第142話

 円陣の中心に身を置いているので、背の心配は要らない。ここで切り結んでいる余裕はない、半数を牽制に残すべきかどうか。いずれ指揮を執るのは陸司馬なので何も言わずに前を向く。


「あれを!」


 親衛兵が遠くを指さして注意を促した。北東の方面、結構な勢いでこちらに向かって来る騎兵団。


「……李項か」


 魏の騎兵団を遮る形で参戦、鉄騎兵は相手が騎馬であってもやはりその力を発揮した。騎士ではないので、魏の馬を攻撃しては落馬を誘い数を減らしていく。生身の馬は背を矛が掠っただけでも棹立ちになり、その場で戦闘から脱落してしまう。一方で装甲を纏った李項らの軍馬は、高さがある攻撃に強い。


 当初の目的である本営への攻撃が無理とみると、魏の部将は馬首を変えて引き返していった。それを確かめると鉄騎兵がこちらへと合流してきた。


「長らくお傍を離れ申し訳ございませんでした」


「なに良いところに戻って来てくれた、まずは呂軍師と合流する」


「御意」


 短く返答をすると陸司馬の傍へと駒を寄せる。


「陸将軍、よくぞご領主様をお守りしてくれた」


「あと数刻でかなり危険な状態になっていたでしょう」


 どう贔屓目に見ても今日を越えることは出来なかった、陸司馬の努力で一時間は延命出来たかも知れない、その程度の話だ。


「だが無事で居る。俺が先頭に出る!」


「宜しくお願いします」


 視線を交わすと騎馬の足を少し早めて前衛へと躍り出る。


「重装騎兵は突撃槍構え! 四列横隊、本陣の道を切り拓くぞ、俺に続け!」


「応!」


 黒甲冑に赤い外套の親衛隊騎兵が、馬上槍の金具を鞍の突起に引っ掛ける。こうすることで重くて長い槍を片手で支えることができ、更には衝撃に騎馬の体重を乗せることができる、つまり人など障害にすらならない。


 隣との間隔を五メートルほど開けて幅を確保する、少し軸をずらして四列が二百メートル幅をカバーした。二十人ずつが集団で動いている歩兵だが、明らかに相手が悪いと密集すると槍を束ねてその場に腰を据える。顔色は真っ青で、可能ならば逃げ出したかったろう。


「蹴散らせ!」


 李項の号令で一列目が歩兵の槍壁をあざ笑うかのように左へと進路を膨らませる。そして斜めに突撃を行った。


 どういうことかというと、歩兵は槍を構える時に左手を前に出して右手を後ろに添える。その集団が右に騎馬をみたらを想像すると良い。互いが邪魔になり槍を上に上げなければ向きを変えることが出来ないのだ。


「う、うわぁ!」


 一列目が槍で三人を貫通、突撃槍を捨てて過ぎ去っていく。二列目が同じように斜めから侵入、今度は乱れた集団の中央を突っ切るだけ、馬体に跳ね飛ばされた奴らが味方と共に腰をついてしまう。


 三列目は真っすぐに進む、最早逃げ腰の歩兵は害にならず、槍で一人、体当たりで一人と命を奪って行った。四列目はまだ戦意がありそうなのを狙って串刺しにしていく、もののついでに背を衝くこともあった。


 散り散りになってしまった歩兵、脅威が去ったと思うと今度は本営の軽騎兵がすれ違いざまに騎射を行う。最後に矛を持った奴らが固まって中央を走っていく、もうどうにも出来なかった。


 軍旗に気づいた呂軍師の軍勢からも出迎えの騎兵が向かってきて、ついには歩兵の軍勢に合流する。


「我が君、ご無事で何より」


「無様を晒した、手近に城はないか」


 本営の護衛らが追いついてきても、また野戦陣では傷も癒えない。それと、問えば答えそうな気がしていたのは事実だ。


「ここを南に行ったところに召陵城が御座いますので、そこに拠りましょう」


「魏の守備隊は」


「既に確保しておりますのでご懸念無く。案内と護衛に兵二千をお付けします、私は遅れて行きますので後程」


「すまんが後続を頼む」


 打てば響く出来る男とは呂軍師のことだ、蜀軍兵二千を加え歩兵の足に合わせて城を目指す。沙河を縦断すると直ぐに中規模の――雲南城と同じくらいの城が見えて来た。城壁には『蜀』『呂』の軍旗が林立している。


