第105話

「軻比能は会盟の席でお父上を害しました。戦場ではなく」


 不意打ちか、それはいただけん。とはいえ現場を見て来たわけではない、俺の判断は正しいとは言えんな。また聞きで物事を決めるのは禁忌だ。もしかすると呂軍師は生の声を集めようとしているんだろう?


「別の背景を持った武将が一つ場所に集まる、それ即ち戦場。油断をしていたのは事実だ」


 ほう、潔しといったところだな。ま、今ここも戦場だと言いたいのはわかったよ。俺も身の危険に対しては全力で注意するとしておくか。


「結果として、三族を吸収しまとめ上げた軻比能大人は、現在の最有力者。そこは私も認めるところではあります。ですが――」呂軍師が珍しく自身の個人的感情を露にする「我が主は敵であろうと決して欺くような真似は致しません」


 真剣な顔で真っすぐ見詰める。うむ、敵を騙すな騙されるな、か。戦術戦略の限りではそうはいかんが、こと対人関係では絶対に俺は裏切りはせん。憎い敵であろうと、確かにそこだけは墨守するつもりだ。


「……島大将軍か」


 視線がこちらに向いているな、違うなどとは言わんよ。


「ああ、俺が蜀の総司令官島大将軍だ。匈奴、鮮卑の話には疎いものでな、呂軍師に全て任せている」


「眼中に無いってわけか」


「そうではない、適材適所というだけだ。だが覚えて置け、呂軍師の判断は俺の判断でもある。全ての責任は俺にあるとな」


 預けた以上は何一つ文句など無い、苦情は全て俺のところへ持ってこい。紐付きで働くほどツライものはないからな! 呂軍師がこちらに正面を向けて一礼した。こちらが拝みたい位だよ、ほんといつも感謝しているんだぞ。


「泄帰泥殿にお伺いしたい。貴公は何を求めるのでしょう?」


 それは大事だな、こいつが何を考えているか、全てはそれに尽きる。こちらとしては大人しく帰郷してくれればそれでも構わんのだがそうもいかんだろうさ。


「軻比能の敗北だ」


 端的で実に宜しい。だが俺のところの夜直に負けて捕まっているようでは望みはかなうまい。


「本当にそうなのでしょうか?」


「どういうことだ」


 うん、俺もどういうことか知りたいぞ。敵の敗北が望みではないならば、一体どうして戦いを仕掛けてるってことだよ。


「軻比能といえば鮮卑の大人。かつては貴公を保護し一族を養ってくれていた、違いますか」


 父親を殺して残された家族を保護したって? ……会盟の席上で仕方なく殺したのか。多くをまとめ上げる為に涙を呑んで。だとしても親を殺されたら憎いだろうに。


「叔父の歩度根に誘われ魏につき、その後に鮮卑の大人として振る舞ってきた。そして今、戦をしているのは本当に貴公の意志なのでしょうか?」


 叔父ねぇ、ということは兄を殺されて歩度根とこいつで弔い合戦を仕掛けている構図か。普通に考えればそうだが、呂軍師には違う物がみえていると。黙りこくってじっと呂軍師を見ているだけ。


「先ほど貴公は父が軻比能に劣っただけと言いました。本心では元より軻比能を憎んでなどいない、そうではありませんか?」


 ほう、そうきたか。他にもなにか知っていてそういう結論に至ったんだろうな。


「……俺は元より軻比能を憎んだり恨んだりしたことなど無い。父を殺されたのちには、特別な配慮をしてもらっていた時期もある。ただ行いが正しいとは思えなかった、それだけだ」


「では何故、今軻比能を攻めているのでしょう?」


 ふむ、軋轢は少ないか、意外だな。歩度根とやらの方はどうなんだろうな。何故と問われて返答をしない、或いは出来ない。


「口に出来ないのならば私が代わりにお答えしましょう。魏の調略により乱を起こしている、そうではありませんか」


 質問ではない、確認の口調で半ば断言する。人質が居るわけだからな、保護って名目ではあるんだろうが。


「梁習刺史の差し金だ」


 呂軍師に視線をやると「元の併州刺史、後の冀州西部都督、昨今併州が再度設置され刺史に戻った名将で御座います」簡単な人物評価をする。名が変わってもずっと任地に在ったわけだな、筋金入りの現場派。まさに専門家なわけだ。


