第117話

「他には」


「振威将軍の胡質も守備に就いているようです。こちらは事務能力に長けており、軍師の役割を果たしている様子。他に居る将軍らはあまり聞こえてこず、長く後方地だったこともあり、猛将の類は名が御座いません」


 典型的な内政地というやつだな、やはり新安でもそうだが民心を一番に統治に臨んでいるわけだ。旧来の最前線である涼州との接続点になる地域だ、民による妨害工作をされてはかなわん、そういう意味では人事の妙と言えたが、時代にそぐわない留任と言えるぞ。


 もっとも一年以内であれこれまとめて異動では混乱が勝る、可能な限りやった結果がこのように戦いも出来る文官を残すということだったんだろうな。


「俺は軍人であって聖人君子でもなんでもない。こういう手合いとの戦い方も心得ているつもりだが、呂軍師ならどう戦う」


「某なれば、洛陽を攻めるに敵を分散させて後に一気呵成に攻め立てます」


「具体的には」


「一軍を以て周辺の郷を攻め、洛陽よりの増援を求めさせます。これを複数同時に行い、主拠点の防衛兵力を削ぎます。無論無視されても一向にかまいはしませぬが」


 地方を切り捨てれば民心は離れるからな。それはそれで以後の統治に役に立つわけだから損はない。主将の性格からしたら恐らくは救援を割く、それがどのくらいの規模かは解らんが。


「では質問を変えよう。鐙将軍ならばどうすると思う?」


 これは鐙将軍がどのように動くかを予測するのを当てるものではないぞ、呂軍師が将軍をどう見ているかを知るための設問だ。といってもしっかりと意図を見抜いているんだろうがね。


「同時に行うでしょう。地方を攻めつつ洛陽も攻める。その上で昼夜を問わずに攻め続け、短期決戦を狙う。かの将軍にはそれだけの才能が御座います」


「なるほどな、確かにあいつならば同時進行の上強硬策も成功させるだろう」


 高く評価しているだけでなく、信頼を置いているわけか。一番困るのは雪が降るまでに落とせずに野営になることだ、そうなれば兵の健康を大きく損なう。人は国の宝だ、兵は適齢期の生産人口を引き抜いている、減じると数倍の損害が経済に降りかかるからな。


「今頃第一次攻勢を行っているのではないでしょうか」


 すまし顔でそんな予言をした。先行している姜維はかなりの進軍速度だ、本隊も一日遅れで到着するだろう。まずは一撃と姜維が仕掛けたとしても驚きはしない。


「伝令が来るのを楽しみにしておくさ。俺は総司令官だ、白鹿原や永安方面のことも考える必要があるな」


 実際は現地司令官が自主的に動くわけだが、方針だけは指示しておかねばならん。陳式将軍は基本防衛死守、唯一の例外は詳細を示してるのでこれ以上の指示はない。だが魏延の方は流動的だ、呉が魏を攻めるならば右袖に友軍を置いて進軍だが、怪しければ地歩を得る程度に戦うしかない。


「魏延左将軍は荊州への足掛かりを得る為、樊城や江陵を目標にして進軍するでしょう。巫より進み、夷陵へ出て、丁度両城の中間点にある当陽県を始めに攻め取るのが常道と思われます」


「樊城は聞いたことがあるな」


「関羽将軍が曹仁将軍と激戦を繰り広げた地に御座います。かつての樊城の戦いは水没が勝利の分かれ目でしたが、糧食が尽きて蜀が撤退してしまいました」


 水没か、低地にある城なんだな。あの関羽が攻めきれなかったのは兵力ではなく兵站の不足か、猛将にありがちな後方兵備の軽視か。戦いはあちこちで起きているものだ、最前線での出来事は半分だけと思うべきだろうな。


「魏延は勇敢だが無謀ではない、しっかりとやってくれるはずだ。呉の情報を多めに入れるように手配を、それが軍事判断の一助になるはずだ」


「畏まりました」


「さ、今日は休むとしよう。そのうち二日三日と眠られない時が来るかも知れんからな」


 冗談が現実になる可能性はそう低くない、しかもそういうのは大抵急にやってくるものだ。



 新安城の周辺に簡易土塀げ出来上がり、完全包囲されている。二メートル見当で決して高いわけではないが、目の前には五十センチほどの堀、木柵を兼ねた逆茂木が置かれているので、乗り越えるにはそれなりに苦労するだろう。


 長槍を手にした兵士十人につき一人が弩を構えて警戒している。薄く広く包囲しているので、一点突破をしようと乗り出して来たら守り切れないが、新安城を攻めるに比べたらむしろありがたい。


