第130話

 いたずらっぽく煽りをいれると「そいつは試してみる価値がある」快く乗って来た。その日の晩は、酒豪が満足いくまで樽を開けるせいで、翌日出陣の日時が遅れるのではないかと気が気でなかった者が何人もいたらしい。



 洛陽から数万の軍勢がついに動く。その歩みはゆっくりで、先頭が出てから最後尾が城を出たのは昼頃になってから。みなが一緒に同じ道を歩くわけではないが、それほどの大人数だということが感じられた。


 京城の北西部に達した時に、千程の小集団が接近してきた。護衛兵が武器を構えて列をなしたが、旗印が確認出来たところで警戒を解いた。やってきたのはこのあたりの遊撃守備隊にしてある石苞と夏予だったからだ。下馬して二人で本陣へやって来た。司令部の中央で二人が片膝をついて一礼する。


「石苞か、首尾はどうだった」


 少しばかり意地悪くそう問いかける。先の戦い――鐙将軍の勝利に終わったアレで伝令を走らせた先が石苞のところだ。敗残兵が通過するだろう時機と場所を前もって報せていたが、その後朗報は入っていない。


「輸送部隊にちょっかいをかけようとした魏兵を何度か撃退はしたけど、洛陽攻撃軍の奴らは取り逃がしちまった。中に『王』って旗を持った奴が居て、そいつが強烈だったな」


「王忠だったか。そんなにやっかいだったか?」


 徐晃の副将だったはずだが、そこまでの評価は聞かないな。呂軍師もさして情報を差し込んできていない、とすると石苞の能力不足か?


「全体の軍指揮はそこまでって感じだったが、千人前後の集団指揮が妙にうまい。俺に五千の兵が居たら戦争で勝てるが、千同士では引き分けだった。お陰で時間をとられて戦果は上がらなかったさ」


 ふむ、適正値の問題か。俺だって中隊くらいなら自由自在に使えるが、万の軍勢を動かすのは恐らく他の奴より下手だ。数が膨れ上がって大所帯になればなるほど代理を使えるから逆に上手くなるのはある。


「そうか、ならば早いこと五千を指揮出来る立場になるんだな。ここの補給線を攻撃して来る余裕はなくなるはずだ、お前達も同道しろ」


「了解。ところで、あの蛮族は?」


 親衛隊が周囲を固めていて、その周りを護衛隊が囲んでいる。その一角に位置を占めているのが馬金大王たちだ。蛮族にみえるかというと、むしろ代表的な蛮族のオーラを漂わせている。


「南蛮軍の勇士たちだ、お前も挨拶位して来いよ」


 大将軍と小僧が対等に話をしているのを不機嫌に聞いている面々もそこそこ多くなってきている。集団は大所帯になればなるほど思想が錯綜するものだ。そういえば石苞は長安以後の武将だからあいつらとは初対面か、誰しもが友人関係とはいかんからな。


「ご機嫌取りでもして来いってことかそれは」


 やや不機嫌な口調。過去に何かあったのかもしれんな。


「自身の目で相手を確かめてこいということだ。別に殴り合いをしてきても構わんぞ。だがそのつもりなら先に報せろ」


「止めるつもりか?」


「まさか、酒持参で見物にいくからだ。前にも言ったが、俺を倒せると思ったらいつでも挑んで来い。お前らも全員そうだ、いつでも寝首をかきにきて良いからな。それを跳ねのけることが出来ないなら大将軍の器ではないぞ!」


 司令部がざわつくが、李項や陸司馬が目を細めて警戒の姿勢を取ることで収まりをみせた。力で押さえつけるよりも、こちらに向けさせた方が分かり易い。


「はっはっは! やっぱりあんた変わってるよ。んじゃツラ見に行って来る、やりあうなら使いを走らせるよ」


「おう、期待してるぞ石苞」


 奇妙な関係に唖然としている幕僚がいる、距離が近いと言うか、奔放というか。実際に挑んできても良いが、準備段階では呂軍師に諭され、実行段階では陸司馬に防がれるだろうな。それで失敗しても俺は何も罰するつもりは無いがね。すっくと立ち上がると南蛮軍が居るあたりに真っすぐと歩いて行ってしまった。


