第120話

「先生の息子殿を大将軍府舎人として迎え、適切な部署に配属するよう致しましょう」


「お気遣いありがたく」


 そう言って部屋の片隅にある椅子に腰かけると目を閉じて座る。本営だからといつでも緊張していなければならない道理はない、即応できる心構えはあるべきと俺は思うがね。



 太陽が沈み、夕餉の後に太守の間に高官が召された。楊将軍、張将軍、呉将軍の三人は前線指揮の為この場には居ない。一番遠いだろう張将軍でも三十キロ程度の距離なので、参加出来ないこともないが戦闘中なのを鑑みて現地を優先させる。武官らは皆が甲冑をつけた状態で臨席していて、雰囲気が重くのし掛かってきた。


「みな揃ったようです」


 左手に立っている呂軍師が口火を切る。他の府ではどうかは知らないが、俺はこうやって直接議論に加わるぞ。


「うむ。まずは洛陽の占領ご苦労だ、鐙右将軍、鮮やかな手並みだった」


「お言葉有り難く」


 大事をやりとげたというのに控えめな反応、力押をしても時間が解決する形で勝てたのは戦略的に勝利を得られる素地が既にあったから。ここで個人の功績を誇るようなやつじゃないのはわかっちゃいるけどな。


 死傷者は二千人もいるかどうか、それも軽傷なので全然問題ない。上手く行くときはこういうものなんだよ。


「姜維、追撃の戦果はどうだった」


 少し意地悪いが、確認はしなければならない。武将を討ち取っているならば一報が入っているわけだから、何も得るモノは無かったはずだ。案の定顔色は平静を装い所在なさげな雰囲気が漂っている。


「魏兵を数千追い落とした程度に御座いました」


「そうか。戦略物資を持ち出すことも出来ずに、身一つで逃げたやつらを捕捉するのは難しいだろうな」


 守るべきものを棄てて逃げる、軍人として恥でしかない。それでも兵力の温存を行うのは決して悪くはない。兵さえいれば巻き返しも出来る、生きていてこそだ。


「それについてですが報告が。洛陽の倉庫に残された糧食と武具がかなりの量でした」


 鐙将軍が嬉しい誤算を披露した。恐らくは涼州、漢中戦線の補給基地として利用されていただろうから、物資は潤沢だ。そこに罠がないかを警戒しておけば、取り敢えずは及第点だな。


「後に一覧にして呂軍師へ渡しておけ。今後についての議論を行う、まず決まっていることを伝えよう。洛陽北、南東、北東の三方向に主陣を置く山岳防衛線を敷く」


 北部は黄河が東西に走っていて、山道の中央に一つ郷があった。そこを北の拠点に据えて、東西の山岳に散兵線を敷いて警備を行う。南東は崇山があり、東西にかなり険しい山並みがあり、これを多くが踏破するのはほぼ不可能だ。隘路に千人も置けば往来は出来ない。


 北東にのみ平地が繋がっていて、鞏義県北山口郷が拠点になる。ここは関所を置くにもやや守備範囲が広いので、兵力を必要とするだろう。こちらから出撃するにしてもここを通るしかない、大軍を通し補給線を確保するならば、の話だがね。


「申し上げます。北部会盟郷は楊将軍が確保をするように指示しており、南部沙溝郷は呉将軍にが、東部山口郷は張将軍が向かっております」


 鐙将軍が既に要地を得るように派遣していると明かす。それはそうだろう、張将軍のところに負担があるが、おそらくは姜維を詰めるようにさせるつもりだな。


「承認する。新安だが、姜維に降伏交渉をさせるつもりだがどうだ」


「游隴将軍は顔見知りに御座います、説き伏せてみましょう」


「うむ、手土産は民の不侵だ。それ以上は何一つ出せんが、飲むようならば守将らの洛外通過を認める」


 内に残られると迷惑だからな、それに県の守備兵はついては行くまいよ。話し合いで無血開城出来たらどれだけ楽か。でも今回はそれなりに目があると思う。


「思った以上に早くに進軍が出来た。ここで座して待つのも芸がない、これより進出の足場を作るために螢陽城攻略を目指すぞ」


 螢陽は洛陽を挟んで新安と等距離の上に、位置も対照的だ。ほぼ一本線で結べる、つまりは洛陽との相互支援が可能な場所ということでもある。山口郷と螢陽県の間に成翠県があり、ここにも数千の軍が駐屯しているはずだ。


