第150話

「代行である楊喜殿が行うことは」


「可能で御座います」


 即答した、それだけの信頼を得ている以上はやはり目の前に曹植が居るものとして扱うべきだ。俺は今とんでもない方向へ歩もうとしているのではないだろうか。これによって誰が幸せになれると言うのかわからん。努力は報われず、害悪を招く可能性もある。蜀の統治では戦は続く、孔明先生の負担をこれ以上求めるのは酷だ。


 生きて笑っていてくれれば、俺が愛想付かされようと構わん。自己満足でしかない、だが本心なんだ。激務から解放されれば寿命が縮むこともないだろう。


「軍船に兵三千を乗せ北上する。山陽まで何日かかる」


「水路で三日。行きは強行突破で抜けられるでしょうが、帰りは難しいと思われます」


「では陸路を戻るさ」


「まさか、島大将軍が向かうおつもりで?」


「そう聞こえたなら通じているようでなによりだ。長平の包囲が厳しくなる前に出るぞ、軍船の準備は任せる、いいな」


「畏まりまして!」


 誰に相談するでもなく、国家の一大事をその場で決めてしまう。地獄行きは決定だが、多くを巻き込んでしまいそうだな。全ての誹りは俺が一人で受ければ良い、それだけだ。最後までひれ伏して顔を上げようとしない楊喜の腕を取り立たせる。額にあざが出来る程に赤くなって血が滲んでいる。


「腹を割って話した仲だ、そうかたくなるな。行ってはみたが劉協が否と言えば手ぶらで戻るぞ、その意思がない奴にこれ以上苦難の道を歩ませる権利は誰にもない」


「その時は島大将軍の判断に従います」


「なんだ、お前も行くつもりだったのか」


「そう聞こえたのならば、少しは近しくなれたものと言えますでしょうか」


 二人で笑い声をあげて気持ち良く肩を叩きあった。世代は一つも二つも違うが、それでも快かった。気脈が通じるとはこのことだろう、兵力をまた分割することになるが、帰路をどうするかの比重が重いな。


 軍船に乗り込み北へと河を下ってゆく。殆ど登りも下りも関係ないくらいに中国の流れはゆるやかだ、そのせいで水は濁り切っている。蛇行するような地形もたくさんある、水先案内人は魏の者なので任せているが。蜀兵ばかりでは具合が悪いので、今回は長平の兵も二百引き連れていた。


 魏軍の筆頭は県令楊喜。なったばかりの長平県を離れて、より大きな目標の為に体を張っていた。一方でこちらの兵は三千、主将は陸司馬で馬謖と石苞を同道させている。親衛隊は騎兵千、護衛兵二千の編制だ。各種の深い知識は馬謖が適任だろうと指名し、不慣れな土地を一度でも進んだことがある石苞を選んだ。


 船はゆっくりとしか進まないが、寝ていても食べていても進むので、結果走って向かうよりも早くに辿り着ける。沙河から東平湖に流れ込む范水へと切り替えて昼夜北上した。途中で二度、魏の船に臨検を受けそうになったが、武力でこれを撃退してひた走っている。


 一騎だけで陸路を先にでた伝令騎兵、無事にたどり着いていたら今頃劉協がこちらの挙動を耳にしているはずだ。突然来られてもその場で判断できないほどの大事、数日待たされる場合はどうしたものか。


「ご覧ください、あの対楼丘を越えて、次丘鎮を過ぎればすぐに山陽の都、昌邑で御座います」


 一応周辺地図を頭に入れてはきてるが、ここから上陸してその二つを越えるのが一番の近道だ。平地を行くだけなのでこれといった関所も無い、遊軍と接触さえしなければ数時間だな。


「うむ、陸司馬行くぞ」


「はい、ご領主様。軽騎兵は目的地までの斥候に出ろ!」


 軍旗を掲げずに、魏の所属を示す装束を肩にかけて散って行った。長平にあったものを別けて貰い、偽装をしている。何ともみみっちいことだが、無理を押し通すつもりと、劉協が断った時に迷惑を掛けないための配慮でもある。


 本隊は歩兵を走らせないように速度を押さえて、対楼丘を左袖にしてその裾を進んだ。丘というので高地である、その上にある見張り台がまさに楼、当然こちらの挙動を監視している守備兵が駐屯していて、そいつらが何事だと出てくる。二百程の兵が丘から降りてきて停止を求めた。


