第118話

 東と言ったのは許都へ抜ける隘路の平地が東側にだけあるからで、山越えを視野に入れるならば確かに北なのかもしれない。険しい山ばかりの南に逃げるようならば、それは一旦態勢を立て直して取って返すことのみを意味するだろう。


 そういう意味では戦意旺盛で権限を持たない武将が南へ逃げて、主将が消えたところで音頭を取る位しか考えられん。そういう奴が居るならば面を見て見たいものだ。



 夕刻から少し仮眠をとり、深夜に意識をはっきりと保てるように少し調整した。本陣の周辺には篝火が置かれていて、逆光のせいで洛陽が闇の中にかすんで見えた。起こるとしたらそろそろだ、羅憲たちはもう配置に就いただろうか。


「ご領主様、鐙将軍の隊が密かに城外へ移動しています」


「そうか」


 李項が寝所へやって来ると速報を上げた。異変が起きて直ぐに報せに来られてということは、こいつも起きていたってことだろう。気づいていた証左だ。


「もしお前が洛陽の主将ならどうする?」

 

 攻め手に居て気づいたなら、守り手での対策も考えているだろうからな。


「夜襲組を一定数城内に誘い込み閉門、これを殲滅して見せしめにします」


 城内の士気を上げつつ敵の足を鈍らせる、それが出来れば最高だな。ということはこちらとしてはそれを警戒したらいいわけだ。


「で、鐙将軍らは城門確保にあっさりと排除されるような兵を出したと思うか」


「中県の決死隊のような存在を配していると考えます。最後の一人になろうと城門を魏に渡すまいと奮闘するでしょう」


 ふん。小さく鼻を鳴らして退室するように仕草で示す。そうだ、鐙将軍なら雑兵を使いはしないだろうさ、勝負は始まりの一瞬で決まる。トップギアで決めに行く構えだ。その時、本陣としてすべきことをするまで。


「陸司馬、親衛隊から百人を選抜して俺の旗を持たせろ。手分けして動けるようにしておけ」


「御意」


 熱めの茶を淹れさせて目を閉じる。姜維ならばどう動く、あいつの性格をよく考えろ。暗夜に追撃を掛けて手落ちをすることはあるか、いやそういうことがあるとして行動を推測するんだ。集団戦にはならない、精々千人以下の戦闘だ。


「袁休、関幾、何忠、胡周らを呼べ」


 思い付いた名前を口に出す、供回りの者が小走りに四方へと散って行った。ももの小一時間で四人がやってきた、深夜の呼び出しであろうと不満顔のものは一切いない。


「お呼びと聞き参上致しました」


 先任将軍である袁卑将軍が代表して一礼する。


「うむ。真夜中に済まんが、それぞれが歩騎五百を率いて洛陽東に伏せ、姜将軍の部隊が追撃を掛けるようならばこれを援護しろ。敵を倒すのではなく、姜将軍の護衛を至上目的とするものだ」


 仕掛けて競り負けることがあればこれを助ける、勝つようならば別にそれで構わん。洛陽内に留まってもだ、最悪を想定して遊撃手を配する、余計なお世話ともいうがね。


「畏まりました、直ぐに出陣いたします!」


 四人は連れだって出て行った。ま、これだけしておけば朝を迎えて大惨事ということはない、信用していないのかと怒鳴り込まれることはあるだろうがね。


 そろそろか。甲冑を身に着ける、従卒に手伝いをさせて身なりを整えて外に出た。耳を澄ませると風に乗って音が聞こえてくる。李項に呂軍師らも丘から洛陽城を見詰めていた。


「始まったか」


「今しがた」


 俺の短い質問に呂軍師が頷きながら返答した。ここからでははっきりと見えない、だからとわざわざ前に出るまでのこともないんだろうな。


「三つ四つ失策を重ねない限り洛陽は陥落するだろう。南中するまでに入城できるに酒を一樽賭けるぞ」


 面白がってそんなことを言ってみるが「某も落城に。ここの皆がそうでしょう」どうなるかは別として意見は一緒だと言うではないか。


「では賭けは成立せんな、それもありか」


 落とせなかった時の対策をしっかりとしているようで、呂軍師は落ち着き払っていた。はてあいつの姿が無いな。


「馬謖はどうした」


「馬左軍師ならば丘の裾野まで出て、戦闘を観察すると出て行かれました」


 郤正がそんなことを言う。確かにあいつには興味深い戦闘が目の前で起こるわけだ、経験の為と動きたくもなるな。


「護衛はちゃんと連れて行ったか」


「十名ほどを」


 やれやれと小さく息を吐く。ここは戦場で、更に言えば最前線だ。己を過信しているのか、敵を過小評価しているのか、それとも単に注意不足なのか。様子を見て感じていた陸司馬が「護衛兵を百名送ります」決定事項として報告する。


