第146話

「……蜀が長期戦を狙っているという噂を信じ込ませる?」


「よろしいのではないでしょうか。租税を引き下げる恒久的な統治法を喧伝して回り、反魏連合を叫んで包囲を進める。そのような動きをことさら見せつければ、曹真ならばそれを打ち破ろうとするでしょう」


 それに乗れば不見識を問われ、反対すれば押し切られる、司馬懿は従うしかなくなるわけか。そしてそうなれば、二心を疑われないようにするために前線へ出なくてはならなくなる。司馬懿が首都の警備から外れたら、不慮の攻めには耐えられなくなる。無能な総大将を頂かなくてはならない魏を作り出すわけだ。


「そのためにはやはり野戦で俺が囮にならねばならんな、司馬懿を釣るには一番のエサが必要になる」


「防衛をするならば羌族の歩兵が精強でありましょう。親衛隊にこれを加え、堅城要塞にてお引きつけ頂ければ」


 守るには糧食と高度、統率に忠誠が必要だ。つまるところどこの城に寄るかが肝要だな。


「どこが適切と考える」


「は、ここより東に八十里と行かずにある長平がよろしいかと」


「何故だ」


 長平? 二十キロほどか、許都まで二日、相互の距離としては丁度いい。内陸に食い込むんだから逃げ場はない、追い詰めるには最適とすら言えるのは解る。


「長平城は沙河、潁河、魯河が交わる水路の要衝。高さこそありませんが、守るに易い地形で御座います。城壁がやや低いのが気には掛かりますが、一気に攻め寄せることが難しく、守備兵が精強ならば後れを取ることはないでしょう」


「それだけか」


 何度もファッキンサージに引っ掛けられてきた、ここですんなりとそうですかとはいかんぞ。笑いも怒りもせずに無感情に確認を挟んだ。


「長平県、陽夏県、武平県などが属しているのは陳国で御座いますれば、曹植の封地であります。早晩逆賊の汚名を着せられて臣民ごと処刑される恐れもあり、かつては数十万の者が殺され埋められた長平は戦々恐々でありましょう。我が君が親衛隊と共に寄れば、きっと支援を申し出てくるはずです」


「数十万とは?」


 かなりの数だぞ、人口の面では現代とはそれこそ百倍の開きがあると思っても良い。国丸ごと埋められたことになるが、流石にそれはな。


「いまより五百年程昔、後の始皇帝率いる当時の秦国軍と陳国を含む版図の趙国との争いが御座いました。敗北した趙国の軍兵死者二十万余り、捕虜二十万余りの男子が生き埋めに処されたのが長平であります。これにより趙国は著しく国力が奪われ没落することになりました」


「うむ!」


 事実国が失われたのか! ならばこの地の者達は裏切りで全員処刑も信じたくもなる、自らの王が反旗を翻したのだ、何も罰が無いわけがないと考えるだろう。


「五日の後に出る。走船を押さえておく、今度は連絡がつかないなどという失策は踏まんようにするよ」


「工作の件はお任せを。私はここに本営を置いて西部、南部との連絡を担います」


「頼んだぞ」


 ようやく先行きが見えたので、今度こそ自室へと引き上げる。もう少し、もう少しと戦ってきたが、いよいよ最後の戦いが近づいてきたと心意気を確かめた。


 親衛隊に護衛兵、未だに帰還命令が来ていない北営騎兵と羌族兵に氏族兵を引き連れて城を出た。凡そ二万の精兵、本営の名に恥じない軍容になっている。突破力だけで見れば兵力六万に相当する、一方で呂軍師の見立てだと、防衛力も同じような兵力換算が出来るそうだ。


 将軍らも司馬、参軍らは引き戻して本営に連ねた。代わりに呂軍師には校尉らを新たに任じるように指示しておく。


 長距離斥候を千騎単位で放つと太陽が昇ってくる方向へ軍を進める、きっと魏の偵察兵もこちらを見つけて報告に走っているだろう。当然のように『帥』旗を掲げて移動する、俺がどこにいるのかが常にわかるようにだ。