「島大将軍、あちらが召陵城で御座います」


「そうか」


 案内役が解り切ったことでも報告をあげて来た。頷いてやると陸司馬に目配せをする、二騎が抜け出すと『島』の軍旗を抱げて城門の前に駆ける。何事だと城兵が外を見た。


「蜀が大将軍島中侯の入城だ、城門を開き出迎えよ!」


 ややすると両開きの大門がギギギギと軋んだ音をたてて左右に開かれる。中から武装した軍兵が出てくると城外で左右に分かれて並んだ。


 ここから仕切り直しだな、まずは情報の整理からか。無言で入城する、敗軍ではあるが肩を落とさずに胸を張ることを強調し、まだ終わっていないことを示すことで精一杯だった。


 召陵城だけでは手狭になるので、沙河の折れ曲がった西側にある螺河城も突貫工事で補修して駐屯することにした。呂軍師が戻るのを待って、軍議を開く。何ともまあこの安心感よ。


「我が君、魏軍は北へ四十里のところで進軍を止めました」


 日本の里ではなく、中国のこの距離は十六キロちょっとだったか。行軍半日の距離、歩兵での夜襲を警戒しているということだろう。


「みなご苦労だ、先だっては迷惑を掛けた」


 寓州城を守り切れていたらこんなことにはならなかった、それが無理だからこうしたわけだが、そいつは俺の事情でしかない。失った多くの兵に申し訳が立たん。せっかく奪った城二つを奪還されて、許都からも距離を置いている状態。


「戦というのは」呂軍師が部屋に居る武将らに視線を流して後に「最後に戦場に立っていたものこそが勝者です。中途の勝敗など些細な事」


 そいつは真理だ、俺の口からいうことではないがね。状況を整理しよう。


「うむ。銚華も良く来てくれた、お陰で一息つけている」


「旦那様の在る処に私も在りたいと状況を探っておりました」


 羌族の麻苦と焼良か、それとあいつは誰だ? 見かけない顔、それが馬氏のところの奴なのだけは消去法で分かった。視線を受けて進み出ると名乗った。


「陰平西部の氏族の長、端白だ。馬氏の要請を受け兵五千でやって来た」


「蜀の大将軍島介だ。遠路はるばる感謝する、端白がいう氏族とは?」


 今の今まで聞いたことがない、西部の小部族というには五千を送れるのが不思議だ。すると呂軍師が腰を折り解説をしてくれた。


「氏族の多くは曹操の時代に魏へ移住しておりましたが、端白殿の族の他、幾つもの部族がそれを嫌い西部へと移住した者です。それらをまとめあげたのがこの端白殿ということでありましょう」


 白氏族、青氏族、興、百傾、他にも複数あったそうだ。その中の白氏族の長だったこいつが全てを糾合して端白を名乗ったということらしい。その際に後ろ盾になったのが馬一族という流れ、歴史がある話に頷いてしまった。


「すると端白は氏族の単于というやつか」


「はは、島大将軍はこのような弱小の西戎の酋長を単于と呼んでくれるというのか」


「頂点とは数を示し据えられる者ではない、押し上げられる者を言う。多くの部族の者が端白を頂点にしたというならば、お前が単于である確かな証拠ではないか」


 烏合の衆が何万集まろうと、並列する長が複数いるような合議の形ではそうは呼ばん。誰かに譲られた地位でもそうだ。端白は半開きだった目を大きくすると「なるほどこれが噂の島将軍、馬姫も良いところに嫁いだものだ」真面目な表情になり喋り口も変わる。


「端白、軍議がある茶化すんじゃねーぞ」


「うるせぇ麻苦、俺は楽しんでるんだよ。まあいいさ、俺は俺の判断で動く。だが今は羌姫の指導に従うことにするさ」


 にやけると一歩下がって口を閉じた。味方、ということでいいんだよな?


「我が君、まずは情報の並列化をはかるのがよろしいかと」


「うむ、呂軍師頼む」


「御意」


 城主の椅子の左隣に立っている呂軍師が向き直ると皆と対面する。


「全体の情勢を示す。荊州では魏延将軍の軍が進出し、姜維将軍が糧道の確保を行う為に近隣に軍を置いている。永安の冷将軍は防衛に徹しているが、そこへ呉の水軍と陸軍が向かっているところだ」


 魏延と文聘の軍勢は恐らく五分五分で進退無しだ。上手い事正面をかわしてこちらに走ったとしても補給が出来んから長続きはしない、そういう意味では姜維の軍が重しになっているな。


「北部では洛陽に羅憲の軍があり、白鹿原は陳式将軍が道を塞いでいる。大鮮卑が魏の首都北東八十里あまりにまで接近、本営は現在ここに御座います」


 こちらの遊軍が魏の防衛軍の四分の一ほどしか居ないのがよーくわかったよ。それにしても諸葛亮というのは北伐を繰り返したらしいが、良くぞやったものだと思う。

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