第132話
若者が育ってきたのは嬉しい限りだ、お飾り結構じゃないか。他にも意見はないかと皆を見回す。すると鄭参軍が進み出た、仕草で促す。
「刃を以て争うのみが戦ではありません。軽騎兵を駆り、敵陣がある城に疫病をばらまき、井戸に毒を投じ、不吉な噂をねつ造し、地方の裏切りを流布してはいかがでしょうか」
汚れ役に徹しているなこいつは、だがそれで構わん。今までの勢いが沈静化して、まるで敵を見るかのような視線を浴びせかけられている。だが前の様に直ぐに反対を口にする者は居なくなった。
「疫病も毒も味方に伝染しては困るからやめて置け。が、噂を流し疑心暗鬼にさせるのは構わんぞ。鄭参軍の思うようにやればいい、呂軍師に相談することを忘れるな」
「はっ!」
すべてを却下されるものと思っていたのか、やや意外な表情になった。こいつの努力を認める、流言に惑わされるヤツが悪いんだ。ん? 意外なところで進み出たな。
「郤参軍、なんだ」
「蜀として、魏皇帝に対し降伏勧告を行ってみてはいかがでしょうか?」
「ほう。その真意はなんだ」
そんなことをしても降るわけがないのはわかっている、つまり副次的効果こそがねらいだな。
「少なくとも使者が首都へ入っている間は戦闘を開始しないでしょう、一日の時間稼ぎです」
ふむ、一日を得るために失うものは大きいはずだ。これをどうやって却下したものかな。
「郤参軍よ、それはいささか思慮が足らないと思われるが」
呂軍師か、任せよう。珍しく他人の意見を否定して掛かる。
「若輩者故気が回らずにいます、何卒お考えをご教示くださいますよう伏してお願い申し上げます」
「蜀を代表しての降伏勧告であれば、高位の者を送る必要がある。先の例を以て鐙右将軍以上の者を。即ち鐙将軍或いは我が主か魏将軍」
蜀という国家を総覧しても鐙将軍の上は十人も居ない、何より近隣には居ないのだ。思い付きで発言したのでなければ、鐙将軍に行けといっていることになる、何せ俺という選択肢はないからな。
「事実上鐙将軍を行かせることになるだろうが、魏の宮廷でどう対処するだろうか。皇帝は侮辱されたと怒り狂い、諫める者は処断されるのが目に見えている。決戦前夜で敵将を前にしていれば、これを切って士気を高めようとするのは必定。我等は有能な司令官を失い得るものはない。それでも郤参軍が降伏勧告を進言する理由があるのならば聞かせてもらいたい」
つまりは鐙将軍に死ねと言っていることになる、もちろんそれでうまく行くならば命を差し出して来るだろうが。
「そ、それは……そこまで考えずに発言したことを謝罪いたします。申し訳ございませんでした」
呂軍師に謝罪した後に、鐙将軍にも謝罪する。目を閉じて深く息をしてから鐙将軍は「構わん、気にすることは無い」そう応じた。考えは浅いがこれは良い勉強になっただろう、委縮させては行かんな。
「郤参軍の言を却下する。だが策を上げたことは評価する」
「いえ、某の拙い考えでは……」
「恥じるな! お前は今一歩を踏み出した、その勇気を認める。考えが拙いのは経験の差だ、誤った道を行こうとすれば年長者が諫める、前へ進む心意気を忘れるな。俺から言うのはそれだけだ」
「は、ははっ! 以後精進いたします!」
ふん。鼻を鳴らして不問にする。どんよりとしていた雰囲気が元に戻る、別に何が変わったわけではない。
◇
偽兵の入城を行い、二つの軍が城を出た。さて、寓州城には兵力三万、うち一万は南蛮軍なわけか。洛陽一帯を無防備には出来んからな、度胸が必要になって来るぞ。
城壁には様々な軍旗が林立している、城外に溢れている兵も多数だ。という演出をしている。六万の兵がここに存在するように動かねばならん。
離れた軍が何かの策略かと疑うような動きと連動させたい、その為にはこちらが籠もっていてはうまくない。二万五千の蜀兵を城外に、南蛮軍を正門の前に置いて、城壁に親衛隊を横並びに立たせている。住民の出入りは厳しく規制し、商人の入城のみ許可している。城楼から周囲を見渡すと、側近に語り掛ける。
「李項ならどう仕掛ける?」
守りではなく攻めなのを強調した、それ以外の縛りは無しだ。部下等の手前軽率な見立ては出来ない、解らずとも失敗が無いように返答する義務と責任がある。
「南方の襄城を攻め立てるのがよろしいかと」
「何故だ」
「一つは首都を攻めるには道が狭すぎます、もう一カ所の拠点が必要になってきますので」
