第123話

 とはいえ、どこにでも跳ね返りは混ざっている、百に一つか二つは殺害してしまったという声が聞こえるだろう。ならばその際にはどうするかをここで決めておくとするか。


「保険だ、魏帝の影武者を用意しておけ。もし戦死してしまったら、混乱が過ぎてから死亡を明かす」


「そのように致します」


 呂軍師が畏まる。これはごくごく一部のものだけが知っていたら良い準備だ、そう例えば大将軍軍師らが知っていれば。董後軍師は外しているが、前左右の軍師だけを集めた理由がそのあたりにある。


「ではその一歩手前について論じるとするか。姜維」


 敢えての名指しをする。実戦部隊を率いる司令官としては、姜維が最前線にある。呂軍師も軍を率いるが予備としての控え、馬謖はそもそも軍指揮権を持っていない。


「はっ。現在許都の十万を中心に、北部に十万、南西部に十万、南東部に十万、所在不明が十万となっております。うち二万は白鹿原に現れたようですが」


 五十万の守備軍が点在している。南東部は呉に対する監視と防壁だが、今のところどちらに転ぶか分からないので即座には動けない十万になっているな。南西部は魏延の部隊を迎撃するためにやはり多くを切り離すことは出来まい。


 首都の防備を薄くする理由もまたない。北部は異民族に対処するだけでなく、公孫氏の監視と裏切り警戒のための拠点兵を動かせない。こう見ると魏も両手が自由というわけではないんだな。


「所在不明と言いましても、首都より後ろにはいないでしょう」


 馬謖の読みに賛成だ。遊んでいる兵は前線へ送るか、情勢不安の地域に置くかだ。後方地であった場所にわざわざ野戦軍を置く必要はない、郷土兵で充分だ。


「ではお前ならどこに置く」


「潁川から南陽にかけて配して、首都にでも荊州にでも増援可能なようにします。大安道を通過可能ならば、洛陽に仕掛けてもまた宜しいでしょう」


 大安道というのは洛陽の南部にある山道のことだ。そこを警戒しようと思っているわけだが、やはり通路になれば直撃もありえるか。


「大安の山道だが、どのようなものか実地を知っているか?」


 少しばかり沈黙があり、呂軍師が口を開く。


「阿山口と白沙の郷は幅が狭く、山は険しい。大軍が通る道では御座いません。ですが、一列になり行けぬかと言えば、可能とお答えいたします」


 隘路で山道、蜀の防衛と同じような感覚でいいわけか。道を切り落としてはお互いが困るが、その度合い、今は魏の方が上かも知れんな。壊すのはいつでもできる、まずは生かしたまま防ぐのを優先するか。


「動きを阻害するにはどうしたらよい」


「白沙に軍を置いて、山地に陣を張って守れば、千人で万の軍勢を一年でも通さぬことが可能でしょう」


 要害だな。順番に的になりに来る奴が幾らいても、守る側は困りはせん。この千人を行動不能にするのが向こうの将軍の命題になる。


「通られると面倒だ、守備兵を置くんだ。適任者は居るか」


 別に誰でも良いんだがね、以後切り離すことになるからあまり上位の奴は使いたくないな。


「何忠卑将軍を充ててはいかがでしょうか。彼ならば防衛経験が豊富で、規模的にも適切かと」


「零陵の亡命者だな、まあいいだろう」


 ここに来て役に立つ、もう一人は袁幾だったか、あいつもバラ売り可能だな。全てを棄てて亡命してきたんだ、必死に働くだろうし、将軍に登れているんだ不満も無かろう。あるとしたら更なる地位を約束されての裏切りか。


「無事に戦役を終えた際には、県令への推挙をしてやる。政務経験を積んで、一年で太守に転任を約束しよう」


 空手形でも良いが、ここは功績にしっかりと報いる準備があると伝えておいた方が有効だ。実際そうしてやることになんの問題もないし、あいつらもどうなるか闇の中よりやりがいがあるだろう。


「そのように伝えます。一網打尽にならないように、毒の類に警戒をするよう注意を与えます。専門家を二人幕僚につけるのがよろしいかと」


 行動不能への防御行動か、呂軍師は何でもお見通しというわけだ。専門家がどこに居る誰かは知らんがな。


「任せる」


 部下を信じて多くを語らずだ。丸投げともいうがな。洛陽への急襲はこれで大方防げるだろうが、こちらが知らない道を魏が知っていても不思議はない。守将はきっちりと選定すべきだ。


