第108話

 これ以上ない位曖昧な問いかけ。感じたところを素直に語ってくれれば何でも良いからな。


「聞いていたのはもっと前のめりで果敢な異民族でしたが、思っていたほどではありませんでした」


「ふむ、何故だ」


 確かに北方の異民族は勇猛果敢で、後ろみずといった雰囲気があると耳にしたことがある。それは東西南北どこでも変わらなないし、実は時代を違えても同じだ。解らない相手に対する恐れの表れがそうなるんだ。


 相手をつぶさに知っていれば、恐れは次第に詳細な感情に切り替わる。情報の不足は齟齬を産み出すことになるぞ。


「中距離射撃が主で、突撃は一度のみでした。それも様子を窺うような攻撃だけで、どうにも本気で攻め寄せているのを感じられませんでした。犠牲をいとわずに押し寄せてくると構えていたのですが」


 そういうことか。呂軍師が言っていたように、蜀と通じているからだろう。疑心暗鬼になっているのは間違いない、もしかすると余計なことをして孔明先生の策をぶち壊しにしている可能性もある。


「羅憲がそう感じたならそうなんだろう。思考の幅を拡げてみろ、どうして攻め寄せないかを」


 はっとして真剣に考え始める。どこまで考えが及ぶかはそれぞれだ、重要なのはどうやって考えを拡げる手段を持つか。そして考えることを癖にするというところだろうな。呂軍師も黙って待っているところをみると、俺の意図を汲んでくれているって。


「鮮卑は鐙将軍らの遠征軍に共同されるのを警戒し、全力で戦えていないのではないでしょうか」


「挟撃になれば無視できん損害が出るだろうからな。他は」


 陣地を維持する兵だけ残して出てくる、或いは陣地を棄ててでもこちらを支援する動きをする。様子を見ていたのは異民族の複数が出てきていたからだ、追撃不能なのは騎兵の不足に他ならない。その点では編制時点で無理があったわけだが、あちらから攻めてきてくれるなら話は別だな。


「大将軍の出兵とあって、戦力を探るのを優先した。それと、武力で攻めるよりも良い手があった」


「ほう、どのように攻める?」


 武力で攻めずに勝てるならそれにこしたことはない、そういう見立てを待っていたんだよ。兵糧攻めと火攻め以外はあまりなさそうなものだが。


「やはり水源ではないでしょうか」


「枯渇させるには水量がそこそこあるが」


 飲み水で使う分には一万や二万に行き届くだけのものがある。どこかでせき止めるってなら別か。それこそ幅で行けば中国では小川と言われそうなものだが、日本ならそこそこのものだぞ。


「枯渇させる必要はありません。上流に動物の死骸でも沈めて置けば汚染されて使えなくなります。そのうえ自分達は利用可能かと」


「うむ!」


 北が上流だ、そうされたら体調不良で疫病が蔓延するぞ! 殺さずに苦しめるのが遠征軍相手ではかなり有効な手立てだ、しかもやろうと思えば簡単に出来る。


「呂軍師、どうだ」


「考えられる謀略であります。水の煮沸で防げる部分は御座いますが、十全とは言えないでしょう」


 ではどうするか、考えるのは俺の役目だな。対応策では戴けない、より上流であるか湧き水を集めるかで解決させるか? いずれも今すぐ全量を解決出来るとは見込みが甘い、手持ちの水は三日で消費してしまうぞ。だがここは発想の逆転だな。笑みを浮かべて羅憲を褒めてやる。


「良いところに目を付けたな羅憲、思考こそ指揮官の最大の役目だ」


「ありがとうございます!」


 褒められたのがよほどうれしかったのか目が輝く。純真な若者だ、是非とも大きく育ってもらいたい。


「ここにお前を呼んだのはそのあたりと関係している」


 というのは完全なる後付けだ、呂軍師にはバレているだろうがね。


「今夜少数で夜襲を仕掛けて貰うつもりだ。目標は敵の兵糧、長期の滞在を不能にさせ短期決戦を誘発させる」


 こちらの水が足りなくなるならば、あるうちに終わらせる。不足を詰めようとする考えを改めるんだ。特務隊に持たせたアレも出番がなかった、初見道具はここにつぎ込むとしよう。


「歴戦兵二百で暗夜に火を放ってこい。攪乱用の道具も与える、何も全てを燃やす必要はない、半減すればそれで充分だ」


「お任せ下さい! 必ずや成功させてみせます」


 二百は正直少ない。だがこれより多ければ見つかりやすくもなるし、何より目が行き届かない。中隊が規模の面で最大になるぞ。


「言葉が解る者も帰順してきた鮮卑の子弟が居るから配属する。それとこいつの使い方、もう一つあるんだ」


 素焼きの壺のようなもの。手のひらサイズで統一されていて、投げつけることも可能にしてある。保管はきっちりとされていた、短時間で設置可能になるのは襲撃側としては嬉しいぞ。詳細な仕組みや原理などわかりはしない、結果としてこうなると目の前で実例示して教える。


