第113話

 呉は形式上魏の属国だからな、敵を公言しているのは確かに蜀だけだ。鮮卑が申し出をしてきたのは単に戦争上で不利を受けない為だけか?


「魏に攻め込むだけならそんな話は不要だろう」


「失われたものの代償が大きすぎたのでしょう。それに、団結を得かけている途上で躓くわけにもいかないと」


 人質全滅の上に、バラバラだった鮮卑をまとめあげる為の大勝利が必要というわけか。ボールを投げかけたのはこちらからだ、そっぽを向くわけにもいかんのだろうがね。


「元より引き下がるつもりは無い、別動隊の一つでも出来たと喜ぶべきか?」


「軻比能大人を失えば全てが覆るでしょう。その別動隊の為に本隊が苦労することも考えられますが」


「俺が苦労すれば済むなら進んでしてやるさ。本来得られない手足を余計に持てるなら、動きを合わせる位はな」


 呂軍師は微笑むと一礼した。別に畏まられるようなことは言ってないぞ。


「我が主の御心のままに。魏の反撃圧力にさらされないように、我等も速やかに洛陽方面へ進出すべきです」


「そこでさっきの話ってわけだ」


「馬殿は何と仰っていたのでしょうか」


 ふむ、使者の話はあってからでよいってことだよな。あいつが何を言っていたか、クイズをしているわけではない、サクッと進めよう。


「新安を投石機で陥落させ、洛陽周辺の山に防衛線を張れって話だ」


「左様ですか。我が主はどのようにお考えを」


 両手で輪を作ってぎゅっとするような仕草をして多くを語らない。すると呂軍師は小さく頷いた。これでわかるのか?


「新安ですが、無理に攻め落とす必要はないと考えます」


「なんだって?」


「城の包囲に一軍を残し、無視して通過してしまうのです。洛陽を陥落させてしまえばそこに本拠を据えて、魏本土を攻撃致します」


「なるほど……」


 確かに順番に落としていく必要は何もないな、取り残して行っても対抗する監視軍が居れば不意打ちもされないし、補給線も切れない。狭い地域だが河の南を通せば危険も大分減る。


「周辺の山に防衛線を構築するのは良い考えであると某も推奨いたします。進軍にあたっては兵士に大袋一枚を携帯させるのを命じましょう」


「それは?」


 呂軍師は歩み寄ると耳元で何に使うかを囁く。うむ! そうか、そうだな、それならばかなりの短縮になる。全く軍師ってのはこうも頭が回るものなのかね。ひとしきり関心すると笑みを漏らす。


「さすが呂軍師だ、俺では全く敵わん」


「我が主におかれましては、その広い度量で異民族の信を得られるなど、極めて困難なことを成し遂げられております。某のような小者の知恵では到底及ばない存在であることを、どうぞご自認くださいますよう」


 目の前で両膝をついて頭を垂れる。自身を卑下しているわけではない、心底そう感じているんだろうことが伝わって来る。俺には勿体ない部下だよ。


「だとしてもだ、俺は呂軍師を尊敬しているし、頼りにしている。共に歩んでくれるだろうか?」


「勿体なきお言葉。この呂季平、命尽きるまで主のお傍に」


「すまんな俺のわがままに付き合わせて。もし道を間違えるようなことがあれば、その時は遠慮なく見捨ててくれて構わん」


 やや暫く微動だにせずにいたが、肩に手をやると前を向いて立ち上がる。その表情はとても満足げで清々しいものだった。


 長安城の太守の間。要はいつも俺が居るところに、騎兵服の鮮卑がやってきている。使者とは言ってもその恰好が正式なものなんだろうな、ところどころの慣習や常識はあるものだ。


 若いな、二十代半ばくらいか、その年齢で代表を務めるわけだからそれなりの人物なんだろうよ。


「大鮮卑単于軻比能が配下、大人の鬱築健です」


「俺が蜀の島大将軍だ。大鴻臚として外交責任者も務めている」


 単于を名乗ったか、まあそうだな。鮮卑の王を自称するだけの勢力をまとめたんだ、貫禄十分だろう。しかし、うっちくけんは呼びづらい、うっちーっと覚えておこう。うっかり口に出すことが無いように注意だ。