「洛陽に太守を置きたい、どうすべきだ」


 誰に出なく話を振る。太守ではなく河南尹とかいうんだったな、だが洛陽だけで構わないんだ。


「軍からならば督洛陽という形で軍官を就かせても良いでしょうが」


「これだけの規模ならば政務官を充てるべきと愚考します」


 姜維と馬謖が異見を出す、呂軍師はどちらが良いと口を出さなかった。こういう時はどちらでもやりようがあるってことだ。


「主軍が洛陽を離れていても、奇襲に耐えられるだけの軍事力と、包囲されても民を押さえられるだけの政治力を求めたい」


 より詳しく要求を並べてみる。一般の政務官だけでは守り切れず、軍官では民をどうにも出来そうにない。両方を兼ね備えている人物に白羽の矢を立てる、それが唯一の答えだろうと俺は思うが、はてさて。皆の視線が呂軍師に集まる、きっと答えを持っているんだろうと。


「どうだ」


「適者は存外傍に居るものです」


 うっすらと笑みを浮かべている。まあ、いつかはやらねばならんし、適任なのは認めるよ。置き去りにすると俺の身辺が寒くなりそうだったんでな。


「そうだな。羅憲を監軍洛陽県令にし任せるとしよう。あいつなら経験もあるし、民を蔑ろにすることは無い。陸司馬、親衛隊から佐司馬一人と、兵五十を側近として預ける手配をしておけ」


「はい、ご領主様!」


 部屋の片隅で立っている陸司馬に唐突に話しかけた、しっかりと聞いていたようで即答して来る。羅憲一人で大丈夫かと言われたら、恐らくは可能だ。何せあいつは指示が届かないような僻地を一人で守っていたんだからな。これで後方の心配はないと割り切ろう、過剰な配備は前進を阻害する。


「魏のその後と、洛陽の守りは落ち着いた。主題の許都攻略について話を進めるぞ」


 軍を都に入れる為には当然決戦に勝たねばならん。そして魏は都での決戦をしないという選択肢すらあるわけだが。馬謖がわざわざ立ち上がり意見を述べる。


「各地より魏の増援が集まる前に勝負を決めるべきです。許都城への侵入経路を確立すべきです」


 長引けばこちらに不利だ、そこには同意するよ。守っているのはあの司馬懿だ、ほいほいと前に出てくるとは思えんし、入城を許すとも思えん。そこを何とかするのが俺達の役目なんだがな。


「馬謖はどの程度で増援が寄せて来ると考えている?」


 どうせ甘い見立てなのはわかっているが、どのあたりが世の標準かを知っておきたい。


「疾風の南東軍が五日もあれば駆け付けるでしょう。ですがそれは騎馬のみで数千が限界、大勢を覆すにはりません。次いで荊州の南西軍が十日、北部からは一か月以上はかかります。これらは急いでの話なので、主軍が到達するまでには三か月はゆうにかかるはずです」


 五日、か。張遼の用兵は神速だ、二日目の夜には許都に到達しているだろうさ。まあ俺が聞きたかったのはその尺度だ、答えた馬謖に非は無い。


「では増援が来る前に全てを終わらせる策を出すんだ」


 辿り着いた時には全てが終わっている、それこそ戦略の極み、戦力を戦力とさせない状況を産み出す。こちらでいえば皇帝の停戦命令か、そんなのが出されては手も足も出ない、ルール上はだがな。


 伝令には悪いが先ぶれには死んでもらう、勅使には会わずに留め置き全てを終わらせる。戦機とは逃せば二度と掴めぬもの、ダンケルクの二の舞はゴメンだ。


「首都の守備兵は宮殿、内城、外城に別れ、さらに司令官もそれぞれ別々。つけいる隙はその縦割りの制度にあるでしょう」


 一理あるな。皇帝の身辺警護の近衛兵、宮殿自体の護衛兵、宮廷の衛士、宮殿の通用門の門将、首都市中の警備、都自体の守備兵、地方の軍勢、国の駐留軍、州兵、各種の独立軍、そして有力者の私兵がひしめいている。


「洛陽のようにはいかんぞ」


「首都だからこそです」


 目を細めてどういうことかと視線を送り続けて先を促す。


「勤務している者らは身分の確認をされているでしょう。だからこそ行動を怪しまれない部分が御座います」


「……寝返り工作というわけか。その対象は」


「外城の門司馬が一人でも応じれば成功します」


 ふむ、そいつはどうだろうな。思想の奥行きが狭く、近視眼になっている気がするぞ。失敗してもいまと変わらないと言えばそうなんだが、同じ手は二度使えないと考えれば機会を失うのは痛手とも言える。


 姜維はだんまりを決め込んでいるが、呂軍師は目が先を見ているな。聞かれるまでは喋るつもりは無い、馬謖のメンツがあるってわけか。


「呂軍師はどう考える」


「門司馬がこちらに靡けば許都は陥落するでしょう」


 ものの言い方という奴か、流石出来る男は違うね。これならば馬謖も気を悪くしない。

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