左右から奇襲を受けるような一本道では攻めるに攻められんからな。二カ所あれば少なくとも警戒するのは半分で済む。
「他の理由は」
「今後の補給地との連絡線を保つためにも、この方面が必要です」
「あとは」
「逃げる時は北へ逃げるから敗北と申しますゆえ、魏帝への配慮に御座います」
「はっはっはっはっは! そのくらい心に余裕があれば一人前だ」
南部から支配域を拡げて、東で大鮮卑と接触する形だな。輸送物資も北西と南西から来るんだ、道理にかなうが司馬懿はどう考えるだろう。宛方面へ動かした四万、これらが遠回りで東へ姿を現さないかを疑うはずだ。
南へ向けた二万、こちらも迂回するために進発したかを確認するのが一手目だろう。いずれも一両日で確かめることができる、今日は手を出してこない。明日どうするかを見極めるのは俺の動き次第。引きこもっていれば単に軍を割ったと即断するだろうさ。
「襄城を明日の朝一番で攻めるぞ。潁具から支援隊が出てくるはずだ、それは馬金大王に任せよう」
呂軍師を呼んで来るように命じると暫く外を眺めていた。ややしてすました顔でやって来る。
「お呼びと聞きました」
「おう、明日一番で襄城を攻めようと思う、どうだ」
まるで朝食の内容を決めるかのような軽い一言。にっこりとして「よろしいのではないでしょうか。某が指揮して参ります、将軍らをお借りしても?」人任せには出来ないと言うことだろう、志願して来る。
「親衛隊と李兄弟のうち一人だけ残れば後は自由にして構わんよ」
「親衛隊と北営軍は本営に在るべきです、中衛将軍と中堅将軍、石将軍に夏将軍をお借りします。せっかくなので石将軍にも五千程率いていただきましょう」
急に名前が出た上に、念願のまとまった兵を指揮出来ると耳にして興奮する。
「俺が五千人の将に!?」
「うかれるな、呂軍師の命令を違えるような真似をするなよ」
「石将軍には戦況を見て、独自に動いてもらうつもりですので。いささか戦場は狭いでしょうが、それでも判断の連続です、やってくれますね?」
子供がおもちゃを与えられたかのように瞳がらんらんと輝いている。こういうのが人事の妙というんだろうな、やる気を奮わせることが出来ればそれだけで大成功だよ。
「おうよ! その信頼に必ず応えてみせる!」
「今晩担当者を集めて軍議を行います、副将を一人だけ連れてくることを許可しましょう」
補佐役でもあり、恐らくは別途呂軍師になにか吹き込まれる対象でもあるな。石苞が信用している奴を自身で選んでくるんだ、いざというときはそいつの言葉を容れるだろう。
「俺の方は馬金大王と打ち合わせるとしよう。奴に連絡を入れておけ、それと酒の用意もしておけよ」
多分話などものの数分で終わり、ほとんどは酒盛りだ。ま、それでいいんだよ。ローテクの切り合いは行き当たりばったりで、考えた通りに行くなんて皆無だ。現場判断に丸投げして、目的と撤退条件だけ伝えておけば良い。
「ご領主様、寓州城から民兵を徴募する許可を頂けないでしょうか」
「李項の好きにしろ、今後もそういうことは事後承諾で構わんぞ。お前の判断は俺の判断だ」
何度こう言って来ただろうか、それでも言い続けるぞ。李項という存在が俺にとってどれだけ頼りになっているか、こいつは一切そんな風に思って居ないんだろうな。
「お言葉有り難く! 陸将軍、身辺警護を頼むぞ」
「お任せを!」
「それでは一足先にお暇させていただきます!」
一礼すると李項は甲冑をガチャガチャ言わせて宿舎ではなく大通りへと向かって行った、親衛隊の兵が五人後ろに付いて行く。陸司馬と目を合わせると、口の端を吊り上げた。部屋へ戻るとするか。
◇
日の出とともに城外に駐屯していた軍勢が南の襄城へ向けて移動を始めた、それは当然許都でも確認しただろう。正門前にいた南蛮軍は進路を南東に向けて、潁具からの増援を迎撃する構えだ。
城内に居ても良いのだが、やはり気になり城壁の上に出て来た。武装無しの一般市民、男ばかりが目に付く。民兵を募集したわけか、だが魏のお膝元で裏切りが出ないとも限らんぞ。南に張り付いていたい気持ちもあったが、まずはぐるりと一周する。
弩を城壁に上げてあり、親衛隊が警戒警備をしている、こちらに気づくと背筋を伸ばして一礼した。手を軽く上げてそのままで良いと仕草で示す。
「民兵は巻き上げ補助か」
「はっ、その通りです!」
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