第133話

 親衛隊員一人に弩が三張、豪華すぎるだろ。だが一人の射手に対して一人の相棒がついている、背中を押されたらたまったものではないからな。民兵の見張りも数人に一人の割合で目を光らせている。


「お前らは魏の民だろう、なぜ蜀軍に与する」


 考えても仕方ないと、直接住民に問いかける。俺が何者かは知らないだろうが、武将であるのは見たら気づくだろうな。部将との違いは歴然だ、己という存在が個人かそうでないか。


「このところ魏は平和が続いていた。たまに徴兵されることはあったがな。それはそれで幸せではあるんだが、平和は格差を産み出すんだ」


「つまり?」


「俺達みたいな下級市民は死ぬまでずっと下級市民でしかない、どれだけ魏に尽くしても変わらんのさ。だからと自力じゃなにも出来ない、こうやって小銭を稼げるなら喜んで働くよ」


 格差が広がる一方か、それはそうかも知れんな。戦乱の世ならばこその成り上がりだ、平和が憎いようでは為政者も浮かばれん。だが現代を生きていた俺はそれが解る、平和は体制の硬直を産み出し、上下の差がじわじわと広がり固定されていく。


「賃金は幾らで雇われているんだ」


「日払いで半升だよ、それでも普段の数倍は稼げるからありがたいもんだ」


 ふむ、低賃金に価値が麻痺しているか。だが一般市民はそういうものなのかもしれんぞ、俺が狂っているだけだな。


「雇われ住民が全員同じ待遇か?」


「そういわれて集められたんだ、あのなまっちょろい坊主と一緒ってのは気に食わんが、それでも稼ぎに文句はなぇよ」


「そうか」


 李項が上限設定を気にしてのことなにかもな、どれ確認してみるか。


「おい、李項のやつを連れてこい」


「ははっ!」


 側近の親衛隊員に命じると、床几に腰かけて少し待った。すると古参の親衛隊幹部を引き連れた李項が小走りにやって来る。日雇いの民兵らが、雇い主がやってきたので注目する。


「李項参りました!」


 片膝をついて礼をする。凛々しくなったものだ、どうしてだろうか嬉しいな。


「民兵の雇用条件を聞かせろ」


「承知。住民より男子を採り上げ、日半升で軍事補助を行う者を募り、二千五百を招集致しました!」


 千二百五十升が毎日か、李項の決済ではそのあたりが限界だろう。ちゃんと青天井だと言いつけておくべきだった。あまり吊り上げると蜀兵に不満が出る、ほどほどにせんといかんぞ。


「五百をひとまとめにして、その日の動きが良かった隊に俺から別途一万銭を出す。親衛隊員の申請で、殊勲者には千銭を更に追加する。とりまとめは李項がして置け」


「はい、ご領主様!」


 話を漏れ聞いていた民兵の間でそれが噂になり、直ぐに持ちきりになる。殊勲は無理でも、運が良ければ日当が二倍になると沸いた。ところで銭の単位ってどうなんだ? 今まで全然気にしたことが無かったな。俺で年間五万銭が給料で入るが、中県の徴税で何百万銭だったか、まあいい。


 何のことは無い、こうやって糧食はどんどん消費が増えていくんだ、戦闘で焼失するのだって日常茶飯事といえるな。やはり糧道の確保を命じてよかったということだ、生き残ることが出来ればだが。


 見回りを軽く終わらせて、注目の南東城壁にやって来る。東の平地には蛮族旗の集団、南には呂軍師率いる蜀の正規軍が展開している。


「呂軍師の軍は五つに別れているな」


 独り言をつぶやいて目を凝らす。本陣には呂軍師、左右に李兄弟だろうか。その前衛に石苞と夏予、均等な兵力を指揮しているわけではないが、いつでも別個に動ける体制を敷いているのがわかった。


 しかし憎らしい造りの城塞だ、襄城の正門は北東にある、つまりは許都のある側に。ここを攻める為に展開すれば、支城に側背を向けた布陣にせざるを得ない形になる。防衛の為に作っているんだから当たり前ではあるな。


