第126話

「さあ、なんのことだ」


 肩をすくめてとぼけてみたが、何とも見透かされているようだ。腰を下ろして呂軍師にも座るように勧める、一礼して装束の裾を払って優雅に腰を下ろした。


「徐右将軍と副将の王軽騎将軍らの兵は恐らく二万でしょう。夏候儒征蜀護軍の兵が二万」


「その夏候儒とやらは?」


 似たような名前が多くてどれがどれやら、夏候惇の一族ってことで良いんだよな。


「夏候尚の族弟でありますれば、宗族の種かと存じ上げます。曹真の妹が従姉におり、曹家の族子を妻にしておるようでございます」


「ふむ、曹真派の派兵というわけか」


「それはいかがでしょうか?」


 含み笑いをしてこちらを見詰める。どれ、少し考えるとするか。徐晃の兵は半分、夏候の兵が半分、それでいて後者は曹真の手勢と見れと言う話だったな。


 官職の不足は変わらない、主将が徐晃ならば兵は取り上げ同然になりかねない、ならば曹真が兵を出しているのは別の部分に目的がある。そりゃ洛陽を落とせればよいんだろうが、易々と行くはずがないこと位わかるだろうさ。


 懸念は二つ、徐晃の二万だけでは兵力不足を起こすこと。もう一つは徐晃がまた降伏をしない為の枷か。それでいて負けられるわけにもいかないので倍増させた。そんな不満がある出兵をしたくないのにしなければならないのは、司馬懿の策略があるってことか。


 首都から反対派の兵力を削ぎ、勝てば勝った、負ければ負けたで利用可能な事情を産み出したんだな。


「司馬懿の狸が暗躍した結果とみているわけか?」


「洛陽は落ちませぬ、では司馬懿の見ている先は?」


 新安を解放すると言うわけでもないんだろうなそれは。むざむざ兵を見捨てる? そんな無駄遣いは流石にすまいが、これといった目的が見えん。


「俺ではわからん、降参だ」


 あっさりと降伏してしまう、知恵比べであの司馬懿や諸葛亮あたりと戦えるとは思っていないものでね。


「恐らく目的は三つ御座います」


 指を三本立ててそんなことを言う、三つもあったとは驚きだ。


「一つは曹真派の発言力を削る意味での敗戦をさせること、勢力争いの一環であります」


「まあな、どうせ攻めるなら同時多発にすべきだ、四万で洛陽を攻める位なら白鹿原に回した方がやりようがある」


 実際そうなれば増援を出さないといかんくなるし、半分は長安に抜けていくだろうな。やらないのには別の問題が積み重なっているからだろうが。


「二つ目に、混乱に乗じて洛陽の在地勢力と連絡を取ることでしょう。それと同時に間者を送り込むのが目的」


「兵の出入りがあれば当然隙は産まれる、こちらの内情を探るのは当たり前だ。洛陽の集会とも関係がないとはいえんか」


 羅憲にも耳打ちして置いてやるとしよう、それにしてもまだ投資が回収を越えることは無いぞ。じっと呂軍師を見詰めて一番最後の、恐らくは最大の目的を待つ。


「三つめが重要に御座います。送り込む間者は諜報者が主では御座いません」


「すると?」


「潜伏戦闘工作員、洛陽での反乱で蜂起するものでも御座いません」


「ということは?」


「すなわち、我が主を凶刃で害する為だけに送り込んで来る暗殺者集団。その目的の為に兵を動かしたのでしょう」


「うむ!」


 さすがの陸司馬も身をよじって耳をそばだてた、己の一大事だと言わんばかりに。戦争でならば負けるつもりは無い、だが毒や暗殺の類は専門ではないからな。


 前線に身を置いている以上、戦って死ぬのは何も恐ろしくはない。だが日々の生活で命を脅かされ続けているとなると骨が折れる。水の一口すら死に直結するとなると、俺ではどうにも。


「ご安心下さいませ。我が主には他には無い特殊な環境が御座いますので、非常に守りやすいと確信しております」


「それは?」


「主の身辺は常に親衛隊が控えており、それらは他とは違い互いが顔を認識している同郷者。これは部外者が紛れ込むことが極めて困難であり、非常に強固な守りを構築しております。それに加え、奥方が不在で女官が傍に少ないのも作用して御座います。飲食物も親衛隊が調理し、同じものを兵と食する、およそどのような高官とも違う動きをなされておりますので、暗殺者も頭を抱えることでしょう」


