第141話

 魏の大軍に囲まれているが、蜀の旗がその外側に見えるな。南にもあるが、あれは……呂軍師か! 外で全体の指揮を執っているに違いない、とすると。


 今度は北側をじっくりと目を細めてみる。平地の大分先に土煙のようなモノが上がっている、それがどんどんと近づいているのだ。


「おい、あれが見えるか」


「はっ…………大鮮卑の旗印を掲げております!」


 うむ、敵の敵は味方と思ってくれればよいが、見捨てるには不安定ということなんだろうな。郭淮将軍は北か、これを防ぐのを優先したいが、動きが若干鈍っているのは何故だ?


「将軍、西の魏軍の後ろに更に別の軍旗が見えます!」


 言われて遠くを見るものの、ぼんやりしていて判別できない。最早本部で出来ることなどないので、参謀らに報告を受け取ることを全て任せてしまいじっと西を見る。


「……見えました、あれは西羌軍です。『馬』の軍旗も並んでいるようです」


 馬と羌といえば誰が率いているかは一目瞭然だ、銚華が馬姫のところの兵も連れているんだろう。西方から遠路はるばる来て、本部が陥落していましたでは恥ずかしくて声も出んぞ。


「防衛隊に報せてやれ、分遣軍の帰還と、羌軍、大鮮卑が来援したとな」


 心が折れなければ守り切ることも出来るだろう、今後暫く療養生活になるかも知れんが。櫓を降りると本陣の中央にと戻る。味方の声に張りが出て、気持ちが盛り上がっているのが感じ取れるな。だからとこちらが劣勢なことにかわりはないぞ。


 近くで揉めるような声が漏れ聞こえてくる。隣の幕舎で報告を受けている参軍らのものも混じっていた。黄参軍が顔色を変えてやって来た。


「どうした」


「大将軍、大変な報が入りました。首都の丞相がお亡くなりになったと」


「なんだって!」


 寿命か? いや、それには早いはずだ、では廖化との争いで落命を? 黄土色の旗を腰に指した伝令兵が遅れて入室してきた。乱戦の地を抜けて来たのだろう、矢が刺さったままの外套や、ところどころ血が滲んでいる箇所が見えた。


「申し上げます。成都にて諸葛丞相が、凶刃にかかりお亡くなりになりました。決して外に漏れない様にとの極秘の報に御座います。『これを必ず島大将軍へ渡すように』と、今わの際に仰ったとのこと」


「そう、丞相が言ったと?」


「はっ!」


 大事そうに懐から竹簡を取り出すと恭しく頭上に祭り上げる。ふむ、今後の指示という話だな。


「こちらへ持ってこい」


「承知」


 伝令がそろそろと歩み寄り、うつ向いたまま竹簡を差し出して来る。それを左手で受け取ろうと前のめりになったところで――幕に金属音が響いた。


「なに!」


 伝令が顔を上げた瞬間に、吹き矢のようなものを飛ばしてきたのを、右手の小太刀で叩き落としたからだ。足元に暗器である吹き矢の筒が転がっている。すぐさま幕に居た鄭参軍がうつ伏せにして取り押さえてしまう。


「惜しかったな、残念だが俺は来ると解っている攻撃を黙って受けてやるほど甘くはないんだ」


「馬鹿な! 俺は誰にも気づかれず完璧にここまで偽装してきた。何故気づいた!」


 ここに居る参軍らも全く解らなかったようで、確かに同じような感想を抱いているようだった。まあ陸司馬も居ないし、李兄弟も不在だ、そうもなるか。


「鄭参軍、そいつから背後関係を聞き出せ」


「手段は問わないということでよいでしょうか?」


「ああ、任せる。俺は神でも仏でもないからな」


 厳しい顔をして鄭度は伝令兵を縄で縛って引き立てて行った。その際に躊躇なく左右の腕に刃を突き立てたのは、参軍らの一部に反感を与えていたが、言葉には出さずに終わる。


「では答え合わせをしておくとするか」


 若い参軍らを前にして、どうして気づけたかの種明かしをする。


「簡単な話だ、孔明先生は俺を龍と呼ぶ。それにな、俺を狙った暗殺者が居ると言うのを事前に聞いていた。乱戦で陸司馬が離れ、親衛隊の衛兵が減って顔見知りを判別できないところで、左右の幕を貫通する事案。これで警戒するなという方が無理だ」


