第137話

 南の城壁の上に行き「太鼓を鳴らせ!」腕組をしながらそう命じる。ドドドン、ドドドンと出撃の合図が響く。紡錘陣形を組むと追撃を受けている伝令兵の姿を目指して、二百の親衛騎兵が飛び出していく。波打つ丘を斜めに横切り、歩兵を蹴散らすとあっさりと包囲の外へと行ってしまう。


「重装歩兵を南門へ移動させろ。弩兵の半数も抽出して南門へ応援させるんだ。休息中の兵に待機を命令、仲間の救援の為に一時的に警戒を強める為と説明しておけ」


 大雑把に方針を指示してやると、部将らが詳細に命令を下していく。これによりバランスを崩して正面を抜かれるへまをするわけにはいかん。


「本部要員にも武装待機を命令だ。城壁に上げて四方に散らしておけ、だが戦闘をする必要はまだない」


 フレッシュな兵は必要になることがある、疲労が無い集団を少数でも残すことには意味があるのだ。それとわからずに、本部の兵だから楽をしているなどと思われては心外ではあるが。ややすると味方の伝令と接触、矢を放ち追撃を鈍らせると、また包囲を破って南門へと帰還してきた。


 城壁から降りると伝令の前に姿を現す。すると片膝をついて「大将軍へ申し上げます! 呂後将軍の諜報網によれば、呉が裏切りを行い、兵を荊州へと進めております!」大事件の知らせを吐き出した。


「堪え性のないやつらだ」


 呉が魏についたか、半々以上でこうなるとは思っていたがな。これで魏の南方軍はこちらに殺到して来るな、張遼が一番乗りになるだろう。だが魏も呉もお互いに全力を傾けることは無い、いつまた互いが裏切るかという懸念を残している。


「首都への伝令はどうだ」


「別の者が走っております!」


 たどり着けない可能性はあるが、これを知っているのと知らないのでは大きな差がある。だが魏延からも首都へ伝令を出すだろうからこちらからは無理をして派遣することは無い。姜維のところが押し込まれたら補給が滞る可能性が高くなるな、放置は出来んぞ。


「他に何かあるか」


「呉軍は兵船を半数、陸兵を半数動員、向かう先は永安方面とのことです」


 荊州は魏に任せる? 移動のついでに平らげていくつもりか、こちらが手一杯なのをわかっているだろうからな。それにしても半数か、やはり魏を完全に信用しているわけでもないんだな。永安は持って二か月、船は止められん。


「わかった、ご苦労だ休んでいていいぞ」


 俺がすべきことは変わらん、魏帝を捕らえることが出来れば全てが終わる。だからこそ相手もそれを阻むわけだ。何でもかんでもは出来ん、寓州城は防衛、囮としての価値が高い俺は敵を可能な限り引き付けるのが役目だ。全体を監察するためにも、連絡は保たねばならん。


 下馬した陸司馬も傍にやって来て「呉らしい行動です」寸評を加えた。確かに俺もそう思うよ。


「まあな。お前ならこの状況どうする?」


 試みにそんなことを尋ねてみた、別にこれといった回答を期待しているわけではないが。


「私ならばではなく、丞相ならばでお答えいたします。恐らくは呉が裏切ると丞相も予測しておられたでしょう」


 そういわれてみたらそうだな、あの孔明先生がまさか! と言っている絵が浮かばん。呉が敵対すると知っていて魏攻めを実行は出来ないだろう、何らかの対抗策が存在している?


「すると?」


「呉軍の勢力を相殺できるような何かを用意しているのでしょう。それが何かまでは私には想像つきませんが」


「ふむ、呉と同等の力をか……」


 そんな勢力はどこにもない、答えがそうだとしても理由が不明とは難しい。何より進発した軍勢は半月で永安に到達する。城内で「わぁ!」と騒ぐような声が聞こえて来た。何事だとまゆを寄せていると、かけて来た親衛隊員が「許都方面より魏の増援軍です!」はっきりとした理由をあげて来た。


「どうやら呉の態度をみての行動らしいな。まあいい、やることは変わらん」


 攻められる数に限りはあるが、こちらの守備兵にも限りがある。不均衡なチーム戦ではあるが、不満はない。


 多重包囲が行われて三日、城は疲弊したもののまだ陥落はしていない。襄城へは全く兵を向けていないあたり、統括する司令官が指導力を発揮しているようだな。南蛮軍の後続は未だに姿を見せない、明らかに足止めを受けている証拠だ。


