第115話

 本来函谷関のこの席は鐙将軍の居場所だが、それを押しのけて座っている。左右に文武の官らが居並びこちらを見ている。左には呂軍師、右には陸司馬を従え段下を見詰める。右列の筆頭は鐙右将軍で左列の筆頭は姜征東将軍ということになっている。


 そもそも左列の行政官らは数が少ない、変な話、鐙将軍が左列の筆頭でもある。軍事に傾倒しすぎも良くないが、これから戦をするのだからこうもなるだろう。


「集まって貰ったのは他でもない、これより魏を攻める」


 端的に目的を発した。解り切っていることでもこのように集まり聞かされると緊張を誘うようだ。他人ごとの様に客観的に受け止められるようになれば、指揮官としては一人前だろう。


「これは今までのような局地戦ではない。国家と国家の存在を賭けた一戦、頂点を狙う一大事だ」


 生唾を飲み込む音が聞こえそうな程に場が静まり返っている。肩に力が入り過ぎているのはいかんな。本来なら激励して戦意を高揚させるべきなんだろうが、それは逆効果になりかねん。


「だからと力む必要はない、今まで通り最善と信じる行動を積み重ねるだけだ。己の力量以上を求めはしない、ただ失策を減らし訓練通りに全てをこなせばよい」


 訓練は自分を裏切らない、これは絶対だ。俺を除けば四十代より上は居ないほどに若い面々だ、老人が将軍らに僅かに存在しているが現場は若い程に良い。


「困れば俺を頼れ、それは恥でも何でもない。一人で全てを背負い込む必要はないぞ、その為に仲間がいる。後ろで俺が見ている、少しくらい羽目をはずそうと、窮地に陥ろうと最後は絶対に助力してやる。怖じるな、恥じるな、己を信じて仲間を信じろ!」


「はっ、島大将軍!」


 鐙将軍が腹の底から声を出して応じると、全員が唱和した。そうだ、それで良い。


「序列を定める。都督に鐙芝右将軍を据え、洛陽攻略の任を与える。指揮下に姜維征東将軍、呉鎮軍将軍、張凝伏波将軍、楊秋偏将軍を加え、歩騎四万を預ける」


「御意!」


 呼ばれた将軍らが一歩前へ出て一礼する。無冠だった武官から偏将軍と卑将軍を何人か昇進させた、単純に兵力が増えた分の席次だな。


「馬忠破虜将軍を督新安とし、包囲の任を与える。これを落とす必要はない。指揮下に梁緒偏将軍を加え、歩騎二万を預ける」


「ご命令確かに!」


 老将というには少し早いが、それでも年長者ではある。包囲のような成果が解りづらい任務にも正面から向き合う性格を採り上げるぞ。


「洛陽を陥落させたのちに攻略をする、城兵を動けなくするのが目的だ。可能な限り函谷関の外に居る野戦軍も新安に押し込むつもりでいる」


 だからこその二万だ、同数ならば崩壊することもないだろうさ。


「函谷関は鐙将軍が留守の間、李覇中塁将軍を平督函谷関とし、高翔偏将軍を加え、守備兵五千の統率を命じる」


「お任せ下さい、ご領主様!」


 次男坊は拠点の防御に優れている、関所を任せて不安はないぞ。物言わぬ副将だが高将軍は首都で丞相府に属していたんだ、無能ではないぞ。


「残りは俺と共に本陣だ。呂凱後将軍を都督とし、全軍の監察を行わせる。本陣の指揮は李項中領将軍に任せ、俺の命は陸盛宿衛将軍に預ける」


「全ては島大将軍の御心のままに」


 呂軍師が畏まる。李項も陸司馬も拝礼した。本陣には十人以上の武官が待機になるか、校尉まで含めたら実は一番充実しているのは呉将軍だったりするな。まあ今回は戦線が狭い、無理に仕分けすることもなかったのだが、その後への布石ということだ。


 南蛮兵が居ない、動員兵も少なめだ。こちらは全部で九万程度、白鹿原の陳式将軍は一万と追加の同数。魏延が三万に冷将軍が一万か。現地の守備兵をどう割り振るかで攻勢の勢いが変わる。


 そんなことを言いながら、しっかりと兄弟に軍の派遣を要請してある。遅かれ早かれ治安維持は南蛮兵が行い、関東の兵は永安と長安に進出して来る。スライドする形で許都攻めに出られるのはいかほどか。


 そしてそこで李厳の登場と俺は見ている。隠し玉が必要になるだろうが、どこまで自身の腕が延びるかは疑問だ。孔明先生が上手くやると信じて前を見るぞ。


「進発は二日後だ」


「先鋒は自分に!」


 姜維が名乗り出る、洛陽攻略軍の面子でもあるので不都合はない。他に誰も名乗り出ないのを確認して「良いだろう、姜将軍が全軍の先頭だ」許可を与える。


「ありがたく!」


 チラッと鐙将軍を見たがこれと言って不満を抱いたようには見えなかった。ならば良いさ。いよいよ最終幕だ、俺の夢もそろそろ覚めるに違いない。


 飯炊きの煙が多数立ち昇る、これが進軍の合図だと感付かれないように、火を扱うときには煙を仰いで散らすようにと言いつけてあった。どこまで有効かは解らんが何もしないよりはマシと信じよう。城楼の上から関所の東を見る、魏軍の一軍が野戦陣地を置いてこちらを監視している。距離としては五キロくらいだろうか?


