第127話

「おい、誰かあの遠くの軍旗を確認してこい」


「はっ!」


 側近の親衛隊員が中心となり、歩兵を百人引き連れて山を下っていく。騎馬で行き来するのと報告時間の差で数時間違うが、日没までに見て来れば今日中には知らせることができる。夜中に動き出すことがないならば別にどちらでも構わないわけか。


 急いで調べてこいと言わない限りは納得の判断だということにしておくとするか。夜中になると部将が訪ねてきた、鐙将軍のところの者だ。片方の膝をついて礼をしてくる。


「島大将軍の着陣にお祝いを述べさせていただきます」


 別に何もめでたくはないが、そういう挨拶なんだろうな。取り敢えずは軽くうなづくだけにしておいた。


「此度の増援の意図で御座いますが、眼前の徐晃軍を撃破するようにとの意味合いでよろしいでしょうか?」


 急に出て来てどうしたって話だな。追い払いたいならそういう指示を出せば動いたのに、いきなり出陣では鐙将軍の面目が立たないか。


「うむ。そろそろ開戦するだろうと思い、観戦に出てきた。見ておきたかったのでな、鐙右将軍の用兵を」


 他意はない、だが腕前の確認をどうとるかは人それぞれだ。何の心配もしてないし、徐晃と互角じゃないかと俺は見ている。経験では向こうだが、この先二十年は前線を張れる鐙将軍の方が国家としては価値を見いだせる。


 もし徐晃が無茶をして相打ち覚悟での動きをみせるようなら、全力で阻止するつもりはあるぞ。


「お言葉、間違えなく主へお届けいたします!」


「東から呂軍師――呂後将軍の部隊が仕掛ける、数の補正程度に考えるようにしておけ」


 半数では勝てないから繰り出したとでも思われたら呂軍師が余計なヘイトを持たれるかもしれんからな、こいつは俺の指示だと言うのを伝えておかねば。


「畏まりました!」


 あいつの部将らしい性格だよ。きっちりと儀礼をこなして城へ戻っていくのを見送り、決戦前夜であることを認識する。手招きをして陸司馬を近くに寄せた。


「ご領主様、なにか?」


「おう、伝令が結構舞い込んで来るはずだが、警備に支障をきたすことはあるか?」


 指揮を執るつもりならば素通しするが、そうでない時まで全スルーする必要はないからな。急用かどうかを確かめて、即座に上げるべき情報だけを引き寄せるべきだろう。


「一切ございません、これまで通りで結構に御座います」


 まあそういうのは知ってるよ。万が一の時には絶対に陸司馬が身体を張って阻止する、だがそれでこいつを失うのが俺は気に入らんのだ。


「では警備の強化を行う。ここ以外に二カ所報告を受ける場所を設置し、俺に直接報告が必要なものを選定させる。それらの警備の責任者もお前だ」


「そういうことでしたらお任せを!」


 何故二カ所にしたか、可能な限り利用方法を預けるとしよう。明日の朝一番でどういう仕組みにしたかを問うが、その為には今夜が必要だろう。


「決戦は明日だ、俺は早めに休むとしよう。警備は他の奴に任せて、お前も自由にしていいぞ」


 振り向かずにそう言いつけるも、こいつは絶対に今笑っているに違いないと確信できた。遠回しの、半ば命令のような自由裁量の仕事に気づいている陸司馬、後で聞いたらやはり深夜まで起きて執務をしていたそうだ。全く、どいつもこいつも真面目だなと思うよ。


 遠くの平地で蜀軍が前進を始めるのが見えた、全面的にではないのが特徴と言えば特徴的だ。


「さて、始まったな」


 そう呟く、当然動きがあったと伝令が駆け込んできた言えるはずだが、一人としてここにまで貫通はしてこない。まあ提示報告や状況報告と変わらんからな。


「して陸司馬、伝令所の方はどうだ」


「はっ、現在左右二カ所で機能させております。左所を副幕として参軍の半数を詰めさせております」


 指揮下には無いが、参軍と比べれば陸司馬の方が遥かに高官だ、そういった素振りは殆ど見せないが、実はこいつは官職を上から並べて数えた方が早い。それもいわゆる高官、二千石以上を並べた時、そう限定しても上からの方が早い位に上位に居る。


「右所は?」


「同じく半数の参軍を詰めさせております」


「正副の違いはなんだ」


 そこにこいつの経験と才能が見えるはずだ、或いは適正とでもいうのかもしれんが。


「右所には首座に着飾らせた親衛隊の伯長を座らせてあります」


 口の端を吊り上げて冗談めかして報告をしてきた。なるほど、そいつはご苦労なことだ。


「影武者の一人なわけか。仕分けの方法は」


「基本として赤の旗指物は左所へ、それ以外は右所へ振り分けます」


「ふむ、応用としては?」


 簡単な理由での指示は推奨されるべきだ、例外がある場合についても聞いておくとしよう。


「顔の識別が出来ない者は赤旗でも右所へ回します。古参の親衛隊員が複数で幕の出入り口に勤務するようにしてありますので、誰かしら顔を知っているようにしてあります」


「旗揚げの時からのやつらが数十居るからな、そいつらならば今まで大体どこかで顔をあわせているわけか。人員の固定の良い部分とも言えるし、時に弊害を生むこともある。今回は良い部分が出たとしておこう」


