第135話

 例によって地図を見る。許都の東三十キロといったところか、もう目と鼻の先だな!


「奴隷兵を前面に押し出し守備隊と交戦中の模様!」


 魏で強制徴兵した部隊だな、家族の為に同国人を攻めるわけか。だがそれを責めることはできない、誰しも大切な人を守るのが優先順位で上だからな。しかしこのやり口、モンゴル帝国のようだ。


「監視を続けておけ」


 それでどうするわけでもないが、知っておくべきことはあるはずだ。伝令が出て行ってすぐにまた足音が聞こえてくる。今度も赤い旗を付けた兵だ。


「申し上げます! 許都より魏軍が進軍してきております。『郭』『孟』『王』『蔡』を掲げた軍勢凡そ四万!」


「郭淮に孟達、王忠と最後のは誰だ?」


 側近らに尋ねると、董軍師が「それは征西将軍の蔡応でしょう。将軍とは言いますが、儒家の系譜をたどることができる人物です」なるほどの所見を述べて来た。治績をあげての将軍任官なわけか、そういうのも当然いるだろうさ。


「そうか、防衛は李項に一任してる、あいつなら守り切ってくれると確信している」


 いよいよ押されてきたらその時は北営軍を繰り出すまで。李項からの報告の伝令もやって来て、俄かに本部が慌ただしくなってきた。何人かが同時にやって来ると、一人だけ旗色が別物だったのでそいつの報告を先に聞くことにした。


「督白鹿奮威将軍陳式の手の者です! 魏より『于』『曹』の軍旗を掲げた一団が亡命を求めて接近し、『文』の軍勢が追っていましたのでこれを保護致しました!」


 于圭と曹植か。馬金大王の後続が詰めてくれたおかげで出撃する余裕が持てたわけだな!


「それらは俺と繋がっている、沙汰があるまで客人として扱うように陳将軍に伝えておけ。郤参軍、長安の費将軍へ使いを出すんだ、曹植らを迎えにいかせろ」


「御意」


 まずは亡命政権の準備をさせるぞ、費偉ならば孔明先生と諮って上手い事やってくれるはずだ。仕置きを終えると順番待ちさせていた伝令の報告を順番に確認していく。


 あと数人というところでまた一人が駆け込んできた、お馴染み赤い旗だ。後ろにつくように指図されるがそれを振り切って強引に前に来ると片膝をついて礼をする。


「大至急申し上げます! 成都にて李厳前将軍が反乱を起こしました!」


「むむむ、ついにやったか!」


 だが身動きがとれん、だからこその今だな。こうなることは想定済みだ、無論俺が監視していたことなど李厳のやつも承知だろう、込み入る時を待っていたわけだ。


「孔明先生はどうした」


 首都の防備とは別に、親衛隊OBと兵らを預けている、易々と害されることは無いぞ。


「丞相はご無事ですが、李前将軍が皇帝陛下を擁して丞相を解任するとの詔勅を発布致しました。首都は大混乱に陥っております!」


「なんだと!」


 孔明先生の方にばかり気が行ってて皇帝の方は目が行かなかった。北営軍を引き抜いたんだ、こうなることは想定出来ただろう! これは俺のミスだ、いくら李厳が無茶を言おうと孔明先生が蜀の実権を失うことはないはずだ。だが確かに大混乱だろうな。


「心配はない、丞相が丞相たるゆえんはその才覚にある。試みに聞くが俺も罷免されているのではないか」


「録尚書事として李前将軍が詔勅を発布、島介の全官爵を剥奪すると」


「俺の方は官職だけでなく爵位もか、まあ納得ではある」


 苦笑いしてしまった。だが孔明先生は政敵ではあっても恨みはないと解った、俺と違ってね。だからこその丞相、恐れ入るとはこれだ。


 時間はかかっても自力で回復させてくれるだろうが、俺はどうやって支援をしたものか。ことここに至って必要なのは武力ではなさそうだからな。


「同時の行動、魏と李将軍は繋がっていたのでしょうか?」


 黄参軍がまゆをよせて訝しがる。これだけタイミングをがっちりと合わせて来たんだ、それは否定できない。何せこちらも曹植を引っこ抜いたわけだからな、疑って動くべきだ。


「さあな、確信はあっても証拠が残っているとは思えん。優先順位を定める」


 声を張って皆の注目を集める、こういう時の為に司令官は存在するんだ。


「首都は孔明先生が政権を奪取すると信じ、目前の魏軍を打倒するのを第一目標とする」


 こうと決めて置けば皆も誤ることは無い。襄城や鐙将軍らにも使いを出させるようにして、日時を遡った命令書を長安、漢中を含めて各所に送付させる。大将軍の命令として、各地の治安維持、軍事方針を定めたもので、次の大将軍が任命されるまでは李厳も勝手に出来ない様にとの布石だ。あいつがいくら厚顔でも、自分を大将軍に任命するようにはさせんだろう。


