第145話

 武将らを各地に派遣して工作を始めた、兵力の減りはあるが以前よりははるかにマシ。半面で兵糧の減り方が激しいので考えどころではあった。寓州城も維持できているようだが、そのままというわけにはいかない。


「李信、こちらへ」


「はっ!」


 思い付いた時に側に居た奴の名を呼んだ、陸司馬と軍師、参軍ら、それと必ず一人は李兄弟の誰かが侍っていた。別に自分の幕に居れば良いのだが、こいつらと来たら時間があればここで警備をすると言ってきかん。


「特命を与える。船を用意して寓州の重傷者を後送する役目だ、兵二千を預ける」


「拝命致します!」


 知っての通り臥せっている者の多くは同郷の兵士、こいつにとっても望むところだろう。問題は幾つもある、だがその全てを解決出来るだけの経験を積んできているはずだ。


「何か聞いておくことは」


「長安方面ではなく、永安方面へと運んでもよろしいでしょうか?」


「ふむ……河を下る方が良ければそれでも構わん。文聘が邪魔立てをする可能性が高いが」


 荊州の水軍が必ず阻害して来るだろう。だが北部へ向かうのとどちらが危険かは何とも言えん、こいつなりの考えがあるんだろう。その後、中県に近いのは南というのは間違いないがな。


「丞相の策が功を奏して呉が遊軍となれば、文聘も我等に構っている暇はないでしょう。それに、河西にある城へ避難することも出来ます。寓州より後送するだけならば敵が少ない南部に」


「そうか、お前に任せる。黙ってここで座っているだけでは仕方ない、だが本営があまり戦をするのもいかんと痛感した」


 ではどうするってことだが、後詰で観戦だけしていればいいんだよな。ところがどっこい、前に出ると黙っていられない、難儀な性格だな。呉の態度がいつ変わるか、これが重要だ。


「呉方面の偵察からの報告はないか」


 この場の誰にではなく皆に尋ねる、誰かが聞いていれば教えるようにということだが。残念ながら進み出る者はいなかった。いや、この際待つのは愚策だろう、こちらから真っ正面仕掛けるべきだ。俺がそうするだろうことくらい孔明先生も承知だろう。


「では柴桑へ出向いて様子を探って来る役目を引き受ける者はいないか」


 ざっくりとした目的しか述べていないのに志願者は現れた、このなかで一番の年配者である董遇。


「それでしたら私が行きましょう。万が一戻らずとも困りはしないのが利点の一つ」


 軽く笑いながら己を卑下したが誰一人笑いに同調する者はいなかった。董軍師であれば門前払いを受けることは無い、魏に所属していたこともあるので知己も居るだろう。


「俺が困る、必ず帰って来てもらう。訪問の名目は」


「柴桑であれば大都督陸遜に男子が産まれたとか。その祝いとでもしておきましょう」


 ほう、そんなことを知っているとはな、どこで誰が産まれたなど気にもしたことが無かった。祝いの客ということならば無下にも出来まい。


「では宝物を持って向かうんだ。護衛には胡周を連れて行け」


「御意、胡将軍をお借りいたします」


 道中密かに何らかの接触をしてくる奴もいるかも知れない、変化球がそこまで得意ではない董軍師ではあるが、メインは偵察の類だ問題あるまい。今日のところは休むとするか、退室を宣言すると己の部屋へと向かう。


 寝室には銚華が居て姿を見ると「お帰りなさいませ旦那様」声をかけて来る。


「ああ、今はここが我が家というわけだ」


「痛みが激しくご不満ではありましょうけれど」


 言うように決して立派な部屋ではない、寝泊まりするだけなら充分ではあるが。幾ばくかの調度品を置いて誤魔化しているだけ、奪ったばかりの地方の城、その一室などそんなものだ。


「なに、可愛い妻が居るだけで大満足だよ」


 長らく留守にしてはいつも死にそうになっている夫で悪いとは思っているんだ。軽口を叩くと銚華はにっこりと微笑んで寄り添う。心の安らぐ場所を作ってくれてありがたいことだ。


「道中耳にいたしましたが、南匈奴が幽州へ入ったとか」


 異民族だな、鮮卑と地域が大分被っているはずだ、鮮卑の居残りの方に攻め込まなくて良かったよ。これも孔明先生の誘導なんだろうか?


