第110話
馬の腹を踵で蹴ると逃げて来る歩兵の中央を進んだ。陸司馬が「道を空けてその場で待機だ!」歩兵に命令を下した。
矛、西洋風に言えばハルバードのようなものを右手でもち、脇に抱えて死体の山を駆け抜ける。こちらに気づいた鮮卑が向かって来るも、矛を突き出してすれ違いざまに落馬させてしまう。
「俺を舐めるなよ!」
「親衛兵前へ出ろ!」
左右から騎兵がせり出していき集団の中央に居場所を変える。先ほど見ていた小さな丘に辿り着き円陣を組んだ。
鮮卑の敵意が向けられる、純粋な敵意であって悪意は殆ど無い。その違いは戦場に立ったことがあるものにしかわからないだろう。大きく息を吸いこんで軻比能の旗に向けて怒鳴る。
「俺が島介だ! 軻比能、出てこい!」
鮮卑の騎兵が一瞬動きを止めた。大声に驚いているわけではないのは確かだろう。肩を怒らせた中年騎兵が数百の供回りを引き連れ丘に近づく。
「輪を解いて迎え入れろ」
陸司馬の命令で丘への道が出来上がり、半円形の陣形に切り替わった。丘の中央に対峙する十数騎が注目を集めた。
「俺が蜀の大将軍島介だ」
「鮮卑が大人の軻比能。よくぞ怖じ気付かずに前に出てきたな」
やはりこいつは冷静だ、問答無用で切り掛かって来るのも想定してたが。
「総司令官が臆病で戦が出来るか! それに、北の異民族がどういうやつか面を見て見たかったからな」
ちなみに南は飽きる程見たからな、西も日常だ。あちらからしたら中原のやつらが異民族なんだがね。
「人の見た目なぞさして変わりはせんさ。大切なのは何を思い、どう行動するかだ」
「なるほどな。俺は戦った相手しか信用せんことにしている、それが敵でも味方でもだ」
戦友、あるいは敵だな。不思議なもので優秀な敵は名前だけの味方より信用出来るんだよ。
「騎馬で鮮卑に挑むつもりとは片腹痛い。一手つけてやる、掛かってこい」
「余裕を吐いていられるのもいまだけだ。邪魔立て無用!」
双方部下に手を出すなと命じて丘から遠ざける。一騎打ち、これで後れを取る様なら俺も落ち目だ。歴史に名高い猛将以外に負けてなどやれん!
馬を寄せると両手で矛を振るう。不安定な軸だが軻比能は人馬一体で行動し、全てを受け流してしまう。流石の騎馬民族と言ったところ。
「島将軍、口ほどに無い!」
矛を連続で突き出してきて、ついにはさばききれなくなる。馬に穂先が刺さり棹立ちになる、落馬する前に矛を投げ捨て自ら馬を蹴って後方に転がった。
身体が空中に在る間に兵らのどよめきが聞こえてきた。腰に提げてあった短弩を取り出すと、片方の膝をついたまま軻比能の馬に向けて矢を放つ。一秒と経たずに矢が腹に刺さると真横に倒れる。軻比能は足を挟まれないように、やはり同じように自ら馬を蹴って転がる。
「これで条件は五分だな」
「小癪な真似を! だが真剣勝負に卑怯も何もない!」
生きるために全力を注ぐ、そこに異論はない。腰の剣を抜いて双方歩み寄ると剣をぶつけ合う。体格は若干俺が大きい、だが優位はそこじゃない。
敢えて剣をぶつけ続ける、耐久度においては鮮卑の品より、羌族から仕入れた鉄を鍛錬させた南蛮製のほうが丈夫だ。そこに気づいたのだろう、途中から受け剣をするのを避けるように戦いをする軻比能だが、一対一ではうまく行かない。
「あっ!」
ついにバキっと不快な音をたてて軻比能の剣が折れてしまう。根元からぽっきりといってしまったものを持ちこちらを睨んできた。俺は手にしていた剣を足元に捨て、兜を外し外套を引きちぎった。
「拳で勝負をつけるぞ」
自ら有利な状況を棄てた、そこで拒否するわけにはいかない。軻比能も折れた剣を棄てて兜を放った。近接戦、白兵戦、そして格闘で決着をつける。いいか俺は格闘のエキスパートだ!
膂力を使った殴り、予備動作が見え見えでかすりもしない。革とは言え甲冑を着込んでいる、普通に殴ってもダメージは少ない。だが。
膝を狙って踏み抜こうとモーションをかけると足を引く、その瞬間を狙って懐に飛び込むと内掛けで足を絡めて押し倒す。重い鎧を着て背から倒れた軻比能に乗っかると、殴るではなく頭突きを喰らわせた。
「ぐわっ!」
想定外の一撃だったのだろう、不意に打撃を受けて一瞬だが朦朧としてしまう。鉄手甲の拳を頭の隣、地面に叩きつけて「孔明先生の策に乗ると聞いたが腹積もりはどうだ」二人しか聞こえない距離で問う。
「やめようかと思ったが、乗ってやるさ」
「そうか。直接その言葉が聞きたくてやってきた、それだけだ」
「お前いい根性してるよ、本当に中原の人間か?」
「どうだろうな。だが南蛮には俺よりも面白いやつがいるぞ」
「孟獲大王か、南蛮の王が蜀にではなく島という個人に友好的な理由が分かった。どいつもこいつも狂ってやがるだけだってな」
「褒めて貰ったようで嬉しいよ。生憎ものごと必死に取り組むほど真面目じゃなくてね」
「ふん、魏の狸より万倍信用出来る」
「そうか。俺から納得のいく贈り物をしてやるよ、近いうちにやって来るはずだ」
先ぶれが届いていた、結果のみをみて時期については目を瞑るまでだ。ここで失われた命は必要な犠牲だった、そう解釈することにするさ。
馬乗りになっていたが、立ち上がり離れると親衛隊が水と布を持ってきて替え馬に矛を用意する。もう一度戦えと言われるならそうするが、その要はなさそうだな。呂軍師の薫陶が行き届いているようだ。
自陣の端に特別に守られた区画があり、そこに数人が寄り添っている。軍人ではない、さらにいうなら男でもない。
「素利の隊も傍にいるようだな」
小さく言葉にする、小競り合いが末端で起きているが居場所争いの域を出ていない。あちらは当然こちらの状況を窺っているがな。
護衛に守られた数人が蜀軍だけでなく鮮卑の兵からも攻められずに中央の丘にまで登って来た。見覚えが無い女人と、あまりにも見覚えがある老人。そばまで来ると老人が深く一礼する。
「ご領主様、遅くなり申し訳ございません。客人をお連れ致しました」
呂祥を供にした李長老が真面目な顔で半身斜めにして後ろの人物を紹介した。その姿を見た軻比能の反応で多くを悟る。
「お前は苴羅侯のところの、何故ここに?」
「ああ、軻比能様。ご主人様は魏に抹殺されてしまいました。一緒に捕らえられていた方々も殆どが」
女がいう苴羅侯とは確か軻比能の弟だったな。これについては魏に敵対するような行為をしたからと受け取れるが、実はこうやって正面切って戦っている事実があるだけだ。大義名分はこれで立つ。
「人質を殺しただと!」
「魏の宮廷で行いに反対する一派により何とか逃がされましたが、私達以外は……他の鮮卑の大人らも皆殺されてしまいました。成律帰大人の子も、弥加大人の弟様も、厥機大人のところも……」
派手に抹殺したと聞いているからな、だが生き証人からの告発は重みが違う。軻比能が目を大きく開いて身を震わせている。
軻比能は騎乗すると丘から降りて行き、素利の軍陣へと向かって行く。警戒を露にしている兵が防備の正面を向けるが「素利大人出てこい、軻比能だ!」大声をあげる。騎馬した中年の鮮卑が望み通りに前へ出てきた。
「何の用だ軻比能大人」
「苴羅侯が魏に殺された! 成律帰大人の子、お前の甥も殺された! それだけでなく、魏に留め置かれていた多くの鮮卑が皆魏に抹殺された!」
「何だと!」
兵らにも聞こえるように大声で話しているので、内容を伏せることは既にできない。これもすべて軻比能の策略の内。聞かされたことの真偽を確かめるのが最優先、女が進み出た。一人では信用もされなかっただろうが、部族が違う者達が数人集まり、魏から逃げ出して来たと訴える。
「部族が利用されている、死に絶えるまでこき使われるだけと解っていのに何故奮起しない!」
「……むむむ!」
人質が居たから従っていた、そんなことは解り切っている。その枷が外れた今、何故と言われても明確な返答をすることが出来なかった。
「むむむではないわ! 俺は魏に攻め込む、邪魔立てをするな!」
私憤でもあり、鮮卑への無体に対する義憤でもある。軻比能が大人として大成したいきさつに、公平な裁きをするのと共感を得ることが多数というのがあった。魏への反発心を高めて、同士討ちに近い戦争をやめさせる。
「……だが蜀軍はどうするつもりだ?」
周辺に遠征軍が展開している、そのままでは追撃を受けて挟み撃ちにされてしまう。素利はあまり視野が広い指導者では無かったようだ。親衛隊を引き連れて二人の間に位置取り「俺は蜀の島大将軍だ!」名乗りを上げる。兵らは命令を待って三すくみ状態に陥る。
「軻比能鮮卑は魏へ攻撃を行うゆえ、蜀との停戦を求める!」
出来レースも良いところだが、俺が望んだシナリオにプラスアルファをしてくれるっていうなら乗らない手はない。捕虜を殺す奴らに手心を加えるつもりもないしな。
「勝手にしろ、以後蜀へ踏み入るようなことがあれば容赦はしないぞ! 素利族はどうだ!」
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