「若いということは良いことだな。そうは思わんか」


 目のまえに残っている夏予にそんな一言を投げかける。


「様々な経験を積む時間が残されている、そういうことです。一つ気になることが御座いました」


「ん、どうした」


 夏予が気になること、下級将軍ではあるが関所で長年培ってきたものがある、無視はせんぞ。


「敗走していた『王』とは別に『夏候』もありましたが、これらが協力して撤退しようという気が感じられませんでした」


「というと」


 軍師、参軍らが真剣な表情になって耳を澄ます。現場からのリアルな生の声を大切にするのは良い姿勢だぞ。


「『王』軍が我等と交戦をしている最中、北方を『夏候』軍が万単位で移動しておりました。そこから千だけでも背後に回られたら非常に危険な状態に陥るところでしたが、何故かこちらを見ているだけでそのまま通り過ぎて行きました」


 不仲ということか、徐晃と夏候何某、曹真と司馬懿、そこに王忠と各位の人格が入り乱れて統制がとれない。政争でことを計ろうとすると現場では多くの死人が出るが、こういうことだ。


「誰か理由がわかるものは居るか」


 幕に居る全員に向けて問いかける、だが誰一人明確に答えられる者は居なかった。ということは明るみに出ていない何かがあるわけだ、さもなくば俺の諜報不足だな。


「まあいい、長社までは数日ある、各自が情報のすり合わせをしておけよ」


 許都までは十日ほど、いよいよ魏の首都を攻めることができる。長い夢だと思っていたが、ようやく終わりが見えて来た。


 大軍を率いてついに蜀軍が魏の首都に迫った。北西に位置する寓州郷に帥旗を掲げて遠くを見渡す。


「許都は大きいな、それに衛星都市にあたる五カ所が支援位置にある」


 そのうちの一つ、寓州郷を真っ先に陥落させたわけだが、五芒星の左上を欠けさせただけでしかない。許都は五キロ四方といったところだろうか、大都市も大都市、こいつは力押は厳しいな!


 北に喩葛郷、東に翠韻郷、南東に頴具郷、南西に襄城郷だ。中心から全てが十キロにあって、それぞれの郷が十五キロを隔てている、明らかに防衛用に設置された郷なのがわかる。これらを放置して戦いを続ければ、好きな時に側背から攻められるわけだ。


「我が主、もう少し後方に本陣を置かれてはいかがでしょうか」


 呂軍師がまずは一言と進言して来る。確かに敵と目の鼻の先では、何が起こるか分からない。俺が慌てたら蜀軍がくしゃみをするからな。


「陸司馬、本陣の防衛に不足はあるか」


「御座いません!」


 どう返事があるか分かり切っているのに、敢えてそのように言葉にした。そうすることで後の扱いが色々とかわるものだ。


「らしいぞ呂軍師。司令官が後ろに隠れていて兵が付いてくると俺は思っていない」


 これについては時代の前後を関係なくして常にそう言える。司令官だろうと、指揮官だろうと、上司だの班長だのであっても変わらん、率先して前に出る姿を見て勇気を奮うものだ。


「畏まりまして。それでは軍域を拡げて不測の事態を軽減させる方向で行きましょう」


「聞こう」


 前線を押し上げてここを後方にするということならば飲める。士気が上がっている、それもそうだろう蜀が興って以来最大の機会が訪れている最中だ。


「魏の方針といたしましては、皇帝が都を離れるとの選択肢は御座いません。ことここに至る前ならば安全策と言えましたが、今では敵前より逃げる卑怯者と呼ばれてしまうでしょう」


 まあな、事前に動くのと迫られて逃げるのでは意味合いが違ってくる。何があろうと徹底抗戦を決め込むだろうさ。


「予州の焦あたりが遷る先と見ておりましたが、某の見誤りで御座いました」


 見識の無さを詫びているようだが違うな、あれは最善を取らなかった想定外の動きが出てきているとの裏返しだ。戦略的撤退は敵の補給線が延びるので悪いことではない。政略として考えれば、俺が総大将として功績を上げ過ぎるのを嫌う蜀の反対者に終戦の理由を与える機会にもなるからな。


 一方で司馬懿の奴が知っているかは……いや、知っているんだろう、孔明先生の寿命が尽きてから巻き返せばどうとでもなると。だからここで停戦するわけにはいかない、魏が崩れ去るまで攻めるのをやめはせんぞ。


「短期決戦で勝負を決めることが出来れば最善ではありますが、魏がそう易々と許すと考えるのは甘いでしょう」


「作戦とは最悪を想定して備えをするものだ。上手くいったときのことなど、その時考えれば良い」


 もし簡単に都が陥落するなら、どうとでもその後のことをその場で決める。そうでない場合を主軸にすべきだと俺も思う。

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