「螢陽城は堅城で御座います。かつて漢の劉邦が楚の項羽の大軍に包囲されながらも守り切った事例が」


 呂軍師の言葉に多くが頷いている。そうか、正面から攻めてもラチが明かん可能性が高いか。だからとここを無視しては今後の補給線が途切れてしまう。


「ではどうしたらよい」


 解らないことは周りに尋ねる、意見があがればそれを聞き入れるかを判断する、そういうことだろう。


「成翠県から山沿いに南東へ行きますと京県が御座います。こちらの山城を奪い、潁川の長社を窺います。螢陽から補給部隊を狙う軍が出るようならこれを野戦で撃退し、城へ押し返すことで今はよしとします」


「ではその後は」


「長社より許都は目と鼻の先、そうなれば螢陽の守備兵は最低限まで減らし、首都の防備に寄せるでしょう。そうなれば補給部隊を攻めることも出来なくなり、地理的な優位も喪われます」


 なるほど、攻め取るのが戦術なら、戦略とは城の価値そのものを減らすというわけか。邪魔をされないならそれは充分目的内の行為になる。


「野戦での機動防御を指揮する専任の将軍が必要になるな」


 命令を待ってから行動するようでは話にならない。単独で戦えなければ効果が上がらない。敵よりも強くなければ意味がない。ではどいつなら適任だ?


「理論よりも感覚で動き、部下をまとめて単独で動き回り、戦闘では的確な指揮を行える者。補給部隊の襲撃ならば千から二千程度の規模でしょう、なれば石苞将軍ならばいかがでしょうか」


 名指しされて瞬間にピクリとしてこちらに視線を向けてきた。確かに適任だな、少し頼りない部分があるから副将をつけてやれば出来そうな気がする。


「どうだ石苞、やってみるか」


「おうよ! 手柄を立てる機会があるんだ、やらいでか!」


「ふん、前のめりですっころぶなよ。副将をつける、袁休卑将軍、若造が躓かないように見て居てやってくれ」


 かつての亡命士官をここで補佐に充てる。経験だけなら長い、各地での戦闘経験も豊富だ、規模としては適切なところだろう。


「お任せ下さい大将軍。石偏将軍、宜しく頼み申し上げます」


 二十歳そこそこの小僧に四十を過ぎた中年が礼をする。歳下の上司などはいて捨てる程いる時代だ、これといった抵抗はなさそうで良かった。外が騒がしくなり、茶色の軍旗を指した兵が駆け込んで来る。俺のところではないな。片膝をついて太守の間の入り口辺りで声を張った。


「申し上げます! 白鹿原陳式将軍の使いで御座います! 荊州方面より二万の軍が五塞に進軍してきており、主将は揚烈将軍王昶!」


 要塞が無ければそれだけで、そこそこ厳しい状況になりかねない数で素早い進出だな。文聘の部下ってことだろうが、王昶とは聞かんなあ。チラッと呂軍師をみると、例によって豊富な知識を披露してくれる。


「王昶といいすれば、父の王沢、伯父の王柔ともに儒家の大家郭泰に認められし清流派の人。元の洛陽典農校尉でありました」


「俺の上司の上司の上司だった。穏やかな人となりで、他を立てて、学問に前向きな、そうだな真面目っぷりが凄いひとだったぜ」


 石苞が名前を聞いてそう論評した。外向きには出せないがこの場においては分かり易い言葉だな。無理攻めをするような人物ではない、牽制の為に出て来たのか、あるいは謀略の類があるのか。


「軍略家ということだな。策に踊らされないように注意だ」


 とはいえ陳式が光る幕僚を持っているとは聞かない、やや不安があるな。力押してくるようなのが相手ならばこうまで心配もないんだが。うーん、と悩んでいると「要塞から出ずににらみ合いをするように、使者をたてればよろしいでしょう」呂軍師が言葉を添える。


「動かない相手を策に嵌めるのは難しいか」


「逆よりも遥かに。費軍師将軍に後方支援をさせ、謀略に備えさせます」


「あいつの能力に疑問は無いが、長安での仕事も極めて多い。少し背負わせ過ぎではないか?」


 物流管理に州の政治、軍兵の中継所でもあり、要衝の主将でもある。そこに前線の参謀役まで担わせるのは流石に俺でも気が引ける。


「それなのですが、首都より振威将軍を呼び寄せ、長安で補佐をさせてはいかがでしょうか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る