第114話

「包囲などしている時間的余裕はない。首都に攻め入られるようならば各地から軍勢が取って返すはずだ」


 またそうしなければ忠誠を疑われるだろう、それがチャンスとも言えるがな。一度で攻め落とすことだげが全てではないのだが、こちらの最大の懸案事項は孔明先生の寿命だ。あと三年あれば別のアプローチが出来るが、この一撃で決めるしかあるまい。


「すると急戦を狙いに?」


「閉じこもる相手を倒すことは流石に出来ん。内から開けさせる何かを必要とするがな」


 そのカギとなるものが未定では画餅も良いところ。洛陽を落とすまでに考えておかねばなるまいが、どうしものか。鬱築健は目を細めて「その役目、大鮮卑が必ずや」一礼して引き受けると言う。


「期待している」


 出来なくてすまないと言われて困るのこちらだ、無いものとして扱おう。申し出をありがたく受けるまではテンプレってやつだな。


「時に鬱築健殿、大鮮卑は魏の地図をお持ちでしょうか?」


 ふむ、馬謖のあれか? 有ると無いでは雲泥の差だ、無いと言うなら持たせてやろう……いや、そのはずはないか、何せ馬謖はさっき出て行ったばかりだからな。


「詳細なものは持ち合わせておりません」


 それはそうだろう、地図は国の機密情報として扱われている時代だからな。何がどこにあるか、それこそ国家の中枢でしか全てを知らないんだ。


「では幾つかお渡しいたしましょう。漢語のモノしか御座いませんが、最新の品を」


 にこやかに係官に命じると小走りで出て行き、暫くすると巻物を手にして戻ってきた。十数本の巻物。


「中を確認してもよろしいでしょうか?」


「ええ、もちろんです」


 鬱築健が無造作に一つ手に取り紐をほどいて拡げる。それは幽州、冀州を中心にした城域の地図が描かれており、一部には主将の名前と軍事規模まで注釈が入っていた。


 まったく呂軍師と来たら、やることが完璧すぎだ。馬謖のものが思い付きで下準備の一つでしかないとしたら、こちらのは芸術作品の域だよ。どれだけの費用が掛かっているのか、これを個人でやっているならば給料の殆どが飛んでいるはずだ。


「このように詳細な……感謝致します!」


「これを活用し、大鮮卑が勝利を得ることをお祈りさせて頂きます」


 鬱築健が恭しく退出してから呂軍師の顔を見詰める。言いたいことが何かきっとこいつなら察する。恐らく馬謖の数倍をつぎ込んでいる、その位の価値があっるということだ。


「ご心配なく、大将軍府へ工作資金の申請はさせて頂きます」


「俺はそういうのを先払いで渡すことにしているんだ。働きは認めるが、苦労を一人で背負わんでくれ」


「申し訳ございませんでした、以後気を付けるようにいたします。しかし大鮮卑、それなりの働きをしてくれることでしょう」


 居ないよりはマシと考えていたが、確かに前向きな姿勢が感じられた。頼るわけには行かないが、魏の対応が以前よりは振り向けられるだろう。


「かもな。鎮圧撃退に時間が掛かるだろうから、こちらはこちらで速やかに洛陽を奪取すべく軍を出すとするか」


 先だっての遠征からさほど時間は経っていないが、戦闘自体が少なかった休養は充分だろう。問題は戦費の方だが、単純に支配地域が広がり税収が増えている。従軍の適齢人口だけが漢中で跳ね上がった、こいつは石包の手柄だな。


 逃亡兵が蜀に志願してきて無罪になった、そいつらが分散して各所の下働きになっている。敵性思考があるかないか、しばらく様子見は必要だが野盗の警備には使えている。


「……李前将軍でありますが、やはり何かしらの暗躍を練っている様子」


「あいつか、こちらが許都を攻めるようなら動くだろうな」


 抜き差しならない状態になり次第あいつは絶対に裏切る。前もって拘束なりが出来れば良いがそうもいかん。あいつはあいつで蜀の高官、正直五本の指に入るほどの身分を得ている。