「そろそろ厳しいな」


 本部でぽろっと独り言を漏らす、今まで敵に城壁を許したことは無いが、こちらは傷だらけで交代も居ない。気力が下がっている、日々見回りで声を掛けてはいるが、人は希望を失うと途端に活力を一緒に失ってしまうものだ。


「親衛隊は何があろうと必ず最後の一兵まで戦い抜きます」


 それは心配していない、全滅するまで戦うだろうさ。だが少数で城は守れない、支援をする奴らがいてようやくだ。北営軍も顔色が悪い、住民もそろそろ怪しくなってきた。城内の食糧事情が悪化したら急速に状況が変わる。


「解っている。外の魏軍は十万弱といったところか、よく持ちこたえている」


 今思えば速攻の奇襲だったにしても、よく寓州城を落とせたものだ。あの時は援軍が来る間もなく城内の潜伏兵が門を一つ開けてしまったからな。内側からの異変に弱くなるのは普通のことだ、要警戒なのは陸司馬だって重々承知、今更なにもいうまい。


「守備兵の状態は七割ほどが軽傷以下、まだ戦えます」


 あと二日が喫水線を割るラインか、いや半日の差で瓦解の可能性があるな。


「明日は本部の兵を防戦に使い、疲労が激しい部隊を休養に充てるんだ」


「ですが、それでは転機の際に動きが制限されてしまいますが」


 皆が等しく負傷、疲労していては精細さにかく。出来ないことを出来るようにするためにも、無傷の部隊が必要だ。


「戦術的な転機は確かに潰えるが、ここを支えるのが戦略的な転機と解釈するんだ。もし陥落すれば蜀は押し返されてしまう」


 そして二度と中原に進出することは無い、孔明先生の寿命の都合でな。俺一人がどうこうしたところで、兵站が破綻するのは目に見えているうえに、首都の統制が崩壊するだろう。


「ご命令とあらば」


 本部の親衛隊が戦力を下げれば、俺の身辺警護がおろそかになる、こいつはそれを気にしているんだ。


「俺は決して不死ではない。だが、戦場で自身を守ることぐらいはできる、心配するな」


「ご領主様を決して危険にはさらさせません」


 軽く手を振って今晩は退室させる。寝所に入ると今後について考えることにした。


 戦況は悪い方向に流れて行っているが、これは想定の範囲内だ。宛に兵力を向けなければどうなっていた? 野戦で全力交戦の最中にこの報を聞いたことになる、そうすると魏は守りを固めて援軍が来るのを待っていただろう。そして、不利な城攻めを強行して、糧食も不足がちにか。


 不幸中の幸いとしよう、十万の魏軍を一万で相殺していると。地理的な優位を築くことができる時間を稼いでいるんだ、ここが悪くても別の場所では良いと信じている。魏延はどうだ、荊州で呉の陸軍と鉢合わせるのは時間の問題。樊城は落とせない、永安へ退くわけにもいかない、膠着するな。


 洛陽方面は守りで一杯、これを保持しているだけで充分だ。間道を抜けていずれば浸透されるだろうが、かなりの時間防衛を続けることが出来るだろう。成都での結果次第で間に合うかどうかが変わって来るか。これについては孔明先生以上の人材は居ないんだ、待つしかない。


 員数外の動きは兄弟だな、蜀の守りについてくれても安定するし、既に軍勢を送ってくれているありがたい。馬金大王は地方を荒らしている、そちらにも相応の兵力を割くだろう、張遼の軍が向かってくれるなら更なる時間稼ぎになるが、そうはしないだろうな。


 大鮮卑の足音も聞こえてこない、進み続けているならそろそろ許都の傍に姿を現すはずだが来ない。あいつらにも事情もあれば限界もある、頼りにするのはお門違いというものだ。目が居行き届いていないな、通信機が無いのがこうも辛いと思えたのは久しぶりだよ。



 四方を魏の大軍で埋め尽くされて、攻撃を受けている。城壁の上にも度々橋頭保を作られては、本部兵が駆けつけて奪還するような危険な状況。それでも士気が下がらずに戦えているのは、中県からの兵が多いと言う出自が大きい。重傷者が目立つようになってきていて、城内の包帯所は負傷者で溢れかえっている。


「北部の猛攻来ます!」

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