「そういうものか。美食にこだわることもないし、兵と同じ食事をするのは将軍の嗜みだ。女に不足があるわけでもないぞ。俺が特殊なのは認めるがね」


 普通のことを特別だと言われるのは心外な部分もあるが、それが暗殺の障害となるとはね。


「ご領主様はどうぞ今まで通りで。身辺はかならずや我等親衛隊が!」


「ああ陸司馬、俺の命はお前に預けている。だからと自身を粗末にするのは許さんぞ」


「御意!」


 呂軍師が微笑んで一礼している、いわないだけで他にも色々あるんだろうな。それはそれとしてだ「徐晃の軍勢は鐙将軍に任せておいて構わんな」呟く。


「不足はありませんでしょう。自由な動きを阻害させるだけで充分ですので」


 無視して領内を荒らしまわられては面倒だからな、所在を知りつつ動きに縛りをつけるだけ、相手より少ない方が維持が楽とすら言える。南部でも魏軍が動いているだろう。


 雪解けがが始まる、春の日差しが昼間はそれなりに暖かかくなってきている。洛陽からの景色にも白いものが随分と減ってきているのが解った。


「京城に戦略物資の堆積が進んでおります」


「そうか」


 許都侵攻の下準備として、京城へ兵糧を移し始めている。輸送距離が半分になるだけで、前線での効率は四倍、防衛まで考えれば負担は十分の一にまで減少する。自由に使える兵士の二千人が浮けば、戦術範囲も広がり、危急に際しては武将らの命すら救えることもあるだろう。李封の功績とはつまりはそういうことだ。


「鐙将軍は」


「景家郷に主陣を置いて徐軍を牽制しております」


 参軍らは相変わらず殆どの時間を身辺で過ごしていた、暗殺者の件もあるのでより人が密度を増している。洛陽一帯では蜀と魏の占領軍が個別に郷を支配しているが、共に乱暴を働くわけでもないので駐屯を歓迎すらしていた。


 支払いはきっちりと行われ、野盗の類からは守ってもらえる。対陣が続くだけならむしろ望ましいとすら言われそうだった。とはいえいつまでもここに居座られても面倒だな。


「呂軍師を呼べ」


 誰に言いつけるわけでも無く小一時間、微笑を浮かべた呂凱が入室して来る。


「お呼びと聞きまして」


「うむ。そろそろだと思ってな」


 直垂を揺らして向き直り顔を見た、何がとまでは言ったことは暫くないな。


「左様で。我が主も出られますか?」


「そうだな、城の中に居すぎて身体がなまっている、出るとしよう」


 南蛮では外の方が気持ち良い場所が多かったり、見るものすべてが新鮮だったりもあったから結構動き回っていたからな。それに比べたら積雪地帯は暇が長い。


「それでは歩騎一万で西部より観戦でもしていていただきましょう。私が東部より一万で圧力を掛けますので、鐙将軍と共に敵を追い払ってみせましょう」


「何だ、俺の出番は無しか」


 茶化すように小言を含める。それを予測していたかのように「どうぞご随意に」好きに出来る位置を任せているだろう態度で即答してきた。三日後の進発と時期を定めて呂軍師は出て行った。負ける気が全くせんな。一つ小細工程度に先ぶれを出すか。


「誰か伝令を走らせろ」


 簡単な言伝を持たせて直ぐに出発させる、準備出来る時間が長い方が良いのは決まっているからな。さて不覚をとらない為にも少しばかり運動をしておくとするか。


「陸司馬、訓練に付き合え」


「喜んでお供させていただきます」


 格闘場を用意するので少し時間を貰いますと部屋を出て、直ぐに戻って来る。今頃親衛隊は場所どりで騒いでいるだろうな。ちょっと笑みが漏れてしまう、暇なところに変化があるのは嬉しいものだ。



 随分と久しぶりの騎乗な気すらするぞ。馬の腹を軽く踵で蹴って進ませた。後ろでは洛陽城壁の上で多数の軍旗を振っている兵らがこちらを見送っていた。隠そうとしても無駄ならば盛大に出陣式をしてやれとの話で、前日に布告を出してやった。


 休養充分な兵らだ、顔色もすこぶる良いぞ。西門から出てきたが、東の方は呂軍師が指揮する軍が同時に出て行っている。


 ゆっくりと移動を行い、丸々二日で魏の軍兵が散らばっている平野を見下ろせる山の中腹に辿り着いた。観戦するには非常に良い場所でも、守るにはやや不適切と言えた。守り切れない敵が迫れば騎馬で逃げれば何の問題もないので、充分に役目を果たせる位置取りとも言えるが、陸司馬はもう少し別のところに野営したそうな顔をしていた。


 あちらの岩山なら防御もし易いんだろうが、離れすぎていて見づらいんだよ。伝令に状況を聞きながらでは、わざわざここまで来た意味がない。自身の目で見たいじゃないか。


 前線はギザギザに敵味方が交差していて、ここからならば右手、要は南側に鐙将軍の部隊が見えている。左手の北部は徐晃の軍で、更に北には夏候軍が陣を張っている。


 やはり助軍としての役目なんだな、主将の後ろに陣取るとはまたあからさまな。斥候が多数放たれて防衛の目を散らしている陸司馬を後ろ目に、魏の軍旗を眺めてみた。


 やはり主軸は三種類で他の旗は無い。地方軍を増援させてのではなく、独立軍をまとめてきたわけだ。ということは戦闘力自体は悪くないはずだな。遠くに微かにだが別の軍旗が翻っているのが見えるが、あれは呂軍師のものだろうか。

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