「城の軍旗は見えるか」


 側近に向けて尋ねる、遠視が得意な兵がじっと目を凝らして「『襄』『魏』『関』の旗が見えます!」返答する。魏と襄はいいだろう、関というのが主将の名前か。将軍号を持たないもののようだな、県郷令の類か、ならば強豪とは言えんぞ。時間を掛ければ兵力の差で落とせる、落とせねば将軍などお笑い種でしかない。


「東は」


 馬金大王の位置取りは微妙だ、というのも潁具からの増援を遮ろうとするにはやや北に居すぎているから。何かしらの狙いがあるとすれば、アレだろうな。


「特に動きは見られません!」


 ふむ、すぐに救援では関とやらの面目が丸つぶれ……というわけでもないか。動きをみせたのが初めてということで、あちらでも方針を定める時間が必要なくらいだろう。


「呂軍が城に攻撃を始めました!」


 弩の撃ち合いに始まり、盾を持った歩兵が正門前に進む。城壁の上から投石が行われ、被害が出てくる。あれは石苞と夏予の前衛だな。様子見と言えばそれだけだが、呂軍師が時間を無為に過ごすはずがない。


 第二陣がスリングを手にして前進、左手には盾を持って身を隠しながら投石を行う。城壁の上に向けて必死に放っているが、それで敵にダメージが入るとは思えない。暫く無意味な投石が行われて後に、弓兵が前に出る。曲射しているのは火矢だ。城壁の上で盛大に黒い煙が広がった。


「投擲していたのは油だったか、混乱はあるだろうがどうだ」


 消火作業がせっせと行われるとやがて火災は収まってしまう。煙を吸い込んで体調を崩したやつが数十人ってところか。効果が薄いと思っていたところ、正門前で物凄い炎が上がった。不思議なことにそれが炎の壁のように線を引いたかのように広がっていること、それも正門から許都へ延びるような線。


「城門が燃えております! 燃え落ちるには時間が掛かるでしょうが、消火は困難の様子!」


「煙に隠れて油の通り道を作っていたのか。大門は木製だ、一時間もすれば脆く崩れ去るだろう」


 ピンポイントで燃やし続けるわけか、鉄格子の門でないなら有効だな。城外に駐屯する軍が居ないとこれはいつでも起こりうる、こういうことがあって正門前に土壁が置かれていたり、う回路になっていたりするわけだ。


 設置した時に魏が攻め込まれたり、ましてや数で負けていることなど想定していなかったんだろうな。明らかに机上で計画しただろう全てだ。遠くから見たら襄城が陥落して燃えたかのように思えるだろう。


「許都より魏軍が出撃してきます!」


 言われて振り向く、支城ではなく本陣からお出ましか。守備兵を減らす意味がないものな。


「旗印は」


「……『孟』『建武』『胡』『安魏』『牛』『南寧』の三軍です! 数はおよそ二万!」


 旗印では誰か解らんな、呂軍師は居ない、馬謖を見る。


「申し上げます。孟達建武将軍に、胡遵安魏将軍、牛金南寧将軍の三名でしょう。恐らく孟達が先鋒に出て来るでしょう」


「ほう、何故だ」


 断言するからには色濃い理由があるに違いない。だが馬謖ではなく意外な人物、郤正が進み出る。


「それは某から。胡将軍、牛将軍は司馬懿の指揮下にあり信頼を得ておりますが、孟将軍は先の皇帝曹丕とは信頼関係を結んでいたようですが、現在は寵愛を失い司馬懿に疑念を持たれているからです。志願して先陣を切ることで己の立場を強めようとのことでしょう」


「そうか、しかし郤正が何故詳しい」


 そういうとこいつに悪いかもしれないが、今までここまで詳細を語れることなど無かったからな。


「恥ずかしながら孟建武軍の都督を追っていたらこのように事情に通じてしまいました」


 恥ずかしいとはどういうことだ? 今度は馬謖を見る。


「孟達が蜀より寝返り魏に降伏した折、軍の営都督についていたのが郤揖に御座います。即ち参軍の父君でして」


 そういう事情があったか。敵地に入り込んでしまい主将が降伏したんだ、随員に選択肢など無かっただろう。

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