第138話

 郭淮将軍の動きが厳しい、次々に兵力をまとめては攻め寄せて来る。他の城壁が五月雨式でまちまちなのに対して、こうやって統制を取られると穴が開くことがある。


「第三小隊は角地で待機だ!」


 中央から声が届かない場所、東西の角地に独立判断で動ける部隊を一つずつ置く。いくら場所が狭いと言っても、常に全てを見ているわけにもいかない。昼間は俺が、夜は李項が防衛の総指揮を執っている、校尉らは半数に別れて補佐を、楊校尉は昼間組だ。


「北側城壁に魏軍が登って来たぞ!」


 長い梯子を登り切り、城壁についているギザギザ、胸壁に足を付いた魏兵が複数。ここから続々と侵入されてはかなわないので、周囲の予備兵が即座に追い出しに掛かる。二十人が一斉に押し込もうとした、だがそれが逆に押し返されるから驚きだ。魏は精鋭を送り込んできたらしい。


「登れ! 拠点を作るんだ!」


 上半身だけ鎧を二枚重ねて先頭でやって来た兵長が後続を呼び寄せる。上からの攻撃に耐えるには確かにそういうのが効果的だろう。一人、二人と剣を手にした兵が登って来ては、先頭集団の前に進み出る。こいつはまずいな。


「陸司馬、お前が処理してこい」


「御意! 行くぞ」


 自身の側近を連れて北側城壁の現場に駆け付けた。身の置き場が狭く、気を抜くと城壁から落ちてしまうとすら思えた。圧倒されていた城兵が『陸』の軍旗に勇気づけられる。


「将軍!」


「鎮まれ! 力で押せぬならば頭を使うんだ、あれを持ってこい」


 包囲を固めてこれ以上の進出をさせないまま、何かを待つ。すると城壁の下から四人がかりで瓶を運んできた。陶器に半分すくって、放物線を描いて魏の集団に投げつける。割れる音が聞こえて直ぐに「油だ!」悲鳴にも似た声が上がった。


 次々と油が入った器が投げつけられ、最後に松明が投げ込まれると、炎が燃え上がり黒い煙で辺りが見えなくなる。たまらず火を消そうとして転げまわり墜落する者、無念に燃え落ちる者、一矢報いてやろうと特攻をかける者がいたが、程なくしてそのばの魏軍は撤退していった。


「消火するんだ、防衛体制を再編するまで俺が受け持つ。司馬らは調整を急げ」


 四方の城壁司馬に連絡の上で、予備兵が持ち場を与えられると、陸司馬は本部へと戻って行った。


 危なげない指揮だ、流石だな。経験こそがものをいう、それが現場だ。何事もなかったかのように右後ろに控えるのを見て小さく頷く。いよいよ限界だが、南蛮軍は姿が見えない。


 馬金大王もだが、鳳珠羽空王らもだ。このまま籠城すべきかどうか、決断せねばならんぞこいつは。もしこないならばここで座して敗北を待つしかなくなるが、成都が落ち付いてから巻き返しをはかる機会が後に出てくるまで逃げるという選択肢もなくはない。いずれ死んだらそこまでだ。ならば答えは決まっている、俺はそうやって生き抜いてきたんだ。


