吏は一掃され、利権は解体し、新たに苦労を知っている者が政治を執り行う。リセットをかけることなど常ならば無理なことだろう。


「だがそのような前例のない話、出来ようはずがない」


「自らの前にしか道は無い。ならば前例などあろうはずもない」目を細めて大きく息を吸って「私は誰にでも出来ることをする為に来たのではない。辛酸を舐め続け、世を変えようと努力をし、始まりの位置にすらつけなかった者を知り、今ここに在る。友を支えたい、願うはそれのみ。孔明先生の約束を果たさせるため、島伯龍は存在している!」


 両手を前にだして、痴ほう症の老人のようによたよたとゆっくりと歩んで、劉協は目の前にやってきて肩に手を置いた。口をぱくぱくとさせて、両目からは涙が溢れる。どんな感情が巡っているかなどわからないが、混乱を起こしているのは確か。


「朕は……朕は……」


「想いを言葉になど出来なくとも構わない。そうであれと胸のうちで願い、歩み続ければそれはいつかかなう、どれだけ道が険しくとも。そして険しい程に振り返った時の景色は壮大なもの」


 かつて世界中で紛争に首を突っ込み、その全てを生き抜いて生きた俺はそう信じている。針の穴を通すような絶望の道を駆け抜けた、出来るかどうかじゃない、やるんだ!


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