「ご存知かと思われますが、魏の都で苴羅侯、王畔、鬱螺環らが密かに処刑されました」


「なんだと!」


 ご存知ではないだろう。どいつが仲間かは知らんが、無関係な名前ではないらしいな。


「鮮卑同士が争いを始めたら用無しということで、逃げられるのも面倒だから処刑と相成った様子。今一度お尋ねします、何故軻比能を攻めているのでしょう?」


 床に視線を落として険しい顔をする。最早戦う理由など無くなってしまった、その話が真実ならばだが。


「泄帰泥殿もお疲れでしょう、今日のところは幕舎でお休み下さい。これ、ご用意を」


 何とも返事をする前にそそくさと退場させられてしまう。これが交渉術という奴か、あとは勝手に想像を膨らませるってわけだ。それにしても大人自ら最前線で戦うとは、鮮卑でも烏丸でもそういうのは変わらん感覚なのかもしれんな。


 戻ってきた偵察の話では、随分と混乱している様子だったらしい。それはそうだろう、いきなり大将が行方不明では。ひょっこりと戻ってくるかもしれないし、死んでいるかもしれない、勝手に逃げ帰るわけにもいかないだろうから待機を続ける、実に納得いく結果だと思う。


「運よく一つの敵が凍結状態だ、呂軍師の次の一手は」


 俺ならばより小さい勢力、素利の捜索と戦闘を目論むがどうだろうか。出来れば戦わずに全てを終わらせたい、それが無理だと解っていても突然ゴールするのを望むのは怠惰かね。


「実は目的は半ば達成されていますので、何もしない、というのが私の考えです」


 おっと想定外の返答だぞこれは。目的が達せたれている、それは戦場を移動させるってことだろうか。仮にそうだとして、泄帰泥の勢力はなんとかなるだろうが、他はどうなんだ?


「するとわざわざ長城を越えてまでやってきた意味は無いわけか。姿勢を示す程度のものか」


「ご足労いただき申し訳ございません。これも呉を動かすための一つの手順とお思い頂けたら幸いです」


 なるほど、そういう部分への影響も考えてのことか。


「別に構わんさ、俺は最終的にうまく行くなら何の文句も無い。それで、何をどうしたら呉がこちらの有利になるように動くようになるんだ」


 俺の大予想では、鮮卑らがこぞって魏に侵入すれば勝機ありと見るからだ。


「呉の臣下も各地の情勢を探るために密偵を放っております。もちろん此度の戦のことも探っているでしょう」


 そりゃそうだろうな、正確かどうかはわからんが、ここで戦ってるぞってことは伝わるはずだ。だからこそ俺が前線に居ることにつながるんだろ。


「異民族が取って返して魏に侵入した、そう聞いたら必ず理由が何かを探るでしょう」


「……ふむ、そういう流れか」


 つまりは鮮卑が魏を見限る理由を探る、すると見つかるのが人質の殺害。解った頃には土の中で、魏では生存していると嘘を主張する。影武者でも立てれば水掛け論になりかねん。


「生存者、或いは遺体を示すことが出来れば呉の臣下はこう思うでしょう。魏に降っても滅びるまで戦わされ、人質も殺されると。民は保護されるでしょうが、政治を執り行う者達は他人ごとではありません」


「なるほど、だから呂軍師はことさら俺が裏切りを働かんと言い聞かせたわけか」


「我が主を利用した形になり申し訳ございません」


 頭を垂れて陳謝する。別に好きに使ってくれればそれで構わんよ。俺の信用などどれほどのものでもないからな。


「気にするな、何とも思ってない。だが他の異民族まで上手い事魏に侵入してくれるものかね」


 そいつら全てが魏に利用されているわけでもないだろうに。相変わらず申し訳なさそうな表情をした呂軍師が続ける。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る