 アナログな方法ではあるが、顔見知りが基本の親衛隊だ、赤い旗を持つ奴らはそういう背景があるからな。さて、観戦をするか。


 蜀軍は正面からじりじりと歩みを進めている、魏軍はそれをガッチリと受け止めるだけ。双方被害らしいもは殆ど無い、けが人は出ても死人は皆無という意味だが。本気で攻めるつもりは無い、取り敢えずはそう見えている。


 何かを仕掛ける為の陽動というのはわかるが、何をするつもりだ。奥では呂軍師の隊が側面を窺う動きをしているな。魏の別動隊が脇を守っているが、双方精彩を欠くような動き。長いこと対陣していたから、そう感じる奴は恐らく戦で負けるやつらだ。まあ、俺の幕にもそういう参軍が居ないとは言い切れんのが現実ではあるんだがね。


 黙って戦闘を眺めること半日、いよいよ太陽が落ちていく。目立った動きは一切無し、それでも腕組をしてじっと見詰めるのみだ。夜襲……だろうな?


「島大将軍、お休みになられては?」


 隣の幕から参軍らがやって来て、もう寝るようにと言上してきた。ここに居たってやることはないんだから適切なんだよなそれは。


「そうだな、もう少ししたら休む。お前らももういいぞ」


 上官が居るからお先にと言いづらいだろうから、こちらから寝るようにと一言添えてやる。職場での上下、儒教面でのこともあり現代日本よりもそこは厳しい。ちらほらと赤いものが揺らめいているのが視界に入った。


「火の手が上がったな」


 ようやく動きをみせたか。だがあれではすぐに鎮火するだろうな。案の定燃え広がることは無く、火は直ぐに消し止められてしまったようだった。それでも夜襲を仕掛けたのは評価してやるべきではあるか。


 無言で幕を後にして寝所に入ることにした。数日は黙って見守る位の度量は必要だろうさ。ぱっと目が覚めると外が明るくなっている。鉄のボウルのようなものに入っている水で顔を洗うと、洗いさしの木綿布で水けをふいた。外に出ると目を細めた、朝日が眩しいわけではない。


「ほう、そうきたか」


 左手の魏の陣営は変わらずだが、さらにその北側に居る夏候軍を含めた全てを包囲して、多数の蜀軍旗が靡いているではないか。半ば偽兵ではあるが、この衝撃は大きいだろう。何せこちらには俺がいる、どこかで大兵力を動員してきた可能性は充分あるからな。


 徐晃としてはここで黙って押しつぶされるわけには行かない、包囲を破り一先ず距離を置こうとするだろう。或いは鐙将軍の本陣を陥落させる。だがその手は俺が出てきたことで不能になってしまったわけだな。


 金属を打ち合わせる音がこの中腹にまで聞こえてきた。威嚇の為に蜀兵が盾と矛をぶつけて大声をあげている。目に見えて分かるほどの動揺が魏軍に行き渡る。


「敵地で大軍に囲まれ威圧されているんだ、平静でいられるのは一部だろうな」


 上手い事俺という存在を利用してのけたか、一杯食わされたな、あの夜襲がこの下準備だったとは。


「手柄の横取りは好きではないが、役どころを与えられているようだ、本陣も移動するぞ。李項、重装騎兵を横に並べろ」


「御意! 鉄騎兵で横陣を形成しろ!」


 中領将軍が大声で優先命令を下すと、本陣全体が鉄騎兵を活かすための一つの動きをしてうねりだす。二列目には重装歩兵、三列目には弩兵が控えて最強の布陣を見せつけた。脇を固めるために軽騎兵が両翼につくと李項がこちらに視線を送って来る。


「進め」


「前衛進軍! 全軍声を出せ!」


 山の中腹から平地に響く声に土煙を立ち上げている鉄騎兵、朝日に輝く重装備が殺意を持って魏兵に迫る。どこからともなく野外に屯していた魏兵が後退を始める、最初のうちはそれでも秩序を保っているように見えたが、鉄騎兵が迫るにつれて背を向けて逃げ出していった。


 魏が支配している郷城は門を閉ざしていて、撤退して来る部隊を受け入れようとはしない。弱気が伝染するので敗走する部隊を受け入れないのは戦術の常識だ、だが味方が拒否したならその部隊は更に遠くへ逃げるしかない。


 いつしか多くの魏兵が戦わずに逃げ出す事態に陥ってしまう。夏候軍は北部の包囲を切り開いて逃げていくが、徐晃の本隊は殿を引き受けて出来るだけの兵を逃がそうと奮戦している。


「戦場での手柄まで奪うなよ、戦闘には参加せんで構わん、そこらで足を止めて置け」


「はい、ご領主様!」


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