第116話

 昨日の敵陣をちょっと観察だ。遠目にも解る程の出来栄え、専門の築城将校でもいたのかね。堀や柵の位置やサイズがどれも適切で、もっと縄張りを持てるならば発展の余地もあった。


「なあ呂軍師、どう思う?」


 いつものようにザクッとした一言。呂軍師も辺りを見回して小さく唸っている。


「良い出来で御座いますな。基礎的な部分でしっかりと計算されている様子」


「だな、規模が大きくなっても精度が落ちない気がする。これは経験からの再現ではないぞ」


 そう、設計した後に構築したような齟齬の少なさに、順序だての良さがあるんだ。そんなものどこで誰が計画したって同じになるだろうとも思えるが、今の時代を考えろてことだな。道具造りや宮殿を立てるから設計する、それはわかる。だが戦場で野戦陣を構築するというところに誰が居るってことだ。もしかして工兵が存在している? 築城の専門部隊、蜀では聞かなかったが。


「陣の構築を専門にする部隊、聞いたことがあるか?」


「寡聞にして聞き及びません。いても不思議は御座いませんが、南部の戦線や異民族との境界線、築城困難な場所は多数御座います。わざわざここに構築しに来るのはいかがなものでしょうか」


 そうなんだよ、最初からただの時間稼ぎ程度の出来栄えで良いのに、ここに造りに来るのはおかしいんだ。まあ魏が人材余りで仕方ないってなら話は別なんだが。農民は山ほど居ても、技術者ってのはそうじゃない。


「絵師にこの陣地の図面を記録させておけ。俺達は先へ進むとしよう」


「畏まりました」


 軍勢に再度進軍を通達して東へと歩みを進めて三日、新安城が見えてきた。既に馬忠の軍が包囲を行っているのだが、状況を見て大きく頷く。包囲軍は土壁を前にして、堀、土壁、逆茂木という防壁を使い城の完全包囲を完成させていた。


 新安城から周囲二百五十メートル、到着してたったの一日で土塀による囲いを作った、それも敵の眼前でだ。逆茂木については出陣する時に兵士に道具を持たせていたものを組み立てて置いただけだが。


「見事なものだな」


「こちらの拠点から近く、敵も打って出てくるわけにもいかずというもの。これで包囲はかなり楽になるでしょう」


 工事の邪魔をしようと出撃してきたら、数倍の相手に滅多打ちにされてしまう。悔しくても苦しくても黙って見ているしかない。


「土嚢を抱えて進んできて、ぐるっと積んで東へ抜けていく。馬忠らは堀と逆茂木を置いて、土嚢を整えたら簡易陣地の出来上がりか。一々現場で掘り返したものを積み重ねていく必要は無いわけだ」


 これは呂軍師の発案だ、俺なら二時間で堀と土塀を作れると想定したが、これなら雑兵でも一時間で全て解決。身体よりも頭を使えってことの典型だな。実戦では高さは強さと同義だ、たったの二メートルの土壁がかなりの障害になるのは間違いない。


 壊そうと思えばできるが、それに多数の人命を費やすんだから困りものだろう。少なくとも完全包囲をしたので外からの補給は入らないし、人の出入りも殆どが無理だ。専門兵の密偵当たりならば暗夜乗り越えることもあるだろうな。


「もう二日も工事を積み増せば、それなりの強化が可能と推察いたします」


「ならば本陣を二日ここに留め置くとしよう。馬忠に工事に専念するように伝えて置け」


 二日で後方が安定するなら待機するのも戦略の内だ。本陣を河の南側において宿営地を設置させる、これは陸司馬の仕事ではなく李項の仕事だ。城外に兵士を伏せている可能性は常にある、滞在を決めたと同時に斥候を周辺に放つ。このあたりは最早幕僚らの常識になっていてくれて嬉しい限り。


 城壁には『新安』『游』『河南』『州』の軍旗が並んでいる。游はユウと読んで良いんだよな? 軍兵は二万が目安だ、水は地下水道でも持っているならどうとでもなるだろうが、食糧はどのくらい備蓄しているやら。


