第109話
朝になるまで少し浅く広い警備を置いて、兵は寝かせることにした。夜明けまではそこまで時間もないが、一時間だけでも休めたら大分体力面で違ってくる。自分達も少しだけだが休憩を挟んで雑談を交わす。
「さて、呂軍師。あいつらも黙ってはいないだろうな」
「今日は本気で攻め寄せて来るでしょう」
平然とそう言うだけで、これといった対応策も何も提示しない。やるべきことは昨日と同じで構わんからな、素利や歩度根らが動くかどうかくらいか。わざわざ乱戦にする必要を感じないならば観戦しているだろうし、乱入したほうが望みが叶い易いならそうする。
「軻比能は来るだろうが、他はどうだ」
「魏の目論見では素利や歩度根も含めて、全てが争うのが筋書きで最優先なはず。遠くで見ているだけとはなりますまい」
「そうだな」
俺もそう思う。あとはどこで攻撃して来るかだ、一斉にしてくることにはならん。どちらかが疲れてきたところで参戦する、攻めるのはそれこそどちらでも構わんだろうしな。守るだけならあいつらが一緒に押しかけてきても大丈夫だ、だがそれだけでは俺が出てきている意味がない。
「報告します、北西と東より多数の騎兵が攻撃を仕掛けてきます!」
赤い旗を括りつけた兵が幕にやって来るなり声を上げた。呂軍師と顔を合わせて微笑する。
「思い切りが良いのは美徳だろうな」
「思い悩むよりも行動を。それまた一つの真実でありましょう」
朝焼けが空を染めている、日の出ともに進軍してきたというのが伺えた。相当頭に血が上っているんだろうな、事実はそうでなくてもそういったアピールは必要だ。
幕舎から外へ出て四方を窺う。風が強いな、南からの風が東へ向け吹き抜けて行く。軻比能の大軍勢が三部隊に別れて迫って来ていた、一方で素利は北東、歩度根らが東から。
「軻比能はどこに居る」
呟いて目を細めると軍旗を探した。目立つのが大将の務めである、直ぐに立派な軍旗が目に入る。あれだな、随分と前に出てきているしゃないか。
騎馬隊が抜けでもしたら蹂躙される恐れは常にある、危ない時は即後退出来る権限を戦線司令に預けてあるがな。それでも自身の判断で退くのを良しとしない者は一定数いるはずだ。
「陸司馬」
「ここに!」
振り向きもせずに呼びつけると、背後で声がする。
「四方の増援に即応できるように親衛隊を散らしておけ、穴を埋めたら下がるようにもさせろ」
「はい、ご領主様」
宿衛将軍の命令で交通の便が良い場所に無理矢理分隊が陣取る。味方に睨まれるも、大将軍直下の軍旗を翻しているのでそれ以上は何も起きなかった。
「敵来ます!」
接近するや否や躊躇せずに突っ込んできた。各所で応戦が始まる、突然の総力戦で気持ちが追いついていない者が結構居るように思えた。
「特務隊に下命!」
呂軍師が本陣の黄色い軍旗を振らせた。すると前線で白い煙と連続で弾ける破裂音が多数鳴り響いた。音に驚いて鮮卑の騎馬が棹立ちになり勢いが削がれ、かなりの者が落馬した。
味方の歩兵も耳を塞いで驚いているが、こちらは当然落馬はしない。乱れた攻め手に投石が行われると、馬に当たった石が二次被害を産み出した。暴れた馬が落馬した人を踏みつける。
混乱が産まれている、逆撃するなら今だがどうだ。声に出さずにじっと見つめていると、ちらほらと前進する部隊がみられた。ギザギザで効果が上がらない、北面だけは遅れながらも全部が歩みを進めている。
「呂軍師、北の中級司令を昇格させるぞ。東西で前進した部隊指揮官を記録しておけ」
適切な対応をした奴を引き上げて戦闘力を増強させる。ま、戦闘中に編制を変えるわけにはいかんから後でだな。
「御意。泄帰泥の部隊ですが、やはり動きが鈍いようです」
大将の不在で戦闘に参加している、それは仕方がないこと。東からの圧力が弱いのはそのせいだろうが、数は歩度根を隣に置いているので充分いた。
「勢いだけ削げばそれで良い。戦線を縮小させろ」
乱れた戦列を整えるように撤退の銅鑼を鳴らさせる。泄帰泥をどう使うかを問うわけか、別に何するつもりもないんだがね。前進していた部隊が元に居た場所まで引き下がって来る、捕虜をいくらか得たようで、縛られた一団が本部に連行させれてくる。前線にいたら邪魔だからな。柵の中にまとめて放り込んで弓兵に監視させて一先ずは放置、か。
