第128話

 適当な平地で進軍をストップさせると睨みを効かせるだけで手を出さない。戦わずに勝てるようになれば一人前だな、今回の功績は鐙将軍のものだ。敗残兵を無視して居残る徐晃の本陣に部隊が集まる。


 二時間も競り合いが続くと急に戦いの音が静かになった。鐙将軍の軍旗を持った使者が徐晃上軍の陣へ入って行く。降伏勧告の使者か、だが拒否するだろう。勇敢な男だった、徐晃、敵ながら尊敬に値する戦士だ。


 少しすると使者が出てきて鐙将軍の本陣へ戻る。太鼓が叩かれると再度攻撃が開始された、今度は一時も手を抜かず苛烈に攻め続ける。いつか蜀軍の輪が狭まって行き、ついには魏の軍旗が倒れ勝鬨が上がる。腰に履いている剣を抜いて空へ向けて掲げて後に胸の前に持って来る。


「徐将軍の勇戦に黙とう!」


 目を閉じて僅かながらの時間、徐晃に対して胸の内で語り掛ける。戦士として名誉な終わりだったと。


「洛陽へ戻るぞ」


「本陣は洛陽へ帰還する! 軽騎兵は偵察へ散れ!」


 目的を達した。行軍は李項に全て任せてしまい、馬上で腕組をすると遠くを見た。敵だと言うのに失うのは何故だろうか虚しいものだな。好敵手が味方の後方支援よりも近しく思えるという気持ち、何と無くわかる気がする。


 洛陽に帰着すると住民の歓迎で迎えられた。もし敗走する部隊が入城しようものならば、また街が危険にさらされる可能性が高いから。数日遅れで鐙将軍の軍も洛陽に戻ってきた、治安維持をする一部を残しての帰還。


「敵将徐晃を討ち取りました。得た捕虜は二千、他は悉く戦死です」


「ご苦労だ。鐙将軍の見事な指揮を見せて貰った、安定した運用に言うことは無い。遺体だが故郷へ送り返したい、扱いは丁寧に頼む」


「お言葉確かに承りました!」


「徐晃殿の本貫は河東郡楊県で御座います」


 郤正がそんな情報を差し込んで来る、ここが河南ということだから近隣地域ってことなんだろう。わざわざ口出しするんだ、言いたいことが他にもあろうさ。


「そうか。誰に任せるべきだ」


「李中衛将軍が名代に。大将軍中侯名義で、長子徐蓋殿宛で」


 李四兄弟は俺の名代として適切だ、そしてもし失われても代わりは存在しているわけか。郤正のやつも少しは戦争が解ってきているってことだな。


「李信、俺の代理を果たせ」


「お任せ下さい!」


 弔問の使者だ、邪険にされることは無いし、これを襲うような奴らも居ないだろう。もしそんなことをしたら、一生徐一族に狙われることになる。あの徐晃の息子だ、節度を守りきっちりと弔うだけの度量を持っている。魏帝もこれを邪魔することは無いだろう。


 捕虜はどうすべきか、共に戦って死んだのはきっと地元の兵で、降伏したのは一般の部下か。解放すればまた向かって来る可能性が高いな。南蛮方面へ移送すればよいか、とはいえ人員はそこまで割けない一気には動かせん。


「捕虜は百人単位で長安へ送り、舟で永安へ移送させるんだ。従順な者はそこで防衛につかせ、そうでないものは雲南まで行かせ兄弟の監視下におかせる」


 そんな遠くまで送られたら二度と戻ってくることはできない、魏の為に何かをしようという気持ちが無くなればそれで良い。人口という面で一つの財産になり得ている、ここで処刑するのはなんだか勿体ないと思えた。多少の余裕が生まれてきている、ということなんだろうか。


「各位の進言があれば聞くぞ」


 鄭参軍が進み出た。実務的な話だろうな。目線を合わせると顎を小さく上下させて促す。


「利用出来るならばとことんこれを利用すべきです。許都へ使者を送り、徐晃の死を悼み弔い品を献上して偵察をしてみると言うのはいかがでしょうか」


「そのような背徳的な行為はいかがなものか」


 黄参軍がしかめ面をして批判した。費参軍も郤参軍も良い顔はしない、董軍師もだ。一方で他の司馬や参軍らは真面目な顔で黙っているだけ。


「敵の首都へ堂々と入り込む機会をただ見逃すのは怠惰ではないだろうか」


「怠惰とは流石に聞き捨てなりませんな」


 険悪なムードになりそうな時に李項が腰に履いていた剣を手にして、切っ先を鞘ごと床に叩きつけて注目を集める。


「策をあげるのは参軍の務め。これを採るか否かはご領主様が決められること、批判があるならばより良い代案を以てして言を封じよ。慣例や伝統的な教義によって策を退けるなど他者を萎縮させるのみだ」