「シ ポシブル フェレ アンポシブル オゼフェァ」


「ご領主様?」


 不明の言葉を呟いたので怪訝に思い腰を曲げて顔を覗き込む。


「今夜攻撃に出るぞ」


「城を捨てるということでよろしいでしょうか?」


 兵力を割るということは結果としてそうなる、そして自力で動けない者達は死ぬしかない未来が待っている。


「そうだ、だが行き先は南でも西でもない。東だ」


 敵地に切り込む、それが常識では考えられない行動だというのはいつもの話。目的は何だろうと先を読む、東に行かねばならない理由を。


「……迂回で離脱を?」


 西へも北へも逃がすまいと包囲を加えている、魏領地内部への包囲網は狭い。ならばそこが突破口になり得る。


「鮮卑がこちらへ来ないならば、魏軍を引っ張っていくまでだ」


 日々言っていた、フレッシュな戦力が必要になるのはここだ。先頭を行く面々は気力体力が充分でなければならない、そして殿がその次に強い戦力。


「親衛隊重装騎兵を休息に入らせます。もう一つはどの部隊にしましょう?」


「王連将軍の騎兵団を。追撃を防いで先行部隊に追いつく、言うは易いが極めて困難だぞ」


 日没で城攻めが収まり次第すぐに眠らせる、交代で二時間ずつ睡眠させれば明日の夕方までは持つだろう。仮眠は結構な体力回復に役立つ、問題が起こるとしたら明日の晩にどうなっているかだな。



 三日月がうっすらと暗闇を照らす。親衛隊を先頭にして、北営軍の騎兵団、そして護衛兵らが後ろになり、最後尾に王連将軍の騎兵。


「李項、住民への支払いは」


「長らへ渡してあります、我らが出てから分配するようにと。それと重傷者の名を記録してあります」


 置き去りにされた重傷者はその殆どが殺害されてしまうだろう、解っている未来に怖じずに自決する者も居るはずだ。残された家族の面倒は俺がみる。


「……そうか」


 ここを離れるからと反故にはしない、それは俺の矜持というやつだ。約束を破ったからと何も出来まいが、それでも俺自身が納得いかん。


「北営騎兵の支度、出来ております」


「ご領主様、親衛隊の準備も整って御座います」


 左右の側近から報告を受ける。木製の城門を開くと、そこから外の景色がぼんやりと浮かんだ。篝火を立てている場所だけが妙に印象的だ。


「良いだろう、全軍の先頭は李項お前だ。東へ向けて道を切り拓け」


「御意! 親衛騎兵、俺に続け!」


 鉄甲装備を施した騎兵二百と、校尉二人がそれに従い門を出て行く。直ぐに魏軍は大混乱に陥るだろう。先頭集団が出て行ったのを確かめてから自らも駒を進める。


「よし、行くぞ」


「親衛隊、護衛隊、出るぞ!」


 楊校尉も側近として共に在る、集団の中核となる軍が門を出て行く。先に出た騎兵団とまともに交戦している部隊は無い、出来るはずもない。一直線先を進み、途中途中に松明を持った騎兵を少しずつ残して行く。それらを目印に歩兵を伴う軍が速足で寓州城から遠ざかっていく。


 俄かに喧騒が大きくなる、寝ている兵が総員起こされては、わけもわからずに武装させられ集合しているところだ。まだ反撃出来るような状態ではない、足を止めることなく進軍は続く。最後に城を出た屯騎兵団が、集合を掛けている魏軍相手に攻撃を仕掛けた、驚いて密集して矛を並べるが、一度切りつけるとどこか別のところへと行ってしまう。


 あちこちにちょっかいをかけては消え去るので、月光に雲がかかったところでは同士討ちが発生した。追撃騎兵が出てくるまでは、屯騎兵団は攪乱を続ける。


「地理不案内だ、急ぎ過ぎて余計な被害を出すなよ」


 先行騎兵団が通った道だけを行っているので、行き止まりなどがあるわけではない。集団からはぐれてしまうともう合流は出来ない、息を切らせて歩兵が必死についてきた。


 そこそこ進むと小休止をかける。水分補給の為にひしゃくで一口ずつ水を飲ませると、身体が冷めないうちにまた動きはじめる。歩きで時速四キロ、速足で六キロ程度だ、四時間か五時間、夜明けにはかなり距離を稼げているぞ。


 重量物の輸送、つまりは武器糧食の運搬に馬が結構あるのは福音だ。こいつらへの餌はそこらに生えている草があれば良いのだが、水だけは別にいる。小川がいくらでもあるからそれは困りはしないがな。


 二時間遅れでも騎兵なら簡単に追いつける、だが騎兵の数ならばこちらも充分。歩兵がどれだけ自由な時間をえられるか、そこが今回の最も重要な部分だ。行き先をくらますことはできない、どこに居ても魏の住民の目がある。


「争う音が近づいてきているな」

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