「あの軍旗は」


 先になびいているのは『州』の文字が書かれていた。誰だと言うのは調べがついている、幕僚らに報せる意味合いからだ。


「州泰北魏将軍で御座いますな」


 呂軍師が皆に聞こえるように応じる。蜀との最前線に駐屯しているんだ、実力がないわけがない。


「人となりは解るか」


「司馬懿の属を経ての人物で、堂々とした態度の若者の様子。実績は聞こえてこず、その意味でも志願しての駐屯なのでしょう」


 なるほど、新進気鋭の将軍か。それにしても良い場所に野戦陣地を構築している、地形を最大限利用しているのが認められるな。下っ端の雑号将軍でもこの才能か、蜀はどうだろうか。


「出陣すれば少なくとも一戦交える位はするだろう。罠の有無を調べておけよ」


 勢いを削がれるわけには行かない、負けることは無いが手間取るわけにはいかんからな。数で押せるのは開けた地形のみ、あの陣立ては本当にうまい。陣営の中に『河南』というのが少数だが見えた。


「河南というのはこのあたりの地方の軍だろうか」


「洛陽付近を河南と呼びますれば、地方軍の一つかと思われます」


 だよな、ってことは雑兵の類ってことか。若い将軍と実績がない背景から徴兵でもしてきて数を増やしたか、どちらにしてもあれを追い払って新安城に入れるのが最初だ。鐙将軍ならしっかりとやるだろう。


 鎖が鳴り、木が軋む音が聞こえてくる、釣り板を降ろして城外へ軍兵が出ていく。姜維の軍が先頭で、少し間を空けて鐙将軍の本陣が続いた。その後ろに呉将軍らの兵が連なるが、そいつらは何かを抱えて歩いている。


「高みの見物とはこれだな」


 魏軍が出陣してきた蜀軍を見て慌てているのが解る、だからと逃げ出すわけではない。木柵に堀、逆茂木に落石の用意、まさに砦って感じがする。先鋒の姜維軍が真っすぐ向かって行き『州』へと襲い掛かった。


 高地を確保している相手に対して最初に行ったのは、束ねた枝に火をつけたものを放ること。燃えている部分が少ないので、白い煙を吹いてあちこちにころがった。煙幕という奴で、正面の視界が殆どなくなる。


 ふむ、狙い撃ちはされないがこちらから攻撃も出来んぞ。と思っていたら、急きょ進軍する方向を右手に折れるように変えて、砦を迂回する動きをとった。どの方向から攻められても防備は完璧だろうが、何をするつもりだ?


 兵らがもう一度枝束を投げつけている、今度はもっと多い。じっと見ていると少しだが風が出てきて、煙が陣内へ運ばれていった。最初のは目隠しで今度はどういう?


 十数分ほど風に吹かれるまま煙が州軍の陣内を漂う、すると無遠慮に柵にとりつき始める。よく見ると姜維軍の尖兵は顔に布を巻いているな。激しい反撃になると思いきや、何故か散発的な抵抗にあうのみ。


「魏軍はどうしたんだ?」


「……あれは連烏梅の枝なのでしょう」


「なんだそれは」


「猛毒をもつ草木でありまして、枝を燃やした煙を深く吸い込むと手足の痺れや眩暈を起こすものです」


「むむむ……」


 そんなことを知っているとは呂軍師流石だな。あれは城壁の上に居る時に要注意なわけだ、全然遭遇しなかったのは幸運なのか、それとも条件が厳しいのか。いずれ攻め込む方にも被害はありそうだな。


 一時間程攻防が行われたが、鐙将軍の本隊が控えているのを見て州軍は新安の方へとのろのろと移動を始めた。追撃もしないわけではないが、目的の都合から後備を削るようにして浅く追いかけていくのみ。


「しかし、良い砦だった。周囲に三万も居れば数日防戦出来たろうに」


 元より防戦する為の軍じゃないわけだからな、目的はこちらの監視。そして多数の通り抜けを阻害すること。取り敢えずは新安城の防備を整えるだけの時間を稼いだってところだろう。


 前衛が東へと進んでいき姿が見えなくなったあたりで日が暮れる。こちらは一日ずらして進発するとするか、玉突き衝突で行き場がなくなると邪魔になる。準備を全て任せてしまい、自身は机の前で報告書に目を通す。


 なんでかデスクワークというのは時代を問わずに湧いて出るものだな。他愛もない感想を呟いて夜を越えた。


 翌朝一番で騎乗すると「出かけるとしよう」軽い感じでさっさと馬を進める。後ろで全軍へ号令が掛けられた。だというのにちょっと進むと直ぐに隊列が停止する。


「少し調べるぞ」


「御意。全軍停止!」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る