「む……中領将軍、申し訳ございません」


 李項のやつも言うようになったな、俺もそう思うよ。では仲裁をしておくとしよう。


「双方の言は理解出来た。黄参軍、真に徐将軍の死を悼み弔問に行くならば構わんな」


「はっ、それならばなんら問題など御座いません」


「そうか。ではこうする。鐙将軍に国家を代表して弔問の使者に出て貰う。その一団に偵察のみを目的とする者を付随させ、目的を果たす。やってくれるな」


 武官列の先頭に立っている鐙芝が「徐晃将軍の勇姿、この胸に刻まれて御座います。そのお役目引き受けさせていただきます」自らの手で倒した武将を称賛した。双方右将軍ということもあり縁もある。


「鄭参軍、偵察の任務はお前が行え。全ては結果をだしてこそだ」


「御意。開戦の折には是非ともお傍に」


「良いだろう。郤参軍は弔問文を起草しておけ、蜀に相応しい態度をとることを忘れるな」


「ご命令通りに」


 わだかまりはあるだろうが、全ては戦乱を収めるまでのこと、俺は決して歩みを止めはしないぞ!


 雪解けが進んだ三月初頭、いよいよ進軍の機運が高まってきた。号令を掛ければいつでも軍を発することができるが、相変わらず呉はまだ動きをみせていない。まあ今さらだ、頼りにしているわけではないしな。むしろ敵だと信じて警戒しているくらいだ。


「魏延からの報告を」


「御意。本隊は南陽軍南西部築陽県に置かれていて、そこから南東の山都県と北の冠車県に前線基地を置いているようです。対する魏軍は襄陽城、樊城に主力を置き、宛に別動隊を詰めております」


 相変わらず地名ではいまひとつピンと来ないぞ。地図を持って来させて視覚で補うとだ。こちらは本陣と、南東二十キロ、北五十キロに軍を割っているわけだ。相手は南東六十キロと、北東百キロあたりに居る。距離を比較的開けている状態ってのがようやくわかった。


 一旦切り結んでしまえば引きはがすのも苦労するからな、攻めようと思えば二日で可能なら充分な前進基地になる。こちらの動き待ちってことだ。


「鮮卑はどうだ」


「濮陽、長垣、外貢、己吾にまで進み、許都の背後へ迫っております。その数、十万に膨れ上がっているとのこと」


 どこだ? 許都の東北東百キロから百五十キロあたりか。洛陽と等距離に位置していることになるな、そろそろか。目を閉じて情勢をかみ砕いて判断を行う。


「呂軍師、国内の更新情報はあるか」


「猟師を動員して、蜀盆地への間道を捜索しているとのこと。浸透してくる魏軍の早期発見に努めるということでしょう」


 いつも抜けられて苦労していたからな、補給が途切れたらこちらも孤立する、ありがたいことだ。孔明先生は俺にどうして欲しいと考えているだろう?


 国の負担が大きい、早めに戦争が終わるのを願っているはずだ。当然蜀の勝利以外の結果はない。魏が防衛範囲を棄てて首都を救援する可能性を考えるんだ。守備兵が不在になれば、在地の反乱勢力が必ず湧いてくる、だがそれを漫然と待っているだけではいかんぞ。


「予州、青州、冀州、魏の支配する全ての地域に存在する反対勢力を焚きつける。調略を進めるとともに軍を出す、これより決戦を行うぞ!」


「地方情報は準備して御座います。いつでも繋ぎをつけられるように備えは済んでおりますので」


「ふん、流石だな。ではその全てに蜂起を促せ、蜀は支配者の事後承認を行うと確信している」


 反対者を糾合する最大にして最高の手段はその存在を認めることだ。一度政治対決になってしまえば孔明先生の独壇場に間違いないからな。


「お任せ下さいませ。我が主のお望み通りに」


 優雅な動きで全てを受け入れてしまう。最悪動きが無くても、魏兵の治安維持部隊を縛り付けることは可能だからな。


「李項、全軍を動かすぞ、最低限の防備のみを残し、京城経由で長社へ駒を進めるぞ」


「ご領主様の仰せのままに!」


 長吏を兼務する李項を通して全軍に命令を下す、首都の北営軍も動かすぞ。


「先発は姜維の軍だ、三日後に洛陽を出て各地の隊を糾合し長社を落とせ」


「蜀軍の力を見せつけてやります!」


 背中から闘気が漂うかのような雰囲気を醸し出している、いよいよだというのが伝わってきた。


「陸司馬、本陣は一か月後に動かす。万事準備をしておけ」


「それだけ時間があれば色々と準備が出来ます。どうぞご安心の程を」


 純粋な戦闘だけではない、陸司馬には暗殺者に対抗する準備も必要だった。戦場に出ることになれば隙も産まれてしまう、戦は数だ、中県からの増員を目論んでいる。



 一か月で洛陽には兵が増えた、それも色とりどりの。中県から親衛隊の増員を率いてきたのは、退役したやつらだった。行軍のみを役目として、新兵らをはるばる前線まで引っ張って来たのだ。


 閲兵時に目があった古参の親衛隊員に歩み寄ると「奕だったか、ここまでご苦労だった。郷に帰ったらゆっくりとしてくれ」名前を呼んで労う。すると涙を流して礼を言う。何千、何万と居る兵士の多くを覚えているわけではないが、共に生死をかけた側近兵くらいは解った。

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