第144話

「我が君も同じ思いのご様子。ですが租税の話も捨てるには惜しい。そこで蜀の治世になれば租税は今より遥かに減るという文言は使えるのではないかと」


 進駐軍の飴と鞭だな、信じるかどうかはそれぞれだ。一定の数が希望として受け止めてくれるだけでも十分だろう。


「郤参軍、魏領への布告文を認めろ」


「御意に」


 自身の得意分野が降って湧いて出たのでいつもより強めの声を張って承諾した。これを各地に持ち運ぶのは、金で雇うやつらでいいだろう、一切を任せてしまおう。ここで珍しい人物が進み出る、孟兆軍営都督だ。呂軍師が発言を促した。


「戦後のこととはいえ、島大将軍が租税の件を持ち出し、制定する権限はあるのでしょうか?」


 なるほど、俺は確かに統治官ではない。戦後の政治関連について確約するにはいまひとつということは納得できる。どうなんだ呂軍師? ちらっと視線を向けるだけで自分では答えない。


「それについては問題ないでしょう。暫くは蜀に降ったとしても魏政府が領地を統治することになるので。曹植行丞相を通して旧領を支配する見通し。そうでありましょう、我が君」


「ふむ、確かにそうだな。傀儡政府というのを挟むことになる、そこの首班が曹植であるかどうかはわからんがな」


 途中で戦死してしまおうと、制度として利用するつもりだ。魏の間接統治、市民もその方が不安は少ない。


「為してもおらずあまりに先を語るのも憚られますが……戦後、洛陽から許都周辺に蜀の武官を太守として配し、我が君が大都督として魏の行政府と共にあれば、直轄地は確かに租税の決定権を得られましょう」


 要衝、あるいは周辺すべてをこちらの兵力で囲んでしまい、政治的な部分だけを持たせるわけだな。妥当なところだ、こちらの武官らが個別に太守を務められたらの話だがな。まあどうとでもなるだろう。


「なるほど、租税が減れば島大将軍の言葉の通り、違えば魏の行政が責めを受けると。出過ぎました」


 解っていてそう言った可能性があるなこれは、ではその真意を考えておくとするか。一つは単純に俺が越権をしていないかとの意味合いだ、戦時だからある程度は独断でするつもりではあるがね。二つはやはり官職がなんたるかを蔑ろにして欲しくない、そういうところだろう。符節令を父方に持っていればなおさらだ。


 最後は苦労人なりの気づかいだろうか。却下された提案に少しでも価値を見いだそうと言うやつだ。呂軍師も半ば解っていて、わざわざやり取りをしているように見える。


「目の前の問題を議論するぞ」


 北部に魏の野戦軍、恐らくは南西部に向かっている張遼の南方軍、この二つだ。首都を落とすためには野戦軍を無視できないし、十日、二十日と戦闘を継続するには南方軍を無視できない。何があろうと劣勢なのは変わらん。


「魏軍が集まっていれば郷を攻め、分散すれば軍を攻める。相手にあわせる必要はないと考えます」


 李項がどうやって戦うかの方策を端的に示してきた。真っ正面から決戦を仕掛けるだけでは芸がない、どうやって勝率を高めるか。決戦時にだけ集合できればいいんだ、機動力を最大限発揮できるシフトを模索しよう。


「郷の食糧を全てかっさらって、近隣に移動するように仕向けて魏の混乱を誘う。魏としては無視できないからこれを助けるなりをするだろ、そこを個別に叩くとか、敵の戦略物資を散らすとかどうだ」


 石苞の案には三つの理がある。こちらの補給軽減になること、魏の防衛拠点の荷になること、魏軍の指揮負担になること、合理的な提言だ。俺の顔色を見て鄭度が言葉を加える。


「されば、魏軍が郷を見捨てていると流言飛語をし、蜀の本営を衝かないとのは勇気がないからと蔑み、避難民に紛れて調略兵を差し込ませるのはいかがでありましょうか」


 これが現代戦だとして考えてみよう。物資を失い強制移住を余儀なくされる、そのうえで味方の軍が勇気の欠如と罵られるのはどうだ。同時に蜀の支配になれば税が軽減される。


 腕を組んで市民の心理を想像してみた。市民から奪い取り、将来は租税を減らすから信じろ? ちゃんちゃらおかしいな、信じるべき根拠になる部分が無い。これだけ不安に陥ればむしろ変化を嫌うのが人間だ。


「いかがでありましょうか?」


 呂軍師が決裁を求めて来る、こいつの基準でもこのあたりが適切ってことなんだな。ということはこの時代の者には充分通用するわけだ。並なことをしていて勝てるならば、蜀はとうの昔に中原を制覇していただろうさ。


