第111話

 軻比能と蜀との停戦が成立してしまう、そうなると蜀の大軍を相手にしなければならない。歩度根や泄帰泥の軍勢を統合したとしても数倍になる、単独で勝てるかと言われたら疑問しかない。なにより部族が今の状態で命がけで従ってくれるかどうかも怪しい。


「…………魏の裏切りに素利鮮卑も報復を行う!」


 素利鮮卑が大声を出して団結を示す。奴らは味方同士ではない、ただ不戦を認めるだろうな。戦場の南西部から蜀軍の旗を掲げて大軍がやって来る。


「島大将軍、増援が参りました!」


 こちらの到着を聞いて慌てて出陣したようだ、朝一番で出たら丁度今頃着だものな。蜀の遠征軍四万が穂先を揃えて進んだ。


「呂軍師、あれを留め置け。羅憲、泄帰泥を連れてこい。陸司馬、東部の歩度根族のところへ行くぞ」


 三人に別々の指示を同時に出すと、軻比能らを無視して馬を歩かせた。顔を見合わせた軻比能と素利が少数の兵を引き連れて後ろをついてくる。別に来いと言った覚えはないが良いか。


 防衛司令の後ろに来ると戦況を見る。危なげない守りだ、これでは一年経っても抜けんだろうな。やはり鮮卑では軻比能が一番ということか。


「通るぞ」


 背後から不意に声をかけられて振りむく東部防衛司令が畏まる。防御陣の間を抜けるころには羅憲が泄帰泥を連れて合流した。


 大きく息を吸いこみ「聞け歩度根族、泄帰泥族! 軻比能と素利は蜀と停戦した、お前達はまだやるつもりか!」細かいことは無視して結果のみを伝える。前線で戦っていた兵らが視線を向ける、最初にこちらに次に歩度根の居る場所にだ。ゆっくりと馬を進める、泄帰泥が一緒なことにあちらが気づいた。


「泄帰泥、お前はどうする、戦うと言うならそれで構わん。解放してやる、好きにしろ」


 泄帰泥は羅憲に視線を向けた後にこちらに向き直る。


「何故軻比能族と素利族は停戦した。蜀に恐れをなしたか?」


 真面目な表情で問う。そこに怒りも憎しみもない、こいつは冷静だな。


「魏が鮮卑の人質を全て抹殺したからだ。俺よりも魏に報復することを選んだ、それだけだ」


 目を覗き込んで事実を述べた。後ろについてきていた女が「泄帰泥様! 騫曼様は魏に殺められてしまいました」顔見知りだったようでそう訴える。


「ふむ、軻比能らがこのように同道しているのが何よりの証明だろう。泄帰泥の族も魏より離れ同族の報復を行う!」


 従兄弟同士、この時代では兄弟も同然の間柄だ、これで大人しくしているようでは部族をまとめることも出来まい。


「そうか。羅憲、馬を与えて解放しろ」


「はい、島大将軍!」


 駿馬を与えられると道を開かせる。囲いの先には自身の部族兵が居て泄帰泥を見ている。馬の腹を蹴ると兵らの中に入り「魏は我等を裏切り人質を殺した! これより魏へ侵入し鮮卑泄帰泥族がどこを向いているかを知らしめるぞ!」檄を飛ばすと、司令部がある場所へと進んでいった。


 親衛隊に囲まれて待つこと十数分、歩度根と泄帰泥がやって来る。軻比能と素利の姿を認めて事実だということを歩度根もようやく飲み込むことが出来た。


「歩度根族も魏へ向かう、約束を破った愚かな者に鉄槌を下すぞ!」


 軻比能が馬を進めて中央へ出て「聞いて欲しい。鮮卑は元はと言えば大きな一つの部族だった。こうやって大人が集まって同じ敵を攻めると言うのだ、今一度盟約を結びはしないか?」呼びかけを行う。


 お互い憎いわけではない、肉親を殺された過去はあるが部族が生き残るためにしたことなのは誰もが知っている。己が頂点になっても全部を統括できない、素利も歩度根も泄帰泥もそれを感じていた。


「軻比能大人が全てをまとめる、そういうことだろうか」


「皆がそう望むならば」


 自分がなる、そう声を上げなければ認めたことになる。待ったなしでの判断を下さざるを得ない状況、戦が終わった後などとは言えないのだ。


「俺は軻比能大人を推す。能力、名声、功績の面で不足はない」


「泄帰泥大人、感謝する」


 馬上から一礼する。親を殺されている泄帰泥が真っ先に認めた、歩度根も素利も頷く。


「これより我等は大鮮卑族を名乗り魏と相対する! 我らが族より血族を奪った奴らに報復をするぞ!」


 まさかの結束だ、俺は立ち去るとしよう。


「長安に帰るぞ」


 それだけ発して鮮卑を背にして無言で離れて行こうとすると軻比能が呼び止める。


「島大将軍!」


「なんだ、あとはお前達で勝手にやれ、俺は無関係だ」


 いや本当に関係ないからな? 遠征してきたは良いが結局大したこともせずに帰還する、羅憲の功績にはなったか。


「大鮮卑族は蜀へ修交を求めたい、認めてくれるだろうか?」


「一応俺は外交の最高責任者でもあるらしい。用事があるなら長安へ使者をたてろ、不満でも要求でも願いでも、話を聞くだけは必ず聞いてやる。その後はどうなるか俺にも解らん」


 味もそっけもない返答だったが、軻比能は「では近いうちに使者を送る」満足したようで引き下がる。責任者で合ってたよな? まあいいさ、帰るとしよう。


「陸司馬、行軍指揮を預ける」


「御意! お任せ下さい」


 半月もすれば長安に辿り着く、次の手筈を考えておくとするか。それと。


「李長老、よくやってくれた」


「ははは、老骨の使い道があり、よう御座いましたな。何か御用がありましたら、いつでもお申しつけ下さい」


「おう、出来るだけ長生きするんだ。孫だけでなく曽孫を抱くまで勝手に死ぬなよ」


「ほほ、これは難しいことを。努力させて頂きましょう」


 白いひげを扱いて微笑む。来た時とは違い、馬車に乗せられて丁重な扱いを受ける。もうどこにもいかせんよ、充分働いた、以後は郷で自由に暮らしてくれたらいいさ。


 長安に帰着して数日、鮮卑の一団が魏の北方に侵入して派手に略奪をしていると噂を耳にした。満寵のやつが相手をするんだろうか、まあどうでもいいか。軍勢に休養を与えて、軍功が発生した者らを処理してさらに一か月程が経った。


「ご領主様、大鮮卑族より使者が参りました」


「そうか。呂軍師、どうしたらいい?」


 何かしらの手順がある様ならそうするようにと尋ねた。別にすきなようにすりゃいいんだろうがね。


「屋敷をに部屋を与えて後日謁見すると歓待を。使者が赴かれた内容を事前に聞き出し準備を整えたく存じます」


「ふむ。そういうものか、任せても良いか」


「御意に」


 一礼すると部屋を出て行ってしまう。何でもできる高級副官とは呂軍師のことだな。軍事文事に政治に外交、それだけでなく公私にわたり支えてくれる、ありがたくて足を向けられん。魏への進軍だが早い方が良いな、問題の経路について話を詰めておくとするか。


「馬謖を呼んで来い」


 近侍に不躾に命じた、きっと喜んでやって来るだろうな。案の定一時間とせずに正装をしてやってきた。


「左軍師馬謖、参りまして」


「おう、待って居たぞ。魏の攻略戦でお前の意見を是非聞きたくてな」


 言われるが同時位に目が輝いた、こうやって持ち上げられるのが大好きなんだな。それは良いとして、無謀な策以外はきっちりと吟味して情報を引き出すとしよう。


「そう仰ると思いまして地図を持参致しました」


 大きな巻物を床に広げるように小間使いに命じて畳み二枚分ほどの近隣地図と、同程度の中国地図を並べた。海岸沿いの形は全く記憶にないが、長安から南蛮までの距離感があるから何と無く全体のサイズを把握できる。大いに苦笑して地図の脇まで歩む。

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