 こんな時くらい隠しても良いと言う奴らも居るが、総大将が戦術とは無関係に偽るのを俺は好まん。主力である兵数が残ることに疑問があるだろう、まずは監視をつけてこちらの兵の司令官が誰かを確かめ、俺が不在ならば追いかける。概ねそんな流れなはず。


「李項、長平の魏軍の様子はどうだ」


 事前に五日もあったので諜報は済ませてある、現状に変更がないかの確認でしかない。


「城主である趙興が兵五千で守備を固めております。小黄門鄒循が目付けとして派遣されてきています」


 それは確か皇帝の側近だったかな。皇帝が出入りする場所の門が黄色だからとか聞いたことがあった、小がついているから部下の類だろう。まあその位知っておけってことだ。


 呂軍師が言うように、陳の国では曹植のせいで監視下に置かれているってわけだ。途中にある小城や郷は無視して一直線向かうこと丸々二日、大分ゆっくりと移動した気がする。騎兵だけが速足で先着するなら半日も要らないからだ。


 三本の河が交錯している東側に城があり、周辺に城域を形成している地域が目に入る。『陳』『長平』『魏』の軍旗が靡いているのであれが長平城で間違いないな。想像していたよりもはるかに広いが、確かに城壁は低い。城域に住む民がこちらを窺っている、不安で一杯の表情が手に取るように解った。


「李項、ついてこい」


「はっ!」


 側近から『蜀』の旗を受け取ると、二騎で城の南東にある門の前に近づいた。当然多くの兵や民からの注目を受ける。門は堅く閉ざされていて、城壁の上には多数の兵士が武装して立っていた。


「俺は蜀の大将軍島介だ! 城主は居るか!」


 腹の底から声を張る、大将軍の響きに魏の兵が沸いた。ざわめく兵を後ろにして、高級そうな甲冑に身を包んだ将が胸壁に手をついて応じた。


「俺が長平県令の趙興だ、蜀の田舎者が何だ!」


 ふむ、県令とはいえ気概は充分のようだな、隣にいる文官服の線が細いのが恐らく鄒なにがしだろう、明らかに場違いだ。それに兵が近づきがたくしている。


「知れたこと、城を奪いに来た!」


 他に解釈のしようがない簡潔すぎる返答に一度息を飲んで睨む。降伏交渉などするつもりはない、眠たいことをしていられる程こちらには時間も無ければ余裕もないからな。


「片腹痛いわ! 雑兵を連れた烏合の衆がいくら来ようとも長平は落ちんぞ。直ぐに魏の援軍が駆けつける、そこで吠えていろ!」


 攻めるのには足場が悪いし、河が極めて邪魔になる。水上から城を攻めるのには経験が必要だ、水軍としてのな。殆どが山に平地に生まれ育った歩兵と騎兵、それを求めてもらちが明かん。


「魏の行丞相曹植が洛陽で立った、政治を壟断する朝臣を排するために。俺がそれを認め、蜀も認めた。今や西域の民も、南蛮の雄も、北部の士も皆が魏を打倒するために首都へ迫っている。目を覚ませ、受け入れろ、歴史が転換しようとしているのを!」


 大仰に言い過ぎようとも構わん、いずれそうなる。いや、そうする!


「西戎に北荻、南蛮に蜀農民が騒ごうとやかましいだけだ。逆賊曹植が行丞相とは寝言も良いところ。はっはっはっはっは!」


「三下の県令でしかない貴様に曹植の志の何が解るか! 大人しくしていれば生涯暮らすに困ることもない奴が、危険を顧みずに行動を起こしたことが!」


 一念発起して渦中に踏み入れた勇気、事を成そうとする意志、確かにそこに存在する。敵味方の垣根を越えた何かは見えずとも感じられる、社会の変革を求める潮流が。


「ええいそのようなこと知るか、矢を射ろ!」


「ご領主様!」


 城壁から多数の矢が飛んできた。李項が軍旗をその場に突き立てると腰の剣を抜いて目の前に馬を寄せて矢を叩き落とす。届くのは少数でしかないが、危険だと後退を進言して来る。

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