「呂軍師はどう思う」


「はっ。守りを固める郷が多ければ計画が遅延し、こちらの兵力が減少するでしょう。決戦時の負担が多いでしょうが、野戦であるならば都合をつけられましょう」





4-52

 ふむ、視点的には戦闘の部分に問題ありとしか指摘せんか。同数の戦ならば勝てる、今までも勝って来た。敗軍の兵が散るならばその差は詰まる、それも劇的に。戦場では死ぬ兵よりも逃げる兵の方が遥かに多いからな。それらが郷に戻った時にどう考えるか。


「郷が守りを固める、か。侵略を恐れてのことだ、略奪をうけるというのが最大の理由だ。それは魏の国軍であっても市民にとっては変わらん不安だろう、兵糧の徴発は」


 国家の非常事態だと手持ちの食糧なりをすべて取り上げてしまう、さも当然のようにだ。これは国家危機管理としては当たり前なのかもしれんが、日本に生まれ育った俺としてはちとピンと来ない部分も知っているぞ。


「確かにそうでありましょうが、国家を失うかもしれない一大事にて」


「それだ。別に人は国など無くても死にはせん、だが国は人が無ければなりたたん。どちらが主であるかを考えたことは無いか」


 俺の言っている意味がわからんといった顔だな、まあ殆どの奴らがそういう表情だ。哲学のようなもの、董軍師だけはそこまで不思議には思っていないな。


「国が無ければ流民は盗賊と化して、多くに不幸をもたらすでしょう。国が無くても良いとお考えで?」


「国や組織、その呼び方は何でも良い。俺が言いたいのは、主権の言うのはその集団にあるのではなく、人そのものにあると言いたいのだ。その主権を集めたのが組織であり、国を成す。国の為に人を犠牲にするのではなく、人の為に国が存在する。少なくとも俺はそう信じてきた」


 皆が難しい顔をして黙る、昨日までの己を全否定するかのような言葉なんだろう。


「愛国心というのを否定するわけではない。相互の信義によってのみ国は建つ。民を蔑ろにするようなことは出来ん」


 独りよがりだと呆れられようと、伝統にそぐわないと目を背けられようと、偽善だと失笑されようと、俺は俺の信じる道を行く!


「……我が主はいかようにすべきとお考えでありましょうか」


「郷からの糧食、無条件での略奪を許さん。必ず初めに約束手形での買い上げを打診するんだ」


 ここで言葉遊びをするつもりは無いんだ、どう説明してやったらよいか。


「手形ですか?」


「ああ。蜀の統治を迎えられたらという前提はあるが、必ず代金を支払うと約束をする。そいつの裏書は俺の名前で構わん」


 全てが終わった後で破産するくらい喜んで受け入れてやるさ。十年あれば払い切ることは出来るはずだ。


「敵地の民から購入する……むむむ」


 珍しく低く唸る呂軍師に軽く目をやり、皆を見渡す。冗談で言っているわけでも、誇張しているわけでもないぞ。


「特例として、蜀が戦争に敗北しても中県に受け取りにやって来くれば支払うぞ」


 いたずらっぽく笑いながら無駄にはならない配慮を示してやる。取りに来てそのまま住み着いても良いんだ、好きに選択すればいい。


「魏軍にただで持っていかれる位なら、蜀に売ろうって考えるかも知れないな。副次的な部分で、これに応じれば命は助かるという安心感を与える効果がある」


 鄭参軍が末端の民の立場でそう感じるだろうことを想定する。なるほど略奪するつもりじゃないならばそういう思考に発展するだろうな、蜀に恨みはなく避難してくれれば助かる。


「すると略奪するときは魏軍の軍装でしなきゃな。交渉を断られたからって放置してたら作戦にならない」


 石苞のいうことはもっともだ、蜀だとバレようとも魏軍を装うのが大切だ。証拠能力などどこにもないんだ、噂が千里をかけるだけ。地元の跳ね返りを雇って、最前線で動かせば他国の人物ってのも判別できんくなる。そのあたりの偽装はいつものことだ。


「軍事方針を確認します。各郷で糧食買い上げの交渉、決裂時には略奪を視野に。魏軍を分散させるのを目標とし、数が接近した時に決戦を挑む。大まかな筋はこれでよろしいでしょうか?」


「ああ、そいつでいこう」


 決戦期間をどこまで縮めることができるか、それが肝ってことだ。そもそも互いの食糧など二十日分も備えて居ないんだ、そのつもりならば夏が終わる前に勝ち負けなど決まっている。


 詳細な役割指名は呂軍師に一任してしまい軍議を終えた。

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