 返事をするわけでも無く聞き流して承諾とした。俺が心配性なだけか? 保身も仕事だと言うのはエーンのやつに口を酸っぱくして言われたからな。


「むむむ……南門で戦闘が起こっているようです」


 李封が目を細めてそんなことを言う。見えているんだろうな、夜目が利く上に若さも相まってか、戦っているってことは上手くやったってことだろうさ。


「堅くて壊せないならば壊さずにすむ方法をとれというわけだ」


 年少の参軍らはどういう意味かを理解出来ずに眉を寄せている。境界線は李兄弟あたりか、まあそうだろう。にこやかに呂軍師が口を開く。


「洛陽は周辺の郷を守るために兵力を派遣しています」


 皆の注目を集めると、少し歩きながら先を続けた。


「守備兵が減ずれば当然それを補充します。他所から引いてこれない以上、足元から徴兵するでしょう。洛陽の民を徴兵し、見張りや下働きに充てる。そうなれば顔も知らない兵が多くなり、そこに他人が混ざっても気付かれにくくなります」


 ここまで説明をすると黄栄が「こちらの兵を紛れ込ませた?」ようやく何を言わんとしているかに気づく。


「完全包囲をしていない以上、水や食料、薪の補充の為に城外に民が出ます。夕暮れに紛れ込ませることはそう難しくはないでしょう。何も戦って魏兵を押し出すまでは必要ありません、城門のうち一カ所だけを味方が来るまで確保出来れば良いのです」


 洛陽の南門ははね橋のタイプだから、操作室を占拠して居ればそのうち蜀軍がなだれ込む。降ろすのは縄や鎖でも切れば良いんだろうが、引き揚げるには労働力が居るからな。戦闘中は簡単には元に戻せんぞ。


「籠城側は城内に敵が侵入したが最後、戦意を失う。何せ自宅が襲われているかもしれないんだからな、落ち付いて戦えるはずがない」


 李信が城をじっと見つめたまま兵士の気持ちを代弁する。中県の防衛戦で住民がどう感じていたかを幾度も耳にしているはずだ。


「一つでも開門状態になっていれば、他の城門の意味は逆転します。すなわち内側から外へと逃げられないようにしているだけに」


 呂軍師の言葉に郤正が息を飲む。何が起こるか、答えは一つ城内の混乱だ。こうなれば守る側は極めて不利で、戦いどころではなくなる。暗闇に火の手が上がる、どこかで放火があった。


 ゆれる炎のお陰でようやくまともに洛陽のシルエットが目に映るようになる。ここから立て直すのは俺でも無理だ、案外簡単に陥落したな。後方地だからこんなものか。二時間ほど推移を見守っていると夜が明けた。


 太陽が昇ると一面を照らし出す、四方の門が開放されていて、城壁の上に立てられていた『魏』の軍旗は全て倒されていて、ところ狭しと『蜀』のものが並べられた。


「朝飯を食ったら行くぞ、焦ることは無いゆっくりと用意させろ」


 一旦自身の陣幕へと入り兜を脱ぐ。急報が無かったということは大事が無かったと同義だ、概ね問題なしで終わった。腹五分目の軽い食事を終える本陣に前進を命じた。洛陽の西門から騎馬したまま入城する。


「陸司馬、略奪厳禁、捕虜の虐待も禁止だと触れて回らせるんだ」


「はい、ご領主様!」


 百人の伝令兵に洛陽城内を駆けさせる。『島』の軍旗を背に括り付けた伝令により、城内が急速に秩序を取り戻す。騎乗した鐙将軍が姿を現す。


「島大将軍、洛陽城は陥落、蜀の支配下に入りましたことを報告致します」


「ご苦労だ。以後は治安維持と洛陽一帯の防衛任務に切り替えろ、今夜軍議を開くまで一切を任せる」


「承知!」


 やはり姜維の奴は姿がない、若い奴は勢いで動いた方がいいから何も言わんよ。邪魔者はさっさと城の奥に引っ込むとしよう。



 半日が過ぎて概ね城内は落ち着きを取り戻した、内城を出て太守の執務室にでも移ろうとしたところで鐙将軍と会う。なんだ、何か抱えているな。


「どうした」


「はっ、城内で略奪行為をしていた者らを拘束しました」


「それで」


 正面向き直るとじっと瞳を覗き込む。


「禁令を破りし蜀兵三千余、中には郡尉を履く者もおりました」


 三千とはまた随分と多いな! 召集兵が多いんだ、そういうこともあるか。今までは防衛が殆どで、進軍にあたって気が大きくなり攻撃的になったのもありそうだな。


「して、そいつらをどう処罰するつもりだ」


 目を細めて冷静な声で問う。どこを向いているか、どこまでが限界なのか。


「いまは侵攻戦の始まりです、ここで三千もの兵を処刑するわけには行きません。さりとて不問にするわけにも行きません」


 じっと見つめて声を発さない、そうだここで三千も処刑しては魏に利するのみ。だからと禁令を破った者を許すのは軍律を甘く見られ以後より最悪な結果を招く。


「違反者を集めた懲罰部隊を編制し、功績を上げれば不問にし、そうでなければ処刑すると申し付けます。逃亡は郷の家族を罰すると戒めを」


 ……締め付け過ぎは離反を招く、だが甘やかすのはそれ以上に良くないな。希望を持てるラインではあるか。

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