 吹き矢は想定外で危なかったがな、口に何かを含む位しか攻撃手段がなかったんだ、毒霧あたりをされるかもとは思ったが。直線的な動きしか出来ない単発の矢で助かった。


「島大将軍のお言葉は理解致しました。ですが敵と解っていたならば、危険を回避するべくしていただければより幸いかと」


「ふむ、それは……そうだな。すまん、次からはそうする」


 自分の身は自分で守れることを証明しておきたくてね。だがこいつらの言う通りでもある、不用意に危険を甘受すべきではない、いくら自信があたっとしてもだ。弱気になっているわけではないが、あっさりと己の非を認める。


「お判りいただけましたようでこれ以上は何も」


 何事も無かったかのように左右に侍ると正面を見て黙ってしまった。さて、増援が来るのはわかったが今後どうすべきか。まずは呂軍師と合流するのは決定事項だが、近くにいるようで結構遠いわけだ。


 防衛線がより小さくなり、イングランドの長弓兵がここに存在して居たら、反対側の兵士の背に矢が刺さるのではないかと思えてしまう。じっと本陣で待つこと小一時間、東から激しい喚声が近づいてくる。


 親衛兵が駆け込んで来ると「報告します、東部より馬金大王の軍勢が包囲を破り接触してきました!」なるほどの結果を口にする。地続きの上に挟撃可能な方面を選んできたか、呼応しただろう陸司馬の腕前でもある。


「気を抜くな、離脱は防衛よりも困難だぞ」


 考えの一端である離脱を言葉にした、瞬間参軍らの思考が加速した。費参軍が進み出る。


「魏軍の追撃を避ける為に、北部に火炎の壁を置かれてはいかがでしょうか?」


「わずかでも距離が稼げるならば実行すべきだな。溝を掘る時間はそう長くはとれんぞ」


 そうだな三十センチ程度の深さで数百メートル、そこそこ苦労しそうだ。そう想像していると孫西曹が「軍馬に金属を曳かせれば直ぐでしょう」初めて皆の前で意見を出した。半ば強制的にこの場に連れて来られていたが、真面目な顔で眉を寄せていた面々にやれやれと提案する。農耕馬のイメージだな。


「そうか、ではお前が実行するんだ。いいか即座に行え」


「わかりました、軍馬五匹と兵士十人を借ります」


 言うが早いかそそくさと出て行ってしまう。有言実行、迅速とあらばこれ以上言うことは無い。


「費参軍は油を流す手配を。黄参軍は馬謖と共に軍内への連絡を行え。郤参軍、行軍不能で遺棄される者達の名を記しておけ」


 人道的な処置など出来ようはずもない、いまはそういう時代だ。人の命が米よりも軽い、生きるために他人を殺すことを責められない。少しすると陸司馬が汗を垂らしながらも無傷で戻って来る。


「ご領主様、各所からの増援と南蛮軍の帰還です。馬金大王が退路を確保してくれています、脱出のご準備を」


 柄杓で渡された水をぐいっと飲み干すと一息つく。陸司馬が直接切り合いをするくらいだ、かなり押し込まれているぞ。


「撤退準備を行え。河を右袖に見て南東へ向かい、呂軍師の部隊と合流する。まずはそれを目標とするぞ」


「御意!」


 東部の防戦を南蛮軍に任せると、各戦線から親衛隊の本部要員を抜き出す。皆がどこかしら負傷していて、肩で息をしている者が多い。だが目は死んではいない。


「揃いました、ご領主様よろしいでしょうか」


「うむ、行くぞ」


「親衛隊へ下命! これより後将軍の軍と合流する、決して魏軍をよせつけるな!」


 腹の底から声を出し騎乗すると、左手に南蛮軍を見て速足で離脱を試みる。軽騎兵と乗馬騎兵が殆どでまばらに散在している魏の歩兵を抜くには充分だった。『帥』旗は巻いてしまい『島』『大将軍』の軍旗だけを掲げて移動を始める。


 それを見た五百程の魏の騎兵がこちらに急行して来る、これに捕まると面倒なことになるが、歩兵が足止めになり速度が伸びない。これは早晩追いつかれるぞ!

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