「さて、俺達も進むか」


 朝餉を平らげて茶を傾けて徐に口にする。急ぐ必要はないし、そもそもが加勢する予定もない、拠点を移す為に場所を変えるだけ。


「左様に御座いますな」


 呂軍師がゆったりと頷く、すると供回りの部将らが実務を行う為に俄かに活気づいた。本陣は李項が動かすので詳細は不要、親衛隊もいつものように陸司馬に預けておけば心配ない。つまるところ俺の仕事は無い。


 暫くすると馬にまたがり「では行くとしよう」呟くだけで全軍が行動を開始した、何とも便利な幕僚たちだ。地位不相応の幕僚が発言権を持つ理由はこれだな。参謀部の中佐辺りが辺境の野戦師団長よりも実権があるといわれるアレだ。


 馬上で腕を組んで目を閉じる、寝ていたってどうとでもなる。まとまった時間で考え事をしつつ幾日か、洛陽西の城壁が視界に入って来た。


「軍旗はどうだ」


 最近遠くを見ると目がかすむような気がして、供回りの若い奴に尋ねる。


「はっ、『燈』『姜』の軍旗が城外に在ります」


 鐙将軍と姜維か、ということは残りは周辺を攻めているわけだな。呂軍師の想像通り、人員の配置までは言及していなかったが、一番責任が重い箇所に上位の二人が居るんだから危なげない。


 洛陽には未だに魏の軍勢がいて守備を固めているわけだが、これをどうやって攻め落とすのか。


「このあたりの丘に陣を張れ」


 近すぎると戦闘の邪魔になるので、城が見えるギリギリで進軍を止める。すぐさま設営に映ると、陸司馬の命令で本陣、それも幕がある周辺に木柵が張り巡らされた。防衛準備を全て整えて後に、次の設営の為の下準備を始める。


 なんとも真面目なことだ。下士官出の将軍はこうもなるという良い例だな。王凌とやら、腕前の程はどうだろうか。赤い旗を括りつけた伝令が幕に駆け込んできた。


「申し上げます、東部より洛陽東門に伝令が駆け込みました!」


 包囲できるのにしていないのは伝令を城へ入れさせるためだ、地方からの増援要請に違いないぞ。ま、予断は禁物だがこちらの前衛に居るはずの三将軍がどこかへ消えたんだ、郷を圧迫しているんだろうさ。


「そうか、戻れ」


 聞いたとだけ反応してやり即座に退室させる。しかし洛陽、他所に比べるとやはり広いな。長安も大きかったが、それよりも少し上回っている。


「呂軍師、洛陽の兵力だが少なくはないか?」


 軍旗の数はそこそこ多いのだが、城壁の上に居る軍兵がまばらに見える。床几に座っている俺のそばで腰を折り「既に城外へ増援を送り出した後の様子。住民に武器を持たせて守備に充てているようです」状況を分析した。


 ふむ、動員兵か。人口だけでいけば万の軍勢はすぐに集められるだろう、使い物になるかどうかはわからんがな。


「ふむ……もしかして?」


 一つ閃いた、呂軍師は微笑むと頷いた。ぼやっとしていた俺が何と無くで気づいたんだ、責任を負っている奴ならばやっていて当然なんだろう。さて、幕僚で気づいた奴はいるだろうか。これは経験値の差が出てくる話だぞ、馬謖あたりでは感覚がないだろうな。


 逆に農民出の親衛隊の面々は気づくかもしれん、何せ何度かそういう体験をしてきた可能性があるからだ。


「あるとしたら今夜半でしょう、我が主が着陣もしたので」


 タイミングとしてはそうなのかもな、明日になり俺がのりだしたら鐙将軍の面目が立たんとかいうのがあるからな。ことを焦らないで欲しいものだが、ここで時間を節約できれば魏の本土に前進基地を置けるかも知れないぞ。


「目的は洛陽の陥落だが、むざむざ兵力を逃すこともないな。運試しをさせるとしよう。羅憲、夏予、石苞、それぞれ歩兵千を率いて洛陽東の山林に伏せろ。逃走する魏兵が目の前に現れたらこれを討ち取れ」


「御意!」


「畏まりました」


 羅憲と夏予は何も疑わずに言葉を飲み込んだ。だが石苞だけは「魏軍が逃げるってとこはいいけど、ここから一番近いのは平県城だ、北に伏せたいんだがいいか?」土地勘があるようで異見をあげて来る。


「構わん、お前の好きにしろ」


 即座に承認してやる。どこに当たりがあるかはこの時点では不明だ、そもそもが洛陽から逃げるかもだが、自由兵力を動かすのは予備的な意味合いでしかない。もしこれで上手い事戦果を挙げられたら運を味方にしていると言えるな。


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