「こ、これは!」


「本来はもっとすごい使い方があるんだが、今はこれが限界でね」


 幕舎に警備の兵がやって来て「いかがなされました!」血相を変えて確かめて来る。


「何でもない、警備に戻れ」


「は、はっ!」


 陸司馬の一言で追い返されてしまう。警備の最高司令官はこいつなんだ。


「さして時間はないが指揮をし易い兵をお前がよりすぐれ。十人はこちらから専門の者を用意する」


「直ぐに準備に取り掛かります!」


 畏まって退出していく。さて、言葉の矛盾を無くさねばならんな。


「陸司馬、至急十人をここへ呼べ。道具の詳細を教える、これからそいつらは専門家になってもらわねばならんからな」


 無茶を言っているのは自分で解っている、それが心配から来ていることも。一切の異論を挟まずに、やや速足で陸司馬も幕舎を出て行った。


 仮眠を取っていたので深夜になっても眠気はあまりなかった。身体だけは休めるようにして時間の経過を待っている。急報が無いのはうまく行っている証拠だろうさ。


 夜警の兵士が「あっちに灯りが見えるぞ!」声を上げたところで寝所から起きる。上着を羽織って直ぐに兜を頭にのせた。椅子に座ると幕に呂軍師がやってきた。


「軻比能の陣があるあたりで大規模な火災が起こっています」


「そうか」


 にやりとして頷いてやる。火が付いたなら成功ということで間違いない。


「直ぐに迎えの隊を出してやれ、追われていたら追撃を防ぐんだ」


「既にそのように前線に指示を出して御座います。それと火を起こすようにと」


「火を?」


 なぜだと首を傾げて呂軍師を見る。するとにこやかに「帰着したら飯と酒をふるまってやろうと思いまして」嬉しい一言。


「そうか、そうだな。労ってやってくれ」


 どれだけ染み渡るか、功績には相応の褒美をとらせにゃならんぞ。それは羅憲だけでなく、兵士全員にだ。遠路はるばる異民族の支配する地域にやって来て、どことも解らない山地を深夜に灯りもつけずに進み、敵だらけで捕まれば死ぬより恐ろしい仕打ちが待っている敵陣に侵入したんだ。


 どれだけ大変なことを成し遂げたか、知っていてやらねばならんぞ! それはそれとしてだ、焼き討ちをされた鮮卑の反応はどうだろうな。大規模な火災というからには、長期戦が無理なくらいの被害が出る程燃えたのは確かだろう。退くつもりがないならば、こちらを蹴散らしに来るか、或いはもう一つの可能性がある。


「食糧貯蔵地の防衛を喚起しておけよ」


「鐙将軍の本陣への伝令と別に、こちらから歩騎五百を増援してあります。本隊の増援が来るまで充分耐えるでしょう」


 抜かりはないか。夜襲を見てからの指示をしなければ情報が漏れてしまう、よーいドンでの行動だ、裏を知っているこちらが先着するのは確実だな。


 ここで司令官は別のところへ目を向けねばらなんぞ。現場のことは任せておいても良い、ここで何が起きると大混乱に陥るか、最悪を想定して備えるべきだ。一番は俺の死傷だが、それ以外をな。


 暗夜後方から未発見の敵に襲撃される、これで算を乱せば全てがひっくり返る。北に敵がいるのはわかっている以上、南に意識を向けておくべきか。


「呂軍師、ここより南の山間に偵察を出せ。魏との境界線あたりを北上して来る部隊が居ないかの監視を置くんだ」


「魏軍が乱入する可能性も否定はできません。多数を置く必要はないでしょうが、狼煙を持たせた監視部隊を派遣いたします」


 夜では狼煙は見えないが、警笛を鳴らせば聞こえる。一斉に全ての兵士を倒すのは無理な以上、近くに居れば対応できる。遠くならば煙を見るのが一番だ。明日の夜に監視部隊が遠方で全滅するタイミングだけが穴になるが、その頃には別の対策が可能になるからな。


 羅憲の奇襲部隊が戻って来る、数人未着が出ているようだが概ね生きて帰って来た。兵等には酒と肉を与え称賛してやり、羅憲には「良し」とだけ言って肩を叩いてやる。満面の笑みで頷くあいつはとても輝いていたのが印象的だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る