「ご高名は聞き及んでおります。我らが大鮮卑より駿馬千頭の献上品をお持ち致しました、どうぞお収め下さい」


 千頭か、これは随分な手土産だな。呂軍師が特段話題にしなかったということは、これが常識の一つってことか。すると俺がなにかしらの返礼をするのも常識だ。


「ありがたく受け取ろう。時に、返礼品だが恐らくは金品布織物などを渡すと思うのだが、感覚的にどうだろうか」


「多くの事例がそうだと思われますが――」


 鬱築健は怪訝な顔をした、どういう意図があるのかが見抜けずに。呂軍師は畏まったまま口を開かない。俺の常識は世間の非常識と一緒というのをここでも発揮させるとしよう。


「大鮮卑はいま戦闘状態にある、それらでも財貨になりはするだろうが俺ならこうする」


 一度言葉を区切って目を閉じる。そうだな、あれらで良いか予備がある。


「貢ぎ物の返礼に蜀が下賜する。一つ、鉄製矛三千本。一つ、鉄製剣三千本。一つ、鉄製胸甲一千。一つ、糧食三千石」


「こ、これは、ありがたく! 大鮮卑単于軻比能に代わりまして感謝の意をお伝えさせて頂きます」


 戦時に欲しいだろう品の羅列だ、この程度ならこちらに影響はない。弓矢はあちらの専用品があるだろうから不適切だろうからこれだな。一軍の武装には少しばかり足りないが、精鋭部隊を運用するには充分な数字。一般兵には与えられずとも、供回りの騎兵の分くらいにはなる。


「長城まではこちらで運んでやるが、その先は自力で持ち帰られるように手配しておけ」


 およそ国家の関係は対等などというのは時代が進んでからの話で、強さこそ全ての今はこれで良い。こちらにとっても軍馬に適しているのが千頭手に入るならば戦略的な選択肢が広がる。遊撃部隊として千騎いれば補給線の襲撃に最適だな。


「畏まりました。我等大鮮卑は冀州の魏郡業、趙国邯鄲を中心に北部より魏を荒らすつもりにございます」


 呂軍師を見る。地理的なことは正直解らないんだ、邯鄲ってのはどこかで聞いたことがあるが。それにしても魏と趙ってのは国の発祥の地だろうか?


「洛陽より北東、許都より北部の大都市に御座います。業に治府があり、軍勢も駐屯しております。防備自体は邯鄲のほうが堅いと聞き及ぶところであります」


 許都は洛陽の南東だったな。そこを落とすなり抜けるなりしたら、魏の背後に軍を進められるわけか、無視は出来んだろうな。だが敵地深く侵入するのはリスクが大きいぞ。


「略奪して回るだけならわざわざそこでなくても良いな」


 まずはこいつから意図を引き出すとしよう、どこまで知らされているかはわからんが、ヒントを貰えるのは他に居ない。城壁に囲まれてない街などいくらでもある、そういうのを攻めれば補給には困るまい。


 アフリカやヨーロッパ、南米に比べると圧倒的に要塞都市が多い。理由としては多分独立した国が多かったことだろう。宗教的な繋がりがまだ国を越えたところまで浸透していない、或いは皇帝という存在が神と同義であり、別の神が否定されていたから。

 

 歴史的な何かはあるんだろうが、ここでは単純に比率的に多いとだけ認識だ。それでも囲われていない地は存在している、農村は殆どが囲いの外。糧食は収穫前の畑から略奪が可能、農家にある財貨はしれているな。


「軻比能単于は魏への挑戦を行うつもりで御座います。民への働きだけでは不足、いずれ魏の中枢へ一撃を加える腹積もりにて」


「許都の東へ軍を進めると?」


「北西からは蜀軍が攻めよせる、そうなれば包囲を受けて魏はひとたまりもないでしょう」


 実際はそらをさらに包囲されるような差があるが、首都を陥落させることが出来れば終わる。まあそこに皇帝が居なければどうなるか分からんが、首都を棄てて逃げるようなやつでは今後国をまとめることも出来まいよ。

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