 俺と孔明先生が頭一つ抜けているが、魏延、李厳、それに官爵だけなら呉車騎将軍や寥輔国大将軍らが居る。問題は江州の都督だってことだ、兵権を握っているんだよな、その上で尚書僕射とは参る。


「北営軍だけでなく、外軍でも防備を整えたいところでありますが」


 また向歩兵校尉に要請するか、だが一本柱では不意を衝かれると総崩れするし穴もある。複雑にしてしまうと感付かれたり対策されたりもある、そのあたりのさじ加減はいつも難しい。何せ場所が遠くて片道騎兵で十日や二十日は掛かるからな。


「うーむ、向歩兵校尉の他に、蒋碗撫軍将軍、王興太守にも内々に話をするのはどうだ?」


 正直直接やりとりをしていない面々は自信が無い。本来こういった人物を頼るべきではないんだが、何せ首都の手駒がなくてどうにもならん。


「王太守は蜀郡兵を持っておりますので、丞相より話を通された方がよろしいでしょう。向歩兵校尉には中軍の他に城内に軍兵を預けるが宜しいかと」


「蒋碗将軍には?」


「恐らく丞相が既に注意を喚起されているでしょう。足りないのは蒋将軍が自由に出来る資金と人員」


「朝廷に諮らずに動かせる資源か。良いだろう、紐無しの軍資金と中県の傷痍軍人を派遣するんだ、兵糧と装備も持たせてやれ。軍兵は雲南から一千を送るように寥安南に早馬を出すんだ」


 元親衛隊の面々ならば忠誠度の面で文句ない、退役したとは言っても経験は生かせるはずだ。こと、こういう役目には腕力よりも注意力と統制力が重要になるからな。あいつらも特命が下れば喜ぶだろう、お情けで訓練教官をさせられていると思っているのも混ざっていると聞いたからな。


 だがそれは違う、経験を継承させるのは大切なことなんだ。それに頼りになるやつらだって心の底から思っているぞ!


「手配の程承知致しました。我が主はどうぞ前を向いてお進みくださいませ」


「俺の背中は任せるぞ呂軍師」


 深々と礼をして畏まる呂凱。お互いがお互いを尊敬する関係になり、二人は物事が円滑に進むのを肌で感じていた。


 函谷関内に軍勢が移動してきている。巨大な敷地の西側なので居場所に困ることは無いが、それでも長期間滞在するわけには行かない。目に見えない危険、伝染病の類への警戒だ。


 軍を興してついに魏への侵攻をすると決めた。蜀全土への戦争準備命令を発したのは俺だ、無論孔明先生からの承諾を得てはいるが、もしもの時には俺が全責任を被って沈むつもりで。


「関内からの召集兵が着陣しました!」


 伝令がひっきりなしに状況報告を行う、それを聞き流してそろそろだなと頷く。長安を中継地点として補給物資を連絡させている、責任者は費軍師将軍だ。丞相府と大将軍府を繋ぐ重要人物、若干役目の量と官職が釣り合ってはいないが、長安でやつよりも上官が居ない内は問題無いはずだ。


 もしどこからか横やりが入る様ならば、丞相と俺の判断を仰ぐまでは変更不能と突っぱねてよいと先だっての命令を与えてある。それも無視しての強硬手段に出られると結構きついが、そこまでされると完全な敵対行為で別の問題が発生しているはずだからな。


「そろそろでありましょうか」


「そうだな」


 呂軍師の言葉に応じるわけでなく、感覚を共にした結果だ。風は冷たいがまだ雪は降らない、洛陽を占めるまでに降雪が無ければ、魏の反攻は来春になるぞ。もしこちらが落とせない内に雪が酷くなると流石にきついが、そうならない為の作戦だからな。


「主だった将を集めろ、軍議を開く」


「畏まりまして」


 函谷関には楼が二つあり、そこから東を監視していた。それらの中央、関所の裏側にある内城にそれぞれの高級幕僚と二千石以上の官職を持つものらが集められる。現代軍ならば中佐以上といったところだろうか。

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