「さて、五校尉に確認する。卿らはこのような状況でも俺に従う気はあるだろうか」


 正式な命令が後にやってくるだろうが、それ以前に心持ちを聞いておく必要がある。この段階で否というならば、早めに首都に戻すのも選択の一つだ。それぞれが互いの瞳をみて言葉を発することがない。王連将軍が代表して前へと出る。


「かつての変を我等も存じ上げております。それゆえ、島大司馬に従う所存。ですが、陛下より勅令が下れば首都へ帰還する義務が御座いますので、その節にはご容赦を」


「皇帝陛下直下の軍である北営軍だ、その言は正しい。確報が届くまでは居て貰うが、成都へ取って返し、陛下の身辺を護衛するのを最優先して貰いたい。李厳の奴から必ず守って欲しい」


「望むところであります。ですが宜しいのですか、寓州城は既に兵力を限界までそぎ落とし、主力は散り、魏軍に対抗出来るだけの戦力はありませんが」


 最前線に留まるのも無理なほどにやせ細っているのは事実だ、いまはハリボテの後ろにいるから気づかれていないだけ、それも時間の問題でしかないぞ。


「良いも悪いもそれをどうにかするのが俺の役目だ」


 胸を張って堂々と断言する。わかってるさ厳しいことは、だからと逃げはせんぞ。


「それに数日で南蛮軍の後続が到着する」


 来るかどうか不明の他軍をあてにするとは、俺もやきがまわったな。洛陽の出入り口で足止めをされていたら、とてもではないが一か月かかってもたどり着けん。ここで皆を不安にさせても仕方ない、出来ることを必死にやるさ。校尉らが目を合わせる、一人反応がない奴もいたが王連が申し出て来る。


「北営軍が前線に出て、何もせずに退き返したとあらば陛下に会わせる顔が御座いません。一戦して魏の弱兵を蹴散らすので、出撃のご命令を」


 ここで手を貸してくれるとは有り難い! だが経験不足で一撃貰うようでは逆効果になりかねん。かといってこれを却下するのは上手くない、ならば、だ。


「禁軍の司令官は俺だ、一戦して来るとするか!」


 大司馬こそが北営軍の指揮官だ、これならば問題はないはずだ。ところがすぐさま反対の声が上がった。


「ご領主様に申し上げます。軍の指揮は中領将軍たる某にお任せを。御身は城内で総指揮を執られますよう」


「む、李項――」


 確かに直接の指揮権は領軍が持っているんだったな。飛び越えて指揮権を奪うような真似は良くないか、理にかなっている。


「そうだな、気がはやっていた。城の防衛は陸司馬に預け、蜀の精鋭の力を見せつけてこい」


「御意! 各校尉ら、出撃準備を行え」


 一方で自身の兵は、劉佐司馬に命じて準備をさせる。陸司馬と差がついてしまったなあいつも、悪くはないのだが能力の上限が見えているから適任はそのあたりだ。


「某は承服出来かねます」


 無反応だった楊射声校尉が声を上げた。難ありとは感じていたが、やはりか。生まれ育ちがそこまで重要かね。場の空気に緊張感が走る。


「楊校尉の考えを聞こう」


 決して怒鳴ったり頭ごなしに否定はせずに、何を訴えたいか耳を傾ける。気分でいっているわけでは無いだろうからな。


「島大司馬の部下として、官職を駆け上っているだけで、李殿はその功績が誇れるものではないと確信しておりますので。中県の士ではなく、また島大司馬の指揮下になければ中領将軍どころか、未だに軍侯あたりにしかなれなかったでしょう」


 それは現実を見ている言葉だな。あの劉備ですら官職にありつけずに雑兵のままだった、というのを漫画でよんだことがある。どこかで誰かが引き揚げない限り、地べたを這ったまま一生を終えるのが常だ。


「楊校尉の言には一理ある。しかし指揮権は領軍にあり、李項は中領将軍だ。この戦で戦果をあげられないようならば、楊校尉の言を認める。だが、現状での拒否を認めない。もし指揮に従いたくないと言うなら俺が罷免する、どうする」


 瞳を覗き込んで己の行く末を決めろと迫った。任命権限は皇帝権限だが、大司馬には指名権と罷免権が委ねられている。使持節でもって命令不服従を断罪も可能ということにはなっているぞ。厳しい雰囲気に場の皆が黙りこくって息を飲んだ。


「……李将軍、此度は指揮に従いますが、せめて馬脚を現したと言われないような手腕をお見せいただきますよう」


 憎まれ口を敢えて皆の前で叩く。それほどまでに嫌いならば今後同じ部署に配属しないような配慮が必要だろう。蜀は、いや、世界中のどこでも人事で失敗した例があまりに多すぎる。


「いくら憎まれようと、嫌われようと、指揮に従いさえすればそれで構いはしない。それでは各々合戦準備を行い、内門前に集合だ」


 怒りを示すわけでも無く、苛立ちを露にするわけでも無く、淡々と全てを受け入れた李項。ふ、大人の態度だな、心配は無いだろう。それよりも自分の心配だ、寓州城が落ちましたではすまんぞ!

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