「呂軍師は新安をその目で見て、どう攻めると考える?」


 偵察やイラストではなく、実物を目の前にしたら考えは変わる。難攻不落では無いだろうが、やはり堅城ではあるぞ。もし白兵戦で陥落させるならば、数千の犠牲がついてくる。


「もし交代されると難しかったですが、游隴将軍が県令のままならば一つあります」


 游隴将軍か、こいつが夏候なんだかと同じように逃げ出すってことか? 名前を聞いても全く解っていないんだ、黙って続きを聞こう。


「洛陽を陥落させ、増援が来ないことを明らかにし、民を蔑ろにしないと誓約すれば城を明け渡すでしょう」


「そんなことで?」


「そんなことでは御座いません。このような言を信じさせることができるだけの信頼を、我が主が持ち合わせていることが稀有なのでございます」


 うーん、まあ約束は守るぞ。


「なぜ游将軍がそれを受け入れると考えたんだ」


 呂軍師の思考回路の一端を知っておくのは必要なことだ、どうして結論がそうなったかをこそ知りたい。戦わずに重要拠点を明け渡すなど、敵前逃亡と同義で処罰の対象になるだろう。


「前提として州将軍は游将軍よりも格下であると致しますが、游将軍の人となりからで御座います。彼の人物は国家に忠実であり、治績に長じ軍事に明るく、まさに武将のあるべき姿と聞こえております」


「その武将がどうして国家の領土を明け渡す」


「恩徳を施し民を教化し導くことを最良とする人物です。新安で民が戦に巻き込まれることよりも、無事に生活を続けられることを望むでしょう」


「そんなことをしたら処罰の対象だと思うが」


「かの人物ならば笑って死を賜ることを良しとするでしょう。仮にそんな人物を攻め殺せば民は蜀に反感を持ち、新安は常に反発をもつことになります」


 自分が死んでも、か。思想は良いが防衛を行えないならば前線に出てくるなと言いたい。


「軍事に明るいとは?」


「武官では御座いませんので、統率の面でと申し上げておきます。蜀の費将軍のような存在をご想像いただければ」


 なるほどな、一軍の司令官よりも上を任せればまとめ上げるタイプか。成長の途中で守備範囲がまだ狭い、しかし目はある。最後の最後は司馬懿のような形で蜀に立ちはだかる可能性があるか。


 この一撃で戦争を終わらせるつもりだ、遠い未来の危険を排除しようとも思わん。ならば説得も一つの選択肢と受け止めるべきだな。


「そうか。兵を減じることなく拠点を得られるならばそれに越したことは無い。誰が交渉に最適だ」


「姜将軍が最適と存じます」


「理由は」


「かつて隴西の官吏として県の上層についていた人物であり、姜将軍と繋がりが御座いますので」


 だから隴将軍か、雑号だから理由なんて思いつきの域を出ないのは俺も人のことを言えんがな。姜維は天水とかいう僻地だったか、そこの上層となればさして人数もいるまいから、顔見知りである可能性もうなずける。


「では洛陽が片付いたら姜維にさせるとしよう。洛陽だが懸念は」


 鐙将軍に任せておけば問題ないだろうが、それとこれとは別問題だ。いつ俺が直接戦うようになるかもわからん、概要は頭に入れておくべきだ。


「防衛の要は督河南輔魏将軍王凌とのこと、統治するところ各州の刺史を歴任し、蜀と魏の戦いでは身代わりとなり皇族である曹休を離脱させるなどしているものであります。一方で他人を信用しすぎるきらいもあるかと」


 真っすぐを見据えている男か、嫌いじゃないぞ。輔国将軍の魏バージョンなわけか、エピソードからしても納得いく待遇で、刺史を務めた後に洛陽と軍勢を任された。真っ正面から戦えば被害も多いだろうが、こういう手合いはやり方次第でどうとでも揺さぶれるな。

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