「某は対楼の司馬で英芸と申します。そこな軍勢の主将はどなたでありましょうか?」


 魏領土の奥深くをゆっくりと移動しているんだ、魏軍だと思うだろうさ。それを装っているしな、俺は黙って睨むだけで無視した。楊喜が司馬に対応する。


「お役目ご苦労様です。卞太皇太后の使いで、曹伯龍将軍の配下、楊主簿と申します。これより山陽夫人へ下賜の品を届けるところでして、先を行ってよろしいでしょうか」


 皇帝の祖母が娘へ贈り物を届ける、そして恐らくは皇族関係者だろう曹将軍。耳にするだけで関わらない方が良いと即判断出来る内容に、英司馬はたじろいでしまった。


「こ、これは失礼致しました。どうぞお気をつけて」


 決して目を合わせないようにして一行が過ぎ去るのを頭を下げて待っていた。確認などして本物だったら首が飛ぶくらいわけないからな、これで敵を通したとしても太皇太后の命令だったと言われたら従うのもやむなしだ。だが罪は問われるんだろうから、出来れば気づかないふりでさっさと消えたらと願うのもわかるよ。


 急がず騒がずに整然と行軍する。贈り物が何かなどという詮索は一切無い、あの荷台には兵糧があるだけなんだがね。


 次丘鎮にも寄らずに真っすぐに休まず昌邑を目指す。昌邑とは、昌県と同義だ。邑は王侯貴族が封じられているのを示す記号のようなもの、ここに山陽公が居るという目印。


 城の正面にやって来ると当然警備兵がこちらに気づく。この邑の公は劉協だが、行政官は朝廷から送られてきている者で、劉協の配下ではない。徴税するのもそこから歳費を出すのもこの行政官で、国相が任じられている。いわゆる県令と同格で、呼び名が違うだけ。


 なので城の守備兵もその全てが国相の指揮下にあり、公には何の権限もない。祭祀を継ぐためにその係官を得たり、教育や資産管理、儀礼や生活の面倒をみる役目の者達に俸禄が宛がわれる。それらの属官だけは人事権を与えられているので、親戚縁者を集めていることが多い。出入り口で当然止められる、ここでも楊喜が応対した。


「下賜の品を運んでおります、こちらは曹将軍、通行のご許可を」


「どちらの曹将軍であるか」


 妙に強気の門司馬が居てこちらを怪しんでいる。さて、どうしたものかな。後ろから石苞が寄って来て印綬を渡して来た。


「あんたのじゃ位が高すぎる、偏将軍ぐらいがいいだろ」


「そうか、そうだな」


 どこかに名前が書かれているわけではないので、それを腰にぶら下げれば本物に相違なくなる。ちなみに魏も蜀も漢の印綬の仕様を継承しているのでほとんど同じ品なので見分けはつかない。


 馬を少し進ませて「俺が曹偏将軍だ、何か文句があるか?」ぎりっと睨んでやると、門司馬がチラッと印綬と体格を見て引きさがる。食うに困ったことが無さそうな巨体、将軍の印綬、これ以上言えば難癖付けられてしまうと判断した。


「お通り下さい」


 ふん、と鼻を鳴らして騎馬したまま城門を潜る。陸司馬も部下から下位の印綬を拝借して腰に提げた。すぐにでも国相からの誰何があるだろうが、俺は先に用事を済まそう。通りの中ほどまできて「楊喜、俺達は劉協に会いに行くぞ。陸司馬、軍の指揮をして国相から接触があればお前が対応しろ。俺は地方の県令風情と口も聞きたくない将軍様だと匂わせておけばいい」キャラ造りをする。


「御意。万が一には城門を封鎖し城を制圧しますのでご承知を」


「ああ、お前の判断に任せる」


 いともあっさりと大事を認めてしまい、楊喜に案内を促す。さして広い城内ではないので、立派な造りの屋敷は直ぐに目に入った。少なくとも暮らしに困るような感じではない、それは見て分かる。


「どちらのご一行様でしょうか?」


 門衛が丁寧に訊ねてきた。そうであればこちらも対応は違うぞ。

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