「北軍はその対応に出動しなければならないわけだ、正直助かるよ」


 ある程度以上はいくら兵が居ても戦場に居なければ意味がないが、それでも不安定要素が減るのは嬉しいこと。公孫の反目もあって、殆ど北部は余裕がないだろう。それでも十万が減っただけで三十万からの兵が使える。だがその割に行方不明の兵が十万か、地方の守備についているなら良いが、どうなんだ?


「羌族は別としまして、涼州や西域、三輔の敵性住民が大人しくしているのは時間の問題かと」


 まあな、手薄な今こそ独立を狙うだろうし、何かを画策するには好機。そいつは解っている、だがどうにもならん。


「どのくらいの期間だと見てる」


「……半年を出ずに動くでしょう」


「そうか」


 半年、長いようで短い。次の冬で長駆出来なくなるときが期限というわけか。首都で籠城されたら厳しいものがあるぞ、落とす時には力だけでは無理だろうな。司馬懿はどうするだろう、長期戦に持ち込もうと主張するな、だが曹真は反対を唱えるはずだ。


 彼我の力関係は互角、だが世には血筋というものがある。曹真の意見が半歩先を行くのが常。俺が短期戦を狙えば司馬懿は長期戦を主張、それで曹真が短期戦を擁護する、その時どうすれば皇帝は短期戦を支持するかだ。


 魏の朝廷に参列している曹族らの押しがあれば、恐らくは司馬懿を退ける。そして司馬懿への讒言があればより確実か。一番単純なのは司馬懿が謀反を画策しているというのを流せばいいわけだ、長期戦にして己の計画を準備する時間にしつつ、皇帝の権威を貶めるつもりってやつだな。呂軍師に相談してみよう。


 銚華がすっと離れると一礼して「旦那様がお出かけです」侍女にそう告げた。こちらの考えをすぐさま感じ取ってくれたらしい、本当に賢い娘だ。


「すまんが残業して来る、先に休んでいて良いぞ」


 戻ってすぐに部屋を出る、城内にある呂軍師の屋敷、外には屈強な警備兵が立っていた。ん、いや、どこかで見た顔だな。


「大将軍! すぐに主人にお知らせいたします」


 玄関の内側で待つように招かれて小走りに行ってしまう。すると直ぐに中から呂軍師が出てきて「どうぞこちらへ」にこやかに勧める。


「突然済まんな、邪魔させてもらう」


 上座を勧められるままにそこに座すると、遅れて軍師も座る。どうせ俺がやって来た理由もわかっているんだろうが、何か言われる前にまずは考えを述べてしまおう。


「一つ思い付いたんだが、軍師の意見を聞きたくてな」


「左様ですか、お聞かせ願えますでしょうか」


 茶を用意するように家人に命じるとこちらをじっと見て言葉を待つ。大したまとまっていない考えなんだ、悪いな。


「俺は短期戦を望んでいる、ということは司馬懿は長期戦を望んでいるだろう。そこで対抗馬の曹真が短期戦を唱えるように仕向けたい。やつの意見を誘導し、それを擁護する者に仕込みを行いたいのだが、どうだろうか?」


 根拠は感情的なものでしかなく、そもそもが己の意見を前に押し出して主張するかどうかなど不明だ。だがそうなるような気がしてならないし、そうされるのが一番厳しい。小さく頷いて呂軍師は目を閉じた、自分の中で何かを確認する作業をしているんだろう。


「では順序を逆にたどると致しましょう」


「逆とは?」


 全く意味が理解出来ない、逆とはどこのことを指しているかすらもだ。心理戦というやつか?


「司馬懿が長期戦を望んでいるから、曹真が短期戦を望むの順です。まず曹真が短期戦を唱えます、それに司馬懿が乗れば良し、反対すれば長期戦を望むことになります。どちらになっても我等の望み通り」


 ふむ、軸を司馬懿に置かずにすすめるということか、確かにあいつを中心に据えてあらぬ方向へ行かれてはかなわん。ではどうやってというやつだな、うーむ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る