第119話
「そうか。してそいつはどうする」
縄を打たれている中年のふてぶてしい男、こいつが郡尉なんだろうな。
「鄭郡尉は官職持ちでありますれば、仮節である某では処罰は出来かねます。都へ護送し、廷尉の判断を仰ごうと考えております」
そうとしか言えんからな鐙将軍では。洛陽の民の不満がたまる、蜀への不安とあいまれば面倒が起こるだろうな。
「鄭郡尉とやらの言も聞こうか」
「島大将軍、魏の民からちょちょいと余り物を貰っただけで、大したことじゃありませんよ。こんなの普通のことですよ」
悪びれるところなしか。そういう時代もあれば、それを許す奴も多々居ただろうさ、それは認めるよ。
「なるほど、鄭郡尉は略奪禁止の命令を破り、それを大したことないと言うわけか。ははは、まあそうかも知れんな、よくあることだ」
「そうですよ、こんなのいつものことです。鐙右将軍は真面目でお堅いですから、ははは」
声を出して笑いを誘う、鄭郡尉もそれにあわせて笑った。
「小僧が軍令を破り仕置きを受けることはあれど、郡尉の官を得ている士が俺の命令を破るとは言語道断! 使持節を以てして島介が鄭郡尉の即刻処刑を下す! 陸司馬!」
「御意! 君命にて御免!」
「そ、そんな、まっ!」
腰に履いていた剣を一切の躊躇なしに袈裟懸けに振るうと、一撃で命を奪う。無残にころがる死体を見て「違反者の首を城内に晒せ。鐙将軍、軍議まではまだ時間がある、兵の処置をしておけ」言うが早いか背を向けて歩む。
責任者まで不問には出来んよ、俺を恨みたければそうすればいいが、身から出た錆だというのをよく知っておくべきだ。
「李項に伝えて置け、城内の治安維持を監視する者を巡回させろ。そいつらには何の権限もないが、ただ俺の目としての役目を与えると」
政務的なものなら督郵という職があるが、これは何というんだか、名前なんてどうでもいいが。事件をねつ造して報告をあげて来ることだってある、気を抜くわけにはいかんな。だが李項に整理をさせる、あいつを信じて判断をさせるには丁度良い事例だろう。
太守の座について夜になるのを待った。別にここで時間を持て余しているわけではないぞ、全国からの報告と長安経由での首都の報告を受けていた。費軍師将軍の仕事量が半端ないことになっているようだが、どうやら無難にこなしているそうだ。そういうところは流石孔明先生の評価を受けただけのことはあると思うね。
李厳の奴もいまのところは大人しくしているようでなにより。魏延は三陵方面から進軍したか、陸路を行くのは時間が掛かるが呉国を信用していないわけだから船では行けん。津を占領してようやくそこに至るまでの河を輸送に利用できる程度だろうな。
助攻の類だ、無理をすることはないが、うかうかしていると荊州を先に制圧されてしまいかねん。そうなったら大将軍を譲ってゆっくりと暮らしてもよいがね。
して、噂の呉国は動員令を下してはいるが河を越えてはいない。あいつらも俺が許都を攻めるまでは動きづらいだろうな、魏だって使者を送って翻意するように連日説得を行っているはずだ。それを右に左に言い逃れして無視するのも長くはないぞ。
「董軍師、馬将軍から新安の報告は何か届いているか?」
幕にはいるが戦争についてはとんと出番がない董遇先生だ、何か役目を割り振りたいものだが。
「包囲を続けているとだけ。これといった不都合はなさそうです」
何かある時は待ったなしの即時だ、こういう報告になるのは解っちゃいたがね。
「そうか。董軍師は洛陽に布告を出すんだ。今後恒久的な統治を行う上で、民に不安を与えないようなものを内容は一任する。郤正を補佐に」
「畏まりました」
こういう役目ならば支障もないし適任だろうさ。ん、郤正のやつ何かいいたげだな。
「どうした郤正、意見があるなら聞くぞ」
言いづらいから声にしなかった、そういうのをすくいあげるのは上司の役目だぞ。大体にして進んで意見を出せる奴なんて半分も居ないんだ、権威とやらを強くし過ぎる弊害とセットだな。
「はっ、某は河南の地に本貫が御座います。お許しいただければ郷に戻り、一族の有能な者を連れ戻りたく存じます」
「ほう、このあたりの出だったか。河南あたりの治安はどうだ?」
誰にでなく尋ねてみる、知っている者がいたら答えるだろうと。洛陽の太守を河南尹というのが兼務しているんだったか、近所なのは確かだ。
「未だ魏兵の姿が見られますので、やや警戒すべき地域です」
陸司馬が助言をした。こいつの感覚でのやや警戒すべきは、襲撃の可能性がある位のことで、自分なら撃退できるが無防備では話にならんわけか。
「ふむ。陸司馬、親衛隊から護衛を四人つけてやれ」
「御意」
「郤正、軍議が終わり次第好きにしろ。それと――思うところがあればいつでも意見をあげてこい、俺はそれを咎めはしない。皆もよくよく覚えて置け、これが俺のやり方だ」
それぞれが畏まる、まあこういうのが言いづらくする原因なんだろうな。苦笑して「茶でも飲んで一休みしよう」雰囲気を和らげる努力をした。陽が暮れる前に洛陽に続々と散っていた部隊が戻って来る。姜維の姿もあり一安心だ、楼から外を眺めていると胡周と目があったが笑っていた。
山岳地帯の防衛に切り替わるだろう別動隊以外は一旦入城したわけだ。城外に屯しているのも結構居るが、混乱するだけだからわざわざ入れることもない。
「これから寒くなるな」
まだ雪は降っていない、木々が赤くなったり黄色くなったりして冷たい風が吹いているだけだ。一か月もしたら白いものがちらついてくる日があるだろう。
「中県あたりよりは早めに冬がやって来るでしょう。長安からの補給には船が使えるので、ソリよりは物量が見込めます」
陸司馬がいつものように少し斜め後ろから声をかける。背中を気にせずに居られるのはこいつのおかげだ、俺の命を預けっぱなしだな。
「一か月あるんだ、やるかここでも。長安名物長風呂を」
マス型ではなく、長方形で浴槽を並べた風呂場。効率的に入れるのと、増設が五月雨式だったのでそうなってしまった。兵士にはすこぶる評判が良かったので、こちらでもとは思っていたが、最初の俺の仕事がそれになるとは思わなかったな。
「ある兵士が言っていましたが、風呂の残り湯を畑に流して冬季でも栽培できないかと」
「なに?」
四六時中湯を沸かしては流しているんだ、熱量は保てるぞ。暖房を使ってビニールハウスで栽培しているんだ、風呂の湯でも出来るだろう。新鮮な野菜が少しでも手に入るようになるなら試してみる価値はある。
「その兵士がどこに居るか分かるか」
「はい、出頭させましょうか?」
「直ぐに呼んで来い」
「はっ、速やかに執行いたします!」
速足で部屋を出ていく。それを見ていた董遇先生が髭を扱きながらよって来る。
「面白そうな話をしておいでで」
「董先生どう思います?」
議場ではあっても個人的に二人で話ているので、敬語を使って会話をする。態度を変えることは無いと各所から指摘はされるが、そういう風に育ったんだからしかたない。
「風呂場の仕切りを大きくして、隣に畑を作り、溝を通して湯を棄てる。凍上しない地が出来れば少ないにしても野菜が育つでしょう」
疫病を防ぐ意味での生鮮品、充足するまでは必要ないんだ、あるか無いかの問題、薬の一つだな漢方か。失敗しても別にどうということはない。
「この事業を任せても良いですか?」
「戦争ではなんの役にもたてませんが、野菜を育てるのが仕事ならば得意です。どうぞご期待あれ」
微笑しながら小さく頷く。薪を集めたり、火の番をさせたり、なにより衛生の向上と凍傷対策になる上に、兵からも市民からも極めて評判が良い風呂事業だ、統治にプラスなのは間違いない。変な宗教が入り込むのも結構阻止できるという報告もあったくらいだ。
「これは後方支援の立派な仕事です。最前線を駆けまわる若い将軍らには軽く見られますが、戦争の半分はこういった部分で作られるもの、宜しくお願いします先生」
「微力を尽くさせて頂きます。実は私も弘農の種でして、後日愚息の顔を見て参ろうと考えております。矢避け程度には使えるので、よしなに願います」
ほうこのあたりの士がそこそこ居たものだな、他の奴らも結構北方出身なんだろうか。
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