「それにしてもアレの威力はてきめんで御座いましたね」
「脅かすだけの爆竹のようなものだったが、やはり馬には有効だったな」
素焼きの壺になんちゃって火薬を詰めて、木綿縄に火をつけてぶん投げただけ。爆発するような威力も密度も精製度でもないが、爆音を響かせるとか、乾いた兵糧に着火させる位の効果はあったわけだ。
時代など幾ら古くてもこいつは案外簡単に精製出来るからな。答えさえ分かっていれば化学は極めて有効になる、ズルともいうね。
「鉱業用の道具位にはなるかも知れんが、戦闘ではこれが限界だろう。鉱物の採掘用に発破で利用以外はそのうち考えるさ」
威力を出すためにはきっちりと囲まれた、固い器が必須だ。隙間があればそこで発火するだけで終わるからな。
「軻比能の本隊が前進してきます!」
「ほう、早いな」
後ろで見ているだけとはいかんわけか。勇気を示すのが必要なんだろう、何せ法も何もない時代だ、全ては勇気と結果でのみ論じられる。折角前に出てきてくれるんだ、こちらも応じるとしよう。
「丘を降りて北西へ進める。軻比能がどんな面か見に行くとしよう」
軽口を叩いて帥旗をそのままに騎乗して親衛隊の一部を引き連れて動く。本営機能は幕僚らに委任して、防衛隊の背にゆっくりと近づいた。
怒りで血管が浮き上がっている男達が目をぎらつかせて外縁に攻め寄せてきている。そりゃ末端の兵士は本気で戦うだろうさ、軻比能はどうだ。まだ数百メートル隔てた先にある軍旗、その下を見る。堂々とした体躯の中年が目を見開いてこちらを睨んでいた。
「感情を表に出しているようでいて実際はどうか」
無理な運用をしているわけではない、あいつは冷静だ。こちらの真意を問いたいと考えていてくれれば助かるが、刃を交わすのを目的としている可能性も半々だとしよう。
「素利らの部隊が西に流れてきているようです」
チラッと見て見ると、攻撃が通らないので前列が西へ滑って来ていた。このままでは軻比能と接触するのも時間の問題だ。それはそれで構わんのだが、こいつを利用出来ないか? 叩きのめすのが目的ではない、場を作る必要があるな。
小さいが丘のような場所がある、周囲は平地で舞台のようなカ所か。大喚声が起こって騎兵隊が攻撃を加えてきた。大楯兵がその場を死守しようとするが、馬体ごと突撃して来るので耐えられずに跳ね飛ばされる者が多数。
「二列目前へ! 三列目整列!」
防衛司令が声を上げて必死に守りを固めようとして、整列する前に押し込まれて崩壊寸前になる。そこへ騎馬した親衛隊が駆けつけるとまけじと体当たりを行い、双方が派手に落馬する。
勢いが失われたら歩兵が群がり戦列を組んで、五歩ずつ押し戻していく。危なげない指揮でなによりだ。鮮卑も黙ってはいられない、二陣、三陣が繰り出され、次第に乱戦模様になっていってしまう。
四方をみても押し込まれているのはここだけだな、防衛司令は良くやっている、ということは相手が強いということだ。二時間以上は一進一退を繰り返し、負傷者が多数後送されていった。
「粘るな相手も」
「押せているのがここだけなので、軻比能も強気に出ているのでしょう」
全部に均等に戦力を配置するのは愚か者がすることだ。力は一カ所に集めて勝負を決めに行く、これに限る。
「陸司馬、親衛隊五百を召集しろ。近接戦闘を行う」
「御意! 鉄騎兵に鉄甲兵を集めろ、ご領主様のご命令だ、急げ! 短弩の用意をしておけ!」
体力自慢の鉄甲兵を二列横隊にするために場所を確保させ、その前に鉄騎兵を並べる。
「準備は良いか」
「万端です!」
乱戦が行われている箇所を馬上から見下ろす。兵士たちの表情が見えた、歯を食いしばって何とか敵を防ごうと命がけの防戦をしている。
「撤退の銅鑼を鳴らせ」
防衛司令に命令が伝えられると、最前線の持ち場を棄てて兵等が引き下がって来る。それを押しかけて来る敵と、左右に傷口を広げようとする敵